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目の前のあなたが運命の人でないとどうして言い切れるだろう

(傷だらけの恋愛論 第五回)




前回のおさらい

前回は、恋するふたりがどのようにして言葉を用いることなく暗号を送り合い、お互いの恋心を確かめ、距離を近づけていくのか、ということについて書きました。

その過程では、「知りたい」という欲望から「ひとつになりたい」という欲望への移行が起きています。しかし現代ではそもそも恋愛に夢をもつことができない人も多くなっていて、そのせいで「ひとつになりたい」という欲望が生まれずに恋が冷めてしまうことも増えているのでした。

それを避けるためには、現実に対する期待値が下がっても心のなかで「本当の願望」を持ち続けることや、いるわけがないとわかっていても「運命の人」の到来を待ち続けることが大事だ、というのが前回のまとめでした。



魔法が解けるとき

さて、こうしてふたりは接近し、めでたく結ばれたとしましょう。しばらくの間は、魔法が持続します。つまりこの期間というのは、相手が自分にとっての運命の人であるという夢からまだ醒めていない状態です。

そして交際が始まると、ふたりは今度は暗号ではなく、愛の言葉触れ合うことによって、お互いの関係を確認し合うようになります。隠喩的な愛の表現から、直接的な愛の表現へ、また段階が移行するのです。

この期間は、一緒にいるだけで心の穴が埋められて、自分が完全になったように満たされた気持ちになります。しかも「もっと近づきたい」「もっとひとつになりたい」という共通の欲望がまだ作動し続けているので、お互いに求め合う幸福感を最も強く感じることができる期間であるといえます。


しかしやがて、「究極の一体化」に至ることはできないという現実が少しずつあらわになります。魔法が徐々に解けていく段階です。「ひとつになりたい」という共通の欲望によって強く結びつけられていたのが、その欲望が薄れることによって、ほどけていくのです。

するとふたりの中には、それぞれ別の方向を向いた欲望が芽生え始めます。つまり、別のものに興味が湧きはじめるのです。相手のことだけに夢中ではなくなる。それと同時に、相手が自分の思っていたほど理想通りの人間ではないということにも気づくようになります。


なぜ魔法は解けてしまうのか。最も根本的な理由は、先ほども述べたように「ひとつになる」ことはできないからです。だから決して欲望は果たされず、どこかで行き詰まります。そこで、すべての恋の魔法は解けるよう運命づけられているのです。魔法は解け、夢は覚め、そのときはじめて現実を直視します。

恋愛において、いちばん重要な地点はここではないかと私は考えています。魔法が解けたとき、はじめて直視した現実を愛することができるか。それとも、「こんなものは理想じゃない」と否定して、別の運命の人を探すのか。

どちらの道を選べば、幸せになれるのか。恋愛をするたびに、人はこの選択を迫られているのだと思います。



衝突を乗り越えるために

さて、多くの場合、魔法が解けて現実が見えてくると、自分の頭の中にある理想と現実のギャップばかりが目につくようになります。すると相手に対して「もっと私の理想に近づいてほしい」という思いが生まれてきます。

この感情をお互いが抱くようになると、相手に対する「変わってほしい」という要求が衝突することになります。互いが自分の心の穴のかたちに合わせて相手を変形させようとしている、と言ってもよいかもしれません。少し前まで相手のことを「理想の人物」だと思っていたので、つい完璧さを求めてしまうのです。

もちろん、そう思っている自分自身も、相手にとって全然完璧ではないのです。しかし一度衝突してしまうと、どちらにより正当性があるか、という争いになってしまいます。それはまったく不毛な議論です。

私が大事だと思うのは、相手の完璧でない(完璧だと思えない)部分をどれだけ愛せるようになるか、ということです。



哲学者のスラヴォイ・ジジェクという人がいますが、彼はこちらの動画の中で、こんなことを言っています。


「完璧な相手」とは恋に落ちることができないんだ。相手に小さな欠点がなければ恋をすることはできない。その「欠点」を理解することで、「その不完全さにもかかわらず彼 / 彼女を愛する」と思えるようになる。


またジジェクは動画の中で、こんなエピソードを披露しています。ある女性がパートナーから「あと1、2キロ痩せれば君は完璧なのに」と言われたそうです。それを聞いたジジェクは「絶対に痩せてはいけない」と彼女に言いました。もしダイエットに成功したとしても、それで彼女は「完璧」になるわけではなく、プレーン(普通)になるだけだ、と。

どこにも欠点や過剰さがなかったら、「これがなければ彼 / 彼女はもっと完璧なのに」と想像する余地がありません。この想像の余地こそが完璧さという幻想を生むのだ、とジジェクは言います。

