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品質不正問題の背景を心理的安全性欠落の視点で考える

いくつかの企業による品質不正問題が取り上げられています。検査結果の改ざんなどによる不正問題は、昔から存在していて、なかなかなくなりません。

いくつか記事を抜粋してみます。

5月11日日経新聞「「不正起きる環境変える」 トヨタ佐藤社長 初の決算発表」

「衝突安全に関わる領域なので不正はあってはならないことだと思う」と述べた。その上で「車作りに携わっていて、不正をやろうとしてする人間は本来いないはず。何か環境条件があるのだと思う。それを突き止めるためには我々が行動で示すしかない」と述べた。

5月11日日経新聞「管理職5000人と出直す 三菱電機社長が抱く危機感 三菱電機、不正からの再起(3)」

一連の品質不正が見つかったのは、工場の生産自動化を検討する際に偶然分かったのがきっかけだった。製造業で品質不正が頻発した16〜18年度に三菱電機でも全社調査をしたが、ほとんど見つけられなかった。社員が調査に非協力的だった。

現場の社員は入社してから長年にわたって1つの工場で働くことが多い。遠い存在の本社より、職場の人間関係に従うのが当然とみなされていた。兵庫県の工場の社員は「本社が何かをしてくれるわけではないし、意識することはない」と明かす。

4月29日の日経新聞「ダイハツ社長「1回で試験通す重圧か」

「横から衝突を受けたときに部品が危険な割れ方をしないようにして、試験を通りやすくすることを考えたのではないか。全貌はわかっていないが、衝突の担当の人間に『1回で試験を通さなくてはならない』というかなりのプレッシャーがかかっていた可能性がある。職場の風土を含めて調査して報告したい」

上記などの背景として、「お客さまより自社優先となっていて、真の意味でお客さま第一の考え方が実践できていない結果」「目標という手段が目的化してしまい、目標マネジメントがねじ曲がっている結果」などの指摘ができそうです。

上記に共通しそうな別の観点としては、その組織に「心理的安全性がない」ということが、指摘できるのではないかと考えます。

ヤフーニュース「「心理的安全バブル」にご注意を! : 心理的安全とは「みんな仲良くぬるま湯につかること」ではない!」(中原淳立教大学 経営学部 教授 2020/6/19)に示唆的な内容があります。一部抜粋してみます。

皆さまは「心理的安全」という概念を耳にしたとき、どういうイメージを思い浮かべますか?こう問いますと、多くの人々が「心理的安全」という言葉から喚起されるイメージは、仲良くすること、安心・安全、関係の質(チームメンバーの関係の質が良好であること)といった「ポジティブなイメージ」を浮かべる方が多いのでしょう。

 でも、僕が、もし「心理的安全」という概念のイメージを聞かれたなら、こうお答えすると思います。

 心理的安全ですか・・・そりゃ「大変」ですね。
 心理的安全ですか・・・「ややこしい」ですよね、世の中読めませんしね。

 別の言葉で申し上げるのならば、心理的安全ですか・・・そりゃ「シンドイ」でしょうね。といっても、過言ではありません。

 心理的安全とは、もともとハーバード大学のエドモンドソン教授が、今から20年くらい前に、組織論(チーム研究)のなかで用いた概念です。(Edmondson (1999) Administrative Science Quarterly. 44(2))。

エドモンドソン先生は、この論文ないしは、その後の一連の研究で、先行き不透明な環境においては、心理的安全性が高いチームであればあるほど、率直にものがいえて、そのことによってチームが学べて、パフォーマンスにつながること。それを生み出すためには、チームリーダーの支援型のリーダーシップが必要であることを明らかにしました。

この論文のなかで、エドモンドソン先生は、心理的安全とは、「このチームで、もしリスクをとって、(率直にものを言ったり行動したとしても)、対人関係上、亀裂や破壊がおこらないであろう」という(チームに)共有された信念」としています。

