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社会復帰計画記録その109

わたしは家族のことが好きだ。
大切に思っている。

まずそのことを念頭に置いて、これ以降読んでもらえるとうれしいです。


わたしの親戚は物凄く優秀だ。

あまり詳しく言及するのは控えるけど、とにかく優秀だ。ずば抜けている。

正直「そんなこと可能なのか…」と驚くぐらい優秀。

もちろん、人一倍、いや、人百億倍以上の努力があってこそ成せるものだと思う。


しかし、だとしても、一見「そんなこと可能なのか…」と思うようなことをやってのける。


それに際して、両親は親戚に絶対的信頼を置いている。

あの子ならできるでしょ

そう信じきっている。


けれどわたしに対しては、

「そんな夢みたいな話して…」
「そんなこと無理でしょ」
「そんな夢みたいな話はやめて」

そう言う。


それは過去にわたしが大成した実績がないからだということは理解している。

だけど、新しい事柄に対して、特にエンタメに通じるようなことに関しては、拒否反応起こしてるんか?ってくらい否定する。


たとえば、「TOEICで900点とります!」と宣言したとする。

その場合、所謂"社会"において意味があるとされている事柄だから「まぁ、そんなに高得点は無理だと思うけど頑張って」と、その時点において高過ぎる目標を否定しつつも応援してくれる。

でも、エリア活動に関しては「いつまでも夢見て何を言ってるんだコイツは。」という反応なのである。

「やめろ」と行動を止めこそしないものの、とにかく「そんな話はやめなさい」のスタンスなのだ。


これにおける差は一体なんなのだろう。

先に書いた通り、親戚がやってのけたことは、それまでの努力、生まれ持った能力、さまざまな要素を加味してもとんでもなくすごいことなのだ。
だからたしかに「あの子ならできる!」と信じきるのも無理もない話。

しかしそれにしても、そちらは手放しに「あの子ならできる!」となるのに、わたしが新しい事柄に挑戦することに対してはなぜそんなに後ろ向きなのだろうか。


重ねて言うが、わたしは両親のことが好きだ。

何の問題もない家庭というわけではなく、いろいろと頭を抱えることはあるけれど、わたしという人間をここまで見守ってくれて感謝ばかりだ。

それは大前提として、それとは別に、なぜそんなにも新しいことに対して拒否反応を示すのか、純粋に甚だ疑問なのである。


それはわたし自身の問題だけではなく、両親のコンプレックスからきているのかなと分析してみたり。

自分の娘がそんなことできるはずない
大成するのは生まれ持ったものがある人のみだ


そんな風に思っているのだろうか。

なぜそんなに後ろ向きなのか、文句などではなく、シンプルに疑問を抱く。


現状のわたしの姿を見て、全力で応援してほしい!というのは難しい話だ。

親としては、安定した職に就き、結婚などをして家庭を持ってくれたらさぞ安心ってかんじだと思う。
そんな中、「エリア活動するんだ!」と言い張ってる娘を前に「うんうん!いいぞ!あなたは大成功する!全部うまくいく!最高!」って言えというのは酷な話だとは思う。さすがに。


そこまでを望んでいるわけではなく(もちろんそんな風に応援してもらえたらうれしいけど)、拒否反応の如く否定することもないのになあ。

物事を不可能に閉鎖的にしているのは、まず第一に自分の思考なのに。

悲しい寂しいというような感情はなく、ただこの状況をありのまま「不思議だなあ」と感じている。



わたしはわたしでやはり自分自身を信じ続けるしかない。

自分自身を信じ続けて、突き進んで、そして、「ほら!できたでしょ!」と伝えてみせる。

それが目的で活動するわけじゃないけど、それも目的のうちのひとつとして、突き進んでいく。

目的や目標は多い方がわたしの活力になるし!!!!!

よっしゃ!!!!!!!!

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