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刈り上げたい衝動。

この土日は東大TICPOC。2022年度の最終講義で、心理職以外の多職種も大勢講義を受けている。毎回学びの多い素晴らしい内容なので、来年度もいくつか講義を受けることにした。

https://co-production-training.net/course-c2022/

今日の上野千鶴子先生の講義は、2021年度に続き2回目。当初の演題は「当事者主権の福祉社会へ」だったけど、実際のタイトルは去年同様違っていた。そしてやっぱり、2.5時間の講義でヘトヘトになった。

なんでこんなに疲れるのかは明快で、自分の中にある(あるいはもう過ぎ去ったことにした)怒りにめちゃくちゃ火をつけられるからだ。

あらゆる”不当さ”への怒りを、上野先生はいつまでも轟々と燃やし続け、多くの人の蒙を啓き続けている。去年も講義後、全く同じことを思った、「何がそんなに、先生の燃料になっておられるんですか?」と。

 

私も、多くの女性と同じく、女性であるために不当で不快で怖い目に遭ったことはある。セクハラ、パワハラ、モラハラ、マタハラ、ルッキズムにマンスプにエイジズム。こんなの枚挙にはまだまだ暇がない。我慢していればやられ続けるし、物申せば怖いだの可愛くないだの言われ叩かれる(年上の女性からも叩かれる)。信頼して尊敬してた男性が、一皮剝いてみたら男尊女卑野郎だったなんてことも少なくない。先日も、仕事関係者にお酒の席でセクハラをされた。私の横を通り抜ける際に体の輪郭をツツ〜と両手で触られ、おそらくご本人はその場の潤滑油的に使ったであろう言葉で不快な気持ちにさせられた。ああ、まだあるのか、この年になっても…とかるーく絶望したところ。


無報酬労働を当然の如く強いられる、頼んでもないのに性的にジャッジされ搾取される、能力や意欲に関係ないところで知らないうちにひどく割を食っている、何か言えば煩がられる。行政のあらゆる面で存在を軽んじられていることを歳を重ねるごとに思い知らされる。
そんなのこの国に女性として生まれたら誰でも経験している。
いちいち辛く感じてたら身がもたないけど、黙っていたら負の連鎖が次の世代に続くだけ。だからといってどうしろと?ああしんどい。ああ、本当にしんどい。

 

私は、セクハラパワハラ長時間労働が嫌で最初の会社を辞め、次の職場ではマミートラックに絶望して独立した。研究所時代は、研究員は全員既婚女性だった、所員は男性の大学教授ばかりなのに、である。これがどんな未来を意味するかは分かっていたけど、当時は気づかないふりをしていた。その環境で時短ワンオペワーママになった私は完全に詰んだ。

女性で院卒で時短ワーママで、とハンデだらけだった私が、裁量をもって働くには、独立するしかなかった。大黒柱として働きに見合っただけの収入を得るためには、起業するしかなかった。他になかっただけだ。辛ければ自分が動いて変わる、という方法でここまで生きてきたけど、それは同時に、「その場所で不当さと戦う」ということを選ばなかったということでもある。

その時は戦うなんて出来なかったし、心身が持たなかった、それより、行く先がたとえどんな荒野だろうが、独り飛び出した方が希望があった。そしてその度に、確実に自由に軽やかに幸せになってきた。なので、私が誰かに言えるのは「私みたいな生き方もあるよ」ということくらいだった。

最近仕事で出会う方々には、私にそんな過去があるとは思われていない事が多い。ずっと前向きで成功してきた人だったと思われがち、そしてもっと高尚な何かがあって独立起業したかのように思われがちだけど、実は全然違う。

たしかに、嫌な出来事をバネに行動する力は私は強いし、こうと決めたら動きも速い。私は私なりに身一つで戦ってきたし、苦しい思いをしているあらゆるマイノリティを、自分の専門性を生かした仕事、という形で支えることで、誰かのためにも戦っているつもりだ。

でも、上野先生のパワーを浴びると、腹の奥底が気持ち悪ーく煮えたぎってくるのは、自分だけがサッサと動いて逃げた先で幸せを勝ち取る、という、この、ある意味、女性の中の身勝手な強者、みたいなものを意識させられるからなのか。つまりは不当さと戦わなかった自分の弱さ不甲斐なさに向き合わさせられるからなんだろうな。


前職で副社長になったとき、アシンメトリーなツーブロックショートにして片側を刈り上げたのだけど、「もう好きな髪型にしてもいいよね!」という喜びの現れでもあり、かつ、男性メインの社交の場に出ざるを得ない立場として「女として見ないでね?」という意思表示でもあった。不愉快な目に遭うことは格段に減った。あれは清々しかったなー!!

2017年当時に撮影



自分の中の女性性が定期的に嫌いになるのだ。上野先生も著書の中で書いている、「自分の中にあるミソジニーと闘い続けてきた人をフェミニストと呼ぶ」と。ならば私はフェミニストだろう。

今はイヤリングカラーを定期的に変えてて、今のグリーンから次はまたアッシュグレイにしようかなと思ってるけど、久々にツーブロにしたくなってきました。まだまだ、私は怒っているみたい。

読んでくださってありがとうございます。力が抜けたり元気が出たり、人間ってそんなもんかーと思ってくれたら嬉しいです。