見出し画像

怒られても死なない



怒られることへの不安について

怒られすぎて頭が麻痺しているような状況に陥ったことがある人、結構いると思います。私も映像制作会社に務めていたとき、ちょっとカメラのバッテリーを取りに行かされるのにも「バッテリー!!」と怒鳴りつけられ、少しでも反応が遅れたり手間取ったりしようものなら「遅いんだよ!!」と怒られるような環境でした。

そういう環境にずっといると、頭が常にぼーっとしてくるんです。もうどうでもいいや、とか、楽になりたい、とか、そういうことばかり考えながらでも、怒鳴りつけられると体は反応して動いているのです。

子どもがよくないことをしたとき「いけません!」と叱っている態度は見せた方がいいけれども、感情的に怒ってはいけない、という話をよく聞きますよね。それは誰かを感情的に怒鳴りつけることが、その人に恐怖心を植え付けてコントロールしようとすることだからです。当時の私も、まさにそういう恐怖心を植え付けられてなにも考えられなくなっていました。


一方で、頻繁に他人をイラつかせてしまう人がいる、というのも事実です。しかも、それに当人が無自覚で、いくら怒られてもまったく耳に届かないような人も世の中にはいて、そういう人に遭遇した場合は関わらないのが正解です。

一番大変なのは、自分が他人を頻繁にイラつかせてしまっているのではないか、と悩んでいる場合です。怒られすぎて麻痺してしまっている状況では、どこまで自分が悪くて怒られているのか、理不尽に相手の鬱憤をぶつけられているのか、わからなくなることがあるのです。こうなると、とにかく「迷惑をかけているのではないか」「また怒られるのではないか」という不安でいっぱいになって、原因に対処するリソースも残っていない事が多いのです。

こういうふうに不安を絶えず感じているせいで、思ったように能力が発揮できないと悩んでいる人も多いのではないでしょうか。今回は、そんな不安にどう向き合っていけばよいのか考えてみたいと思います。


失敗恐怖症に対処しよう

最近、友人から「頭の中でいつも言い訳をしてしまう」という悩みについて話を聞きました。それも、「怒られ」が発生するのではないかという不安を感じているということなのではないか、と私は思いました。

その友人はナルコレプシーという睡眠障害を持っています。日中に突然耐え難い眠気に襲われ、意識を失うように眠ってしまうという病気です。そのため、仕事で失敗してしまうことへの不安が常にあるので、うまくいかないこと前提でいつも考えてしまい、言い訳ばかり考えてしまうのではないかと思いました。

つまり、ここでは持病であるナルコレプシーの「日中に突然眠気に襲われる」という一次的な症状だけでなく、そのせいで何度も人に迷惑をかけたり怒られたりしたトラウマから、「失敗恐怖症」のような不安障害にも似た二次的な影響が出てしまっているのです。

おそらく、同じような事態に陥っている人はかなり多いのではないかと思います。発達障害や持病などを持っている人は、このような失敗恐怖症に陥ってしまう確率が高いでしょう。もちろん、特に持病のない人や定型発達の人でも、頻繁に怒られる環境にいればこの症状は発生します。


実際に頻繁に怒られている人はどうすればいいか

実際に頻繁に怒られている場合、怒られる回数を減らさないことにはこの不安障害を治すことはできません。いきなり怒られをゼロにするのは難しいので、まずは頻度を減らすように頑張ってみましょう。

すでに怒られに対する不安が発症していて、頭の中で言い訳ばかり考えてしまっているような状況では、正常にタスクに取り組むこともできず、作業効率が落ちてしまっていると思います。するとタスクがどんどん溜まっていき、不安要素がどんどん増えていく。そして余計に仕事が手につかなくなる、という悪循環にはまってしまいます。

こういう状態に陥ってしまったら、正常な判断もあまりできていません。キャパシティがいっぱいになると、なんとかその一日を乗り切ることしか考えられなくなってしまいます。そもそもそこで求められていることが自分にとって負担が大きすぎると感じるのなら、早めに辞めてしまったほうがいいと思います。

辞めないにしても、仕事の割り振り量を見直してもらうとか、なにか仕切り直すきっかけがないと、一人でここから堅実に立て直すことはとてもむずかしいです。上司など相談できる人に早めに相談しましょう。


