「自主的」と「主体的」
前回は、全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)で慶応義塾高(神奈川)を優勝に導いた森林貴彦監督へのインタビュー記事をテーマにしました。成果は偶然ではなく学びと努力から得られること、自分たちにとっての目的と成果を定義していること、「今、ここ、自分の課題」に集中することについて考えました。
4つ目は、相手の状況に応じてかかわる、ということです。特に、指導する立場の側にとって有益な視点になります。
同記事で、「サインは出さずとも自分で能動的に考えて実行するような人材をつくりたい」のように言及している森林氏も、一方で、「任せ過ぎた失敗、こまごま言い過ぎていた失敗もいろいろある。選手との距離感はいつも悩む」のようにも語っています。相手の状況に応じてかかわり方を調整していく視点が必要なのだと感じます。
ある経営者様から、「自主的」と「主体的」を区別して指導することをマネジャーには促している、と聞いたことがあります。もともとの言葉の本質も参考にし、同経営者様による定義は次のような意味合いです。
・主体的は自主的の上位概念。
・自主的は、自分がやるべきとされていることを能動的にやること
・主体的は、自分がやるべきことが何かを自ら能動的に考えてやること
自主的な人は、求められる役割や行動など、あらかじめ決められたことを自ら能動的に実行します。
例えば「このように挨拶して顧客対応する」「このマニュアル・手順に沿って確実にものを作り込む」といった決め事やルールがあったとして、受動的な人は上司や同僚など他者から言われてはじめて取り組みます。これに対して、自主的な人は、他者から言われずとも進んで取り組みます。既に決められたことを自分事として徹底できるかどうかです。
これに対して主体的な人は、なぜそれをやるべきなのか、それをやることの目的が何かまで考えて取り組みます。
「なぜこのような挨拶が必要なのか」「なぜこのマニュアル・手順に沿う必要があるのか」まで考えます。考えた結果、今ある決め事やルールを完遂することに加え、よりよい挨拶やマニュアルに変えていったり、「挨拶/マニュアル以外にも、目的達成のためにこんなこともするべきではないか」と、やるとよい他のことを提案したりできるイメージです。
同経営者様は、「社員が担当する業務の領域でいきなり主体的になれるわけではない。物事には段階がある。まずは十分な自主性を発揮できると言えるところを目指す。主体性を発揮するのはその次でよい。十分な自主性が出来上がっていない間は、言われたことを素直に受け入れていくのが大切だと思う」と言っていました。
月刊誌「致知」12月号では、乾友紀子氏(2023年7月福岡開催の世界水泳選手権ソロ種目で2個の金メダルを獲得、2大会連続2冠の偉業達成)と、井村雅代氏(乾氏の専属コーチ、アーティスティックスイミング界の名指導者)の対談が紹介されています。一部抜粋してみます。
上記からは、本人がやるべきと周りが考えて言ってくることは、まずその通りに実行してみることが大切だというのを認識します(もちろん、言ってくることが的を外した非常識なことではなく、妥当な内容であることが前提ですが)。
つまりは、いきなり「主体的」になるのを目指すのではなく、まずは「自主的」になるのを段階として目指すという視点です。「自主的」というステップを踏まずして「主体的」になることは難しいのではないかと思います。
そして、このことは、学生だけではなく社会人でも同様のはずです。何歳になろうとも今までの自分の経験にはない新しいチャレンジや場面というのがあるものです。社会人経験も長くなると、人の言うことを素直に聞きにくくなるものですが、まだ「自主的」な行動すらおぼつかないような自分にとっての新たな領域については、素直に聞いてその通りにやってみる、ということが大切なのだと思います。
ゴルフのスイングを我流で体得しようとするより、レッスンプロに指示してもらってその通りにひたすら振ったほうが、結局上達が早い、というのと同じです。
一方で、ずっと指導者の言うとおりにさせるだけでは、主体的ステージには移行しにくくなります。指導者の側としては、相手に十分な自主性が発揮されてきたと言えるか、そろそろ自分発でどうしたらよいかを考えてもらう主体性を目指す段階に来ているかどうかを、注意深く見届けて指導に当たることがポイントになってくると考えます。
<まとめ>
「自主的」を経由して「主体的」に移る
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?