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すずめの戸締り感想 「死ぬのは怖くないのか?」(ネタバレあり)

 映像美や音楽の素晴らしさは勿論で、最初の12分の演出は、すっごく綺麗で鳥肌がたちました。映像の魅せ方も、楽曲のチョイスタイミング全てが最高。ストーリーの展開も綺麗ですごく楽しめました。

1.全体を通しての感想


  震災から10年がたった今あの頃の記憶は少しづつ世の中から薄れつつあります。そして、実際のあの現場にいた人達もそれぞれの場所で暮らしていっています。まだ手付かずの地というものは残しながら。そしてそれを背負いながら、消えることの無い過去として。
 この映画で改めて災害の怖さやあった人々の辛さを再認識したと思います。けれど、それだけで済んではいけないと思います。"可哀想"なんかじゃないというのも忘れてはいけないと思う。すごく辛い出来事ではある。でも、人は生きていきます、少しの希望を見出して、絶望の中でも誰かが抱きしめてくれたり、手を引いてくれたり、時間をかけまた自分で見出し立ち上がったりして。それは、誰しもがそうです。死は真隣に常にいる。すずめが劇中に言ったように、生きていることや死ぬことなんて運でしかない。しかし、人は何かを見出して、過去を抱きしめて、生きていく。そんなメッセージを感じました。

2.草太とすずめ



草太がよくすずめに「死ぬのが怖くないのか」と問いかけていました。すずめはこわくないと返していました。ここが2人の共通項だと思います。そう問いかける草太も閉じ師の仕事を使命だとし、自分の命を顧みない行動しています。
 すずめが死を怖くないと言ったのは、震災で母を亡くし、死というのはなんの前触れなく訪れることを幼くして知ったから。抗えないもので、運でしかない。そんなものを怖がったってしょうがない。そう考えていた。生きたいと願ったってしょうがない。
 草太もそうです。自分はそういう家系であるからと、自分の夢や希望を犠牲にする。大勢のためには1の犠牲は仕方がない。その1であることで、そういう自己犠牲的な精神が生まれたのだと思います。
 しかし、すずめやダイジンの導きにより、自分自身を思ってくれる人や手を差し伸べてくれる人の存在を知ります。そしてダイジンによりその"1"の辛さを今一度知ることになります。それにより、そこへの感謝や自分の「生きたい」という願いを知ります。すずめ自身も導きによって迷い込んでいた自分を救い出し、「生きたい」と願った。それが如何様に脆く儚いものでも人は願わずに居られないということを草太と一緒に受け入れたのかなと思いました。

3.ダイジン



  猫好きなのもあり、可愛くて仕方なかったです。

 ダイジンは、すずめの感謝や愛情により元気になったり衰弱する。草太は嫌いという。これはSNSの考察で読んだ、”神様というのは人の感謝により災いから守ってくれたり、呪ったりする”というものと合致することなんだというのは個人的には納得しています。
 これは神の伝承としての話でもあるかもしれないですが、すずめと環さんの関係でも言えることだろうと思います。「うちの子にならない?」というセリフは、すずめがダイジンに言ったものでも環さんからすずめに言ったものでもあります。環さんは自分の人生をすずめに注いできたところはあります。ダイジンも災いが起きないよう身をささげてきました。
 確かに他人のためという行動には時に自分自身の犠牲が伴います。でも、それが環さんが不幸ということになるのか。それはそうではなく、感謝や愛情様々なものによってその行動が報われるということも指しているのかなと思いました。(ダイジンもそうであってほしいなと思います)


 
 
 様々なとらえ方が出来る箇所がちりばめられていてすごく考えさせられましたし、それを探すのが個人的には楽しかったです。 

きっと見逃しているところもあると思いますし、新しい入場特典もほしいので、もう一度見に行きたいなと思います。

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