「あと1、2キロ痩せれば君は完璧なのに」と言う男性は、目の前の恋人のお腹のラインではなく、それと理想的なラインのズレを見ているのです。理想と現実を比較している時、目の前の現実を本当の意味では見ていません。現実を通して理想を見ようとしているのです。

そのことを自覚できたとき、ジジェクの言うように、「その不完全さにもかかわらず彼 / 彼女を愛する」と思えるようになるのではないでしょうか。そのときはじめて、目の前の恋人のお腹のラインが現にこうである、ということを愛せるようになるのではないかと思います。


相手を自分にとっての完璧に近づけようとすることはできません。けれど、自分が相手にとっての完璧に近づこうと努力することはできます。それもとても重要なことだと私は思います。ただしそれは、相手に要求されて変えるのではなく、「あなたにとっての完璧に近づきたい」という内発的な欲望にもとづく行動でなければなりません。

もちろん、相手が同じように自分を愛そうとしてくれなければ、関係は長続きしません。中には、付き合ってみてからとんでもなく自分勝手でひどい人だったことがわかることもよくあるので、時には早めに切り替えることも重要であることは言うまでもありません。

しかし、自分が変えられるのは自分の考え方や行動だけです。だからこの恋愛論は基本的に「自分はどうすればいいか」ということに焦点を絞って書いています。

相手を変えようとしている間は、決して幸せになりません。自分がまず変わろうとすることで、はじめて相手の中にも「自分も応えなければ」という気持ちが湧き上がる可能性が生まれるのです。



目の前のあなたが運命の人でないとどうして言い切れるだろう

恋と愛の違いはなにか、ということについて、ここでようやく触れておこうと思います。坂口安吾が「恋愛論」で述べているように、言葉は所詮言葉であり、たまたま日本語には「恋」と「愛」という二つの言葉があるだけで、人間にあらかじめ二種類の感情が備わっているというわけではありません。

しかし一般的な感覚として、「恋」にはどこか利己的なイメージや、遠くにあるものを思い慕うというニュアンスがあります。一方「愛」は目の前のものを大事にするというイメージや、利他的なニュアンスがあります。この「傷だらけの恋愛論」の中では、そのニュアンスの違いを積極的に意識して使い分けています。

の魔法が解けて、目の前の人が理想の相手ではないとわかってから、本当のがはじまるのだ、と私は考えています。そのときふたりは初めて本当に出会うのだ、と言ってもよいかもしれません。


さて、心の穴の形にぴったりとはまる他者なんていない、とこれまで何度も書いてきましたが、ここでその一歩先へと進むことを試みて、次のように書いてみたいと思います。

愛とは、自分の存在が相手の心の穴を完全に埋めることはできないと知りながらも、それでも少しでも隙間を埋め続けようとすること、ではないでしょうか。

「恋」は、実際はぴったり理想通りではない人間同士がお互いを運命の恋人だと思うことによって始まり、その錯覚が解けることで終わります。

そして今度はそこから、お互いが相手にとっての理想に近づいていくことで、自分自身の手で出会いを運命に変えていく「愛」がはじまるのです。


私はこう思います。運命の人は、はじめからそうとわかる姿で到来するわけではないのだ、と。どのような出会いの中にも、運命が潜んでいるのです。問題は、あなたがその出会いを運命だと信じられるかどうか。自分の手で運命を作っていく覚悟ができるかどうか。そこにかかっているのではないかと思います。

ひょっとしたら、目の前のあなたが運命の相手かもしれません。本気で確かめようとしたわけでもないのに、どうしてそうでないと言い切れるでしょう?



今回のまとめ

「ひとつになりたい」という欲望は最終的に果たされることなく、理想と現実のギャップがあらわになっていきます。すると相手の理想と違うズレの部分を変えたいという願いが生まれるのですが、実は完璧さというものがそもそも、そのズレを通してしか見ることのできない幻想なのでした。

お互いに相手を変えようとする衝突を避け、愛を確かなものにしていくために大事なことは、相手の完璧ではない部分を愛すること、そして相手を変えるのではなく自分自身が変わろうとすることです。


今回までで、恋に落ちてから愛へと至るまでの流れを大まかに辿ることができました。もちろん、ここに書いているのはある種のモデルケースなので、現実にはもっと多様な恋愛があります。ただ、恋愛に関する欲望がどのように移り変わるのかということについては、大きく外れているということはないと思います。

さて、次回は少し流れを変えて、トラウマとフェティシズム(性的倒錯)の関係について探っていきたいと思います。恋愛で大きな傷を負ったあと、傷つくとわかっているのに、なぜか似たようなタイプの人にばかり惹かれてしまうということがあります。それはなぜなのか? ということについて書いてみる予定です。

ということで、それではこのへんで。


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