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分度を守った挑戦と無謀の違い

株式会社 致知出版社 藤尾秀昭社長のビデオ講話を拝聴する機会がありました。講話は、二宮尊徳氏をテーマにした内容でした。改めて、二宮尊徳氏の教えが時代を超えて学ぶべき生き方だということを認識すると同時に、その実践の徹底度合いに圧倒された次第です。

同講話からは、大きく3つのことについて思いを新たにしました。ひとつは、目の前のご縁と機会に集中するということです。

「至誠」を本、「勤労」を主、「分度」を体、「推譲」を用とする。報徳思想の4つの考え方とされていることです。この4つについては次の通りです(真岡市公式ホームページ参照)。「至誠」を土台とし、この4つをやり続けていたら、発展しないわけがないと示唆しています。

・至誠:「まごころ」のこと。物事への取り組みを、真心をもって誠実に行うこと。

・勤労:物事をよく観察・認識し、社会の役立つ成果を考えながら働くこと。

・分度:自分の置かれた状況や立場をわきまえ、それぞれにふさわしい生活をすることが大切。また、収入に応じた一定の基準(分度)を決めて、その範囲内で生活することが必要。

・推譲:将来に向けて、生活の中で余ったお金を家族や子孫のために貯めておくこと(自譲)。また、他人や社会のために譲ること(他譲)。

同講話では、「分度を超えて何かやったら人間は滅びる」と聞きました。自分にとっての分度とは、何であり、どの範囲までを言うのでしょうか。

二宮尊徳氏は、殿様(小田原藩主 大久保忠真氏)に頼まれて桜町領の立て直しに行きました。桜町は3000石の表高にも関わらず、荒廃がひどく進み、収穫が800石にまで落ち込んでいて、それまでに小田原藩から派遣された担当者が、ことごとく立て直しに失敗していました(ウィキペディア参照)。

この立て直しを二宮尊徳氏は引き受けます。そして、自分の田畑や家を売りはらって桜町領に住み込んで自身に背水の陣を課し、立て直しに賭けて打ち込んだと聞きます。そして、この立て直しを成功させ、他領の範となって、次々と立て直しを広めていきます。

地方に住む1人の人間が、自分の資産を手放して、立て直すのが誰の目にも困難な桜町領を立て直しに行くなど、一般的な感覚ではそれこそ分度を超えていると思えてきます。

しかし、二宮氏は自分の田畑や家を売ってそれに賭けて打ち込みました。このことと、分度を超えたばくちの大勝負とは何が違うのでしょうか。もちろん、その目的に大義や社会性があるという点が違うわけですが、「それぞれにふさわしい生活をする」の範囲から大きくはみだしてしまってように思えます。

私なりに考えて行き着いた答えは次の通りです。

自分が頼まれるということは、自分が求められているということ。求められる物事の大きさは、社会から期待される報徳のチャンスの大きさであるということ。自分が尊敬する人から頼まれるということは、それができる人だと自分が認められていること。そのチャンスには応えるべきだ

二宮氏も、このような大きな報徳のチャンスをいきなり社会から期待されたわけではなかったのだろうと思います。二宮氏の遺した言葉に、「積小為大」があります。

積小為大(せきしょういだい)「小を積んで大と為す」:
小さな努力をこつこつと積み上げていけば、いずれは大きな収穫や発展に結びつくという教えです。大事を成しとげようと思うなら、まず小さな事を怠らず努めることが大切です。
(真岡市公式ホームページより)

桜町領の立て直しは、積小為大で、小さなことの積み重ねの先にめぐってきた大きな話なのではないかと想像します。

目の前の日常のご縁と機会を大切にし、それらに向き合った姿勢・行動と結果が蓄積されていくことで自分の土台となっていき、一見すると無理と思える物事も、実は自分にとっての向き合うべき、可能なご縁となっている。

だからこそ、桜町領の立て直しのために田畑や家を売り払って臨むことは、日々怠惰な生活をしている者にとっては分度を超えた無謀ですが、二宮氏にとっては分度の範囲内だったと言えるのではないか。そのように考えてみたわけです。

私などとはスケールが全然違いますが、例えば稲盛氏のところに来たJAL再生の話も、同じような境地だったのかもしれません。

続きは、次回以降のコラムで取り上げてみます。

<まとめ>
一般的な基準の「無謀」も、積小為大の確かな蓄積が土台となることで、「分度をわきまえた挑戦」となりえる。

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