ここで重要なことは、「心理的安全」という概念が、率直にものをいったり、行動し「リスクをとること」と隣り合わせの概念であること。そして、その「リスクテイキング」によって「チームのなかに対人関係上の亀裂」ーすなわち「他者から刺されたり」「他者からやられたりすること」が起こらないといったことに起因した概念であるということです。

別の言葉でいいましょう。チームのなかで、挑戦したり、勇気をふりしぼって発言をしたりする(speak up)。そういうリスクをとる職場において、そのことで「背中を刺されない」のが「心理的安全」です。

つまりね・・・
心理的安全とは「ぬるま湯」でもなければ、単なる「関係の質」を高めることではない
関係の質を高めて、みんなが仲良くチーパッパする「関係の質牧場をつくりましょうよ」的な概念ではない
のです。

心理的安全とは「リスクをとった率直な行動をとること」「チームの他のメンバーから刺されないこと」といったコンテキストに存在する、ハードな概念であるということです。

もし「遠い存在の本社より、職場の人間関係に従うのが当然とみなす」の結果、不正は本来まずいだろうと思いながらも、「職場の人間関係で丸く収めていれば問題にならないのだから、前例にならって穏便にいこう」と思ったとしたら、それは上記指摘にある「ぬるま湯や単なる「関係の質」を高めること」に当たるのでしょう。

あるいは、もし「車作りに携わっていて、不正をやろうとしてする人間は本来いない。何か環境条件がある」ということで、不正に対して「これはまずいのでは?」と声をあげようとしてもそれが聞き入れられないと感じてしまって声をあげられない、実際に声を上げたが干されてしまっていた、などであれば、それは「対人関係上、亀裂や破壊がおこらないという共有された信念」に当てはまりません。

いずれにしても、上記にある心理的安全性の定義を満たしていないことになります。

「信念」とは、どういう意味合いでしょうか。Web辞書を引くと、「固く信じて疑わない心」「物事を正しいと信じて疑わない自分の気持ち」などと出てきます。

「経営理念」などで使われる「理念」とは、「ある物事において「このようにあるべき」というような根本となる考えを意味するもの」と説明されています。考えの共有である理念の共有よりも、「信じて疑わない気持ち」という、個人の感情の要素が加わる「信念の共有」である心理的安全性は、かなり実現が難しいと考えることもできそうです。

だからこそ、有力企業と言われる企業であっても、実現が難しいのだとも言えそうです。冒頭の事例は他社で起こった特別なケースというわけではなく、自社でもいつでも起こりえる事象だととらえるべきなのだと思います。

実現が難しいがゆえに、息の長い包括的な取り組みが必要なのだと考えられます。上記記事では、そのことについて次のように考察されています。

巷には、心理的安全を高めるための「1日間力研修」やら、心理的安全を高めるための「1日チームビルディング研修」やら、心理的安全を高めるための「1泊2日の社員旅行」やら、いろいろあるようです。が、この概念のめざすところは、これら個別の打ち手では、なかなかただちに解決できないようなものです。

むしろ、自分の組織の職場に「心理的安全」を実現したいのならば、人事の仕組み、システム、制度、サーベイ、研修総掛かりで実現しなければならない。僕はそう思います。

ちなみに、同記事では次のようなお話もあり、たいへん示唆的に感じました。

よくセミナーなどでは、「グーグルが提唱している心理的安全」といったかたちで、この概念が取り扱われ、ありがたがられています。へそ曲がりな小生は、「みんなの会社は、グーグルじゃないよね。なんで、みんなグーグルのマネをしたがるのかな」と思いつつ、お話をうかがっております。

(このグーグル崇拝現象・・・不思議ですよね・・・グーグルが瞑想してると聞けば、みんなでマインドフルに瞑想しはじめる。グーグルが心理的安全といえば、それにとびつく。でも、そもそも他社と同じ事をやったら競争優位が生まれないのでは? どうして人事施策だけは、差異化を行わず、他社と同じ事をやりたがるのでしょう? 今日は、このくらいにしておきますが・・・)

<まとめ>
不正問題発生の背景には、心理的安全性の大きな欠落が一因と考えられる。

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