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【ショートショート】渡り廊下

 地面が消失したのかと思って驚いたが、実際は住宅が宙に浮いているのだった。
 これはどういうことかというと、玄関をあけて一歩踏み出せば墜落して死ぬということである。
 どこまで浮いているのかよくわからないが、二階の窓から見渡す限り、あたり一面が空中にある。
 政府は異常事態を宣言したが、宣言しただけで、なにか実効のある対策を打ったわけではない。
 とりあえず、民間業者が道路の代わりとなる渡り廊下を作りはじめた。
 うちと向かいの間にも渡り廊下ができた。隣の家とは一階の窓を開けて出入りする。
 買い物ひとつするにも、いろいろな家に頭を下げ、家の中を通行させてもらわなければならない。もちろん、我が家も通路のひとつなので、多くの人が出入りする。
 こんな状況でも、息子は毎朝、登校する。ご苦労なことである。家から家へと分け入って、学校に到着するには三十分ほどかかるという。
「途中にヤバい家があるんだよね」
「どこ?」
「吉池って爺さん」
「ああ、吉池さん」
 私は町内会の役員をしていたときに知った。町内の問題児である。とにかく怒鳴り散らす人で、みんなが自分を罠にかけると思い込んでいる。
「家に入れてくれないから、回り道していかなきゃいけない。すごい遠回りになっちゃうんだよ。地上に落ちちゃえばいいのに」
「高齢者相手にそんなことをいうもんじゃない。ボケてるんだよ」
「ちぇっ」
 私は在宅仕事で、たいてい机に向かって原稿を書いているが、たまに取材で外に出ることがある。対面でなければ取材を受けないという人だっているのである。
 今日の相手は丸の内のビルを取材場所に指定してきた。
 はて。どうやって行けばいいのだろう。まさか地下鉄が空中に浮いているわけはあるまい。
 ネットで調べてみると、驚いたことにJRは運行しているという。そうか。線路は空中に浮いているのか。うちの最寄り駅といえば中野だ。
 Googleマップで中野駅までの経路を検索してみる。指定できるのは「渡り廊下」のみ。田中さん、近松さん、近衛さん、鈴木さん、本多さん、小池さん……。延々と個人宅を通過しなければならない。気が重くなったが、息子も頑張っていることだし、ここはひとつ気合いを入れよう。
 渡り廊下は材料が足りないので、いろいろな端材を組み合わせてできている。釣り竿、バット、竹刀、ドラム缶、本棚、なんでもありだ。なかには段ボールを何重かにしてあるだけの部分もあるから、歩くときには十分な注意が必要だ。
「小池さん。小池さん」
 私は呼び鈴を鳴らして、叫んだ。居留守を使うもりだな。リュックからインスタントラーメンをひとつ取り出し、インターフォンの前で振り回した。
 現金にもすぐ玄関が開いた。
 中にはこういう人もいる。私はラーメンを渡し、小池家を通り抜けた。
 中野から東京駅まで出て、丸の内まで歩く。このあたりはずぼっと地下街まで引き抜かれているので比較的歩きやすい。
 取材相手は物理学者だ。
「これはいったいどういう事態なのでしょう」
 と私は直裁ちょくせつ にたずねた。
「科学的にはまったく説明できません」
「集団で夢でも見ているのでしょうか」
「そちらのほうがまだ信憑性がありますね」
「夢なら落ちても死にませんね」
「あなたやってみてはどうですか」
「いやです」
「私もいやです」
 実のある言葉はなにも引き出せずに取材は終わった。
 私は「白昼夢」という原稿を書いて出版社に渡した。
 ほんとに白昼夢であればいいのに。試すのはいやだけど。

(了)

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