頻繁には怒られていないのに不安を感じ続けてしまう場合

問題は、実際はそれほど頻繁には怒られていないにも関わらず、怒られに対する不安を感じ続けてしまう場合です。

それはつまり、過去に誰かから怒られた経験を何度もしたことによって「怒られが発生するに違いない」という未来予測のパターンがすでに出来上がっていて、体に染み付いてしまっているのです。

これを認知の歪みと呼ぶこともできるでしょう。なぜ、こういうことになってしまうのでしょうか。

ADHDの人に特に多いのですが、自分の経験を分析するとき、適切な解像度・スケール感で分析することができないという人が時々います。

こういう人の認知パターンでは、なにか物事を失敗したとき、以下のような二段階のプロセスとして失敗を経験しているのです。例えば、ADHDの人が提出しなければならない書類を忘れてしまったとしましょう。

  1. ADHDのせいで提出しなければならない書類を忘れてしまって怒られた

  2. ADHDはどうしようもないので、私は怒られて当然な、ダメな人間だ


このような認知が繰り返し経験されると、ADHDのせいでミスをして怒られる、というのが意識の中でパターンとして定着してしまうのです。すると、失敗に対する不安を感じ続けることになってしまいます。

しかしこれでは、認知の解像度が荒すぎます。実際には怒られるときはそれぞれに個別具体的な理由があり、それを分析することで対処法を考えることができるはずです。例えば以下のように。

  1. 夜に提出書類のことを思い出して記入して、翌朝少し寝坊したため、慌ててテーブルに置いてあった書類を忘れたまま出社してしまった。

  2. 書類はすぐにしまう、夜のうちに次の日の荷物の準備をする、寝坊しないように睡眠時間を確保する、などの対処法を実践してみよう


ミスの原因を「病気のせい」と大雑把に捉えていると、いつまでたっても具体的な対処法について考えることができないません。こういうふうに少しずつ習慣をつくることで、ミスを減らしていくしかないのです。


劣等感・無力感とどう向き合えばいいか

前項ではADHDの人を仮定して、具体的に分析して対処法を考えよう、といったことを書きましたが、実際のところ、「私は怒られて当然のダメな人間だ」という劣等感や無力感に支配されていて、そのような具体的な対処法を実践する体力もないという状況も考えられます。

こうなってしまうと、もはや「自分は劣っている」と思い込む呪いにかかっているようなものです。親から怒りをぶつけられてコントロールされた子どもも、こうなってしまうことが多いです。

こういう呪いを解くのはすごく難しいです。「あなたは劣ってなんかいない」と言ってくれる他者の存在があれば一番いいのですが、そうでない場合、自力で思い込みを外すには、一度ストレスのない環境でゆっくり考える時間を作るなど、物理的なきっかけがないと難しいと思います。

優劣や、人間の価値のランクみたいなものを無意識に当たり前だと思い込ませてしまうことは、競争社会の弊害だと思います。しかし、「劣っている」人間などいません。それを忘れないことも大事です。

自分自身の価値を認めるためには達成感や充足感を得るような経験をすることも重要ですが、劣等感や無力感に支配されていて仕事などで能力を発揮できていない場合、それも難しいはずです。その場合は仕事以外で自分を表現できるなにかを見つけることもよいきっかけになるかもしれません。


怒ってくれる人はあなたのためを思っている?

最後に、一番厄介な問題に触れておきたいと思います。

それは、怒っている人は全員「あなたのためを思って言っているんだよ」と言う問題です。

正直に言って、これを口に出して言う人はほぼ全員、自分の機嫌で相手をコントロールしようとするタイプです。相手のためなど1ミリも思っていません。

しかし、ごく稀に、本当に相手のためを思って怒ってくれる人も存在します。こういう人はとても貴重だから大事にしたほうがいいのですが、問題は、怒られている側からはそれが本当なのかどうか見分けるのがとても難しいということです。

基本的には、精神的に追い詰められている人間に対してさらに感情をぶつけるような人間は信用しない、という判断でかまわないと思います。


精神的に追い詰められている人間は自分が精神的に追い詰められているということさえ正常に判断できなくなる節があります。とにかく、怒られることへの不安で頭がいっぱいだな、と気づいたら、少し気をつけたほうがいいかもしれません。

一方的に怒りをぶつけられると、自分は相手より低い人間なんだ、という認識が刷り込まれます。そういう手段を悪用する人間も少なくありません。それに惑わされて自分の価値を見失ってしまわないように。怒られても死なない、くらいの気持ちでいきましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?