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【ショートショート】無人町

 もう何年も妻の顔を見ていない。
 もう何年も子どもたちの顔を見ていない。
 各人の部屋に鍵を取り付けたのは、十年以上前になるだろうか。私が帰宅したら、すでに取り付け工事は完成しており、
「おーい、どうしたんだ」
 と呼びかけても、なんの応答もなかった。生活音がしないのは不気味だが、私が会社に行っている間に共用部分を使っているらしく、冷蔵庫の野菜や肉はときどき新しくなる。トイレットペーパーは私が購入してくることもあり、知らない間に増えていることもある。
 合鍵はもらえなかった。妻と子どもたちの間には交流があるのかもしれないが、私に知るすべはない。
 会社も同じだ。受付に電話機があるだけで、人はいない。カードをかざして中に入り、自分の個室に入る。仕事はすべてパソコンで片付く。
 連絡はチャットで行うので、私は同僚や上司の顔を忘れているし、新入社員にいたってはその存在すら感知できない。各種プロジェクトへの参加権限は減らされる一方だ。
 定年の日、机の上にバラの花が置いてあった。
 私は町をぶらぶらと歩いたが、鍵なしで入れる場所はなかった。
 役所の高齢者相談窓口に行き、
「鍵なしで入れる場所はありませんか」
 と聞いてみた。
 ロボットはしばらく考え込んでいたが、
「公園の鍵ならお貸しできます。時刻をご指定ください」
 と言った。
 公園には、私以外、誰もいない。
 それでも私は毎日公園に通い、ベンチに座っている。

(了) 

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