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前橋汀子ヴァイオリン・リサイタル

前橋汀子さんの紹介

9月24日、アクロス福岡シンフォニーホールにて前橋汀子ヴァイオリンリサイタルを開催します。ピアノは松本和将さんです。


ピアノの松本和将さん

前橋汀子さんの紹介をします

ヴァイオリニストの前橋汀子さんは1943年。12月生まれ、。演奏活動60周年を迎えられました。前橋さんと言えば、私たちの年代には超一流バイオリニストとして有名でした。20数年前アクロスでベルリンフィルとの共演があったときには前橋汀子だ、と私も喜び勇んで行きました。
前橋さんが初めてヴァイオリンと出会ったのは4歳の時。婦人之友の愛読者であった母の輝子さんが汀子さんを目白の幼児生活団に入れたのがきっかけでした。婦人之友2018年8月号にも記事が載っています。前橋さんの著書も参考に少し紹介します。




婦人之友2018年8月号64ページ「読者を訪ねて」


生活団では子どもたちが楽しみながら音楽に触れる時間があり、当時はピアノかヴァイオリンを選ぶことになっていました。体が小さく、また、ピアノは高価だったので母の輝子さんがデパートで子ども用のヴァイオリンを買われたのが始まりでした。家の壁には、一日の生活時間を書き入れた大きな時計の絵が貼ってありました。朝起きたら顔を洗って歯を磨き、朝ごはんを食べて、ヴァイオリンを練習する。前橋さんは子どもはみんなヴァイオリンを練習するものだと思っていた、練習をしないのは、ご飯を食べなかったり、歯を磨かないのと同じことだと思っておられたそうです。
6才から、日本のヴァイオリン界の基礎を築いた小野アンナ先生につき、週2回の本格的なレッスンが始まりました。レッスンの日は早く起き練習してから学校へ、帰りは駅でヴァイオリンを持つ母の輝子さんと合流、ホームのベンチでおやつ、電車で宿題を片付け、先生のお宅へ。厳しく情熱的なレッスンで、先生はロシア人でお盆もお正月も関係なかったそうです。
1950年代はまだ戦後の困難を引きずる時代でした。一流ヴァイオリニストが来日すると、母の輝子さんは汀子さんに演奏を聴かせようと、つましい家計からチケットを1枚買い、自分はホールの外で待っておられたそうです。ロシアは当時ソビエト連邦という国でした。
ソ連から来日したヴァイオリンの巨匠、オイストラフの演奏を6年生の時聴き、また、小野アンナ先生は、自宅にソ連の演奏家をたびたび招かれ前橋さんはあんな演奏がしたい、ソ連で学びたいと思うようになります。ロシア語も中学のころから学び、桐朋女子高校音楽科2年のときレニングラード音楽院に留学の機会を得ました。船と汽車、飛行機を乗り継いで1週間の旅でした。東西冷戦の中、両親の反対を押し切っての留学でした。
20才で帰国、その後アメリカのジュリアード音楽院に留学。27歳でスイスでシゲティのレッスンを受け感銘、スイスに10年間住み、1980年日本に帰国されました。前橋さんがソ連に留学した3年間は丁度フルシチョフの時代で音楽やバレエやオペラなど芸術が奇跡的に一番花開いた時でした。多くの天才的なピアニストやバイオリニストたちがそのころのソ連で輩出されました。クラシックの黄金期でした。前橋さんはソ連の3年間が音楽家としての基盤になったことを実感すると書いておられます。

前橋さんの自伝著書「私のヴァイオリン前橋汀子回想録」早川書房
「ヴァイオリニストの第五楽章」日経新聞出版
福岡友の家書籍コーナーでもお求めになれます。


今現在の前橋さんは、ソロ、デュオ、アンサンブルなどコンサート活動はもちろん、クラシックになじみのない人たちにも気軽に来てもらえるアフタヌーンコンサートを毎年行ったり、対談、CD録音など活動されています。

9月24日(日)14時開演
アクロス福岡シンフォニーホール
チケットのお求めは、
*アクロスチケットセンター(アクロス西オフィス2F)
*アクロスWEB https://www.acrosticket.jp
*チケットぴあ https://t.pia.jp  [ Pコード239-499 ]
*福岡友の会HP

「今は心身共に充実しているが、自分に残された時間には限りがある。これが最後になるかもしれないとの思いで一回一回のステージに全力を尽くし、一日でも長くソリストとして現役を続けていきたい、と。書いておられます。


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