見出し画像

心の地獄から引越をしていく。

ダークサイドからもちろん戻ってまいりました。ほらね、早いんですよw

ところで。

私のサウナ師匠、別名お地蔵さん、から、突然投げ込まれたキーワード、「地獄の引越屋」。

自分に価値がなければ生きる価値もないが死んで楽になることもまた罪深いので死ぬことも許されない。そのため苦しんでおります。

というような辛さを話したある人に対し、

それは地獄だね、とぼくは言いましたが、「いやいや、みんなそうだよ」とこの世界に生きる常識的な人たちがわかったような顔でそう言うのだとしたら、常識的な世界は地獄だと言える。そしてそれは連鎖して、お互いを地獄に縛り合う、そういう呪いを掛け合っているように見えてしまう。こわっ。
この世の中に地獄があるとすれば、自分が自分を許さないこと、そのことが地獄だというのだ。と僕は思うので、引越しをおススメしたい。

とお地蔵さん。

「まりこちゃん、ぼくな、地獄の引越屋やろうと思うねん」

との発言に、もう、膝を打ち抜くくらい激しく共感しまして、そこからわっせわっせと引越屋を立ち上げましたよっと。



私自身が、何度も心の地獄に落ちているわけです。いや、昔は定住していましたね。

そこに居るときは、もう自分は本当にそこに居るべくして居る人間なんだと思ってしまいます。獄卒に茹でられたり、刺されたり、裂かれたり、すんごくつらいのに、「だって私はこうされるべき人間なんだもの・・・」と真顔で思って、真顔でその痛みを受け入れ続けている。むちゃくちゃ辛いのに。まさか、極楽があるとも思ってないし、あったとしても自分と関係あるとは思っていない。


いやー、怖いね。

何が怖いって、「そこに居るべきだ」と信じていること、それと、周囲の人間もまるごとその地獄に漬かっているので、「みんなそうだから」と、それが普通みたいに思ってしまっていること。

こういう時は、せいぜい地獄の中でうろうろしているだけで、「出られるよ」と言われても「そんなはずは!ございません!」「出てはならぬのです!」みたいになってます。


今は、そこから出られることも、実際に地獄から出てご機嫌に過ごしている自分も、十分に知っているので、うっかり落ちてしまっても、「また落ちたか」「今度は何地獄だ」「あー、いつものやつか!まだそこか!」みたいな感覚でいられる(実際、すんごくつらい。でも、俯瞰して見てもいる)。


こないだ落ちた地獄は「社会的に正しく生きろ地獄」「世間にわかりやすくないとダメ地獄」「価値がないとダメ地獄」でした。


獄卒に散々痛めつけられて、愛の鞭で「これに懲りたら二度と来るなよ~!!!!」とやられ、「はい、二度と来ません!!!!!」と引っ越したはずなのに、私はここにたまーに落ちる。蜘蛛の糸の逆verで、すっこーん!と明るいところから落ちていく感覚。


そうそう。笑い飛ばしていきたい。そして、「出られんと思うとるやろ?いやいや、出られるからね。ほら」ってしていきたいのですよ。


これまで大真面目に、心理学的な切り口から人の支援をしてきていますけども、もっと「うっかり落ちるよね~釜~w」「また昇ったよね~針山~w」みたいなノリで、でも、「いや、獄卒の仕事増やしたらあかん、はよ出よw」「地獄の常連客やばすぎ今度こそ出よw」みたいに、軽やかに笑い飛ばしていきたいのです。


ととのえ如来

ととのえ如来。私です。ホクロがポイント(⌒∇⌒)


豊かなはずの日本。なのに、誰も、彼も、そして吾も、皆そこに落ちがち&住みがち。だからこそ、誰であろうが関係なく「地獄の住人」であれば、そこから出ていく手伝いが出来ればいいと思う。助け、助けられ、皆もろともに出て行ってしまえばいいと思うし、また落ちたとしても極楽に戻れることがわかっていれば大丈夫なのです。


そんなわけで、ととのえ如来としての活動も、たぶん、いや間違いなく、一生やっていく。


素晴らしいイラストと書をありがとうございました。

画像1

イラスト:まつざきさいか

地獄の引越屋3

書:たけがみこうじろう

読んでくださってありがとうございます。力が抜けたり元気が出たり、人間ってそんなもんかーと思ってくれたら嬉しいです。