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キャッチボールとドッジボール

先日、ある経営者様から「コミュニケーションはキャッチボールが大切だというのを、改めて痛感している」というお話を聞きました。社員との対話が不十分で、「意見を引き出して集める」「会社の理念や方針を理解してもらう」ということがこれまで不十分になっていたという振り返りから出てきたお話でした。

同経営者様とお話する中で、「キャッチボール」というコミュニケーションの例えについて、改めて3点感じました。

・キャッチボールはドッジボールではない

以前どなたから聞いたのか忘れてしまったのですが、「コミュニケーションはキャッチボールであって、ドッジボールではない」という言葉が印象に残っています。コミュニケーションというものをとても的確に捉えている言葉だと感じます。ドッジボールは、一方的にぶつけて終わりです。

すなわち、自分が言いたいことを言い放つだけで、満足してはいけない。相手が自分の話したことを受け止めてはじめてコミュニケーションは成立する。また相手からのボールを受け取ることも必要というわけです。自分の言いたいことを伝えたつもりでも、「伝わった」とは限りません。ボールをぶつけただけになっていないか、振り返ってみたいところです。

・相手の受け取る力を育てる

これは、特に上司や指導者など組織で上位者の立場にある人が、下位者に対するときに必要な視点だと思います。

書籍「修身教授録」に紹介されている哲学者の森信三氏による目下の人に対する心得について、一部抜粋してみます。

目下の人に対する心がけとしては、どうしても「思いやり」と「労る」ということが大切でしょうが、しかしここで注意を要することは、心の中で深く同情していても、言葉の上にそれを表すのは、控えめにする方がよかろうと思うのです。

なぜかようなことを申すかというに、人間というものは他から「甘い言葉」をかけられますと、とかく甘え心の起やすいものだからです。特に上の人からの場合そうです。そこで心の中で深く同情しながら、みだりにそれを言葉の上に表すことは、控えめにする注意が必要でしょう。

目下の者が甘えるとか、さらにはつけ入るなどということは、結局は上の者の方が、先に心の隙を見せるからです。心の内では深く思いやりながら、しかもそのために私情に溺れて隙間を見せ、その結果、相手を甘えさせるというようなことに陥らない注意が必要でしょう。

昨今言われている「心理的安全性」の捉え方で的を外してしまうと、上位者が下位者の気持ちや意見に迎合するコミュニケーションになってしまいます。これはキャッチボールに例えると、相手である下位者にとって心地よく取りやすいボールをゆっくり投げるようなイメージではないかと思います。一見すると相手のためになるようで、実は相手のためにならないことを上記は示唆していると言えます。

常に心地よく簡単に取れるボールばかり受けていると、おそらくボールを受ける能力が下がってしまいます。そのうち、取りやすい位置から少し外れたボールや速いスピードのボールを、取りきらずにはじくようになってしまうかもしれません。

下位者に対して、不必要に荒っぽい言葉を使ったり強い口調で迫ったりする演出は不要ですが、「相手にとって耳の痛い話」であってもそれが相手にとって必要であるならボールとして投げて受け取ってもらうべきです。そうしたキャッチボールを通して、相手のボールを受け取る力を育てることも必要だと思います。

・「受け入れる」のではなく「受けとめる」

相手の投げたボールを受け取ってそのまま飲み込んでしまう、すなわち受け入れることは、相手の言ったことに同意・賛同するということにつながります。本当に賛同したい内容・場面で賛同するなら飲み込めばいいですが、相手とのコミュニケーションにおいては、賛同できない・安易に賛同すべきではない内容・場面が多いはずです。そのようなときには、「受けとめて、受け入れず」の視点が大切になってきます。

先日の投稿で「共感」と「同感」の違いについて考えました。「共感」が「受けとめる」、「同感」が「受け入れる」のイメージです。自分がそうは思わない内容については、「共感すれども同感しない」のが大切だということです。

ただし、「共感はする」わけです。相手がどんなボールを投げてきても、一旦は取りにいって受けとめようとする。受け入れるかどうかとは区別すればよい。それを、「この人の言うことは受け取らない」となってしまうと、関係性自体が成立しなくなります。

私たちは感情の生き物です。相手の言うことを常に受け取れるというのは、非常に難しくレベルの高い行動です。そのうえで、意識して取り組みたい視点だと思います。

<まとめ>
コミュニケーションのボールを投げるにも受けるにも、技術以前に姿勢が大切。

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