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【ショートショート】吹き飛ぶ

 地下鉄に乗り込むと、バチッと音がした。
 満員電車なので人と人の距離が近すぎるのだ。
 人は誰しも、自分のプライベートスペースを守るために電磁波を発している。目に見えない境界線だ。
 私はバチバチ火花を散らしながら、車内奥深くに移動した。下りるのは終点近くなので、ドア付近にいる必要はない。
 つり革に掴まると、火花はなくなった。
 車両の中央あたりはわずかながらまだ空間がある。
 私はスマホの画面をタップして、電子書籍の続きを読み始めた。
 座席のひとびとも好きなことをしている。
 癇癪でも起こしたのか、お母さんの膝に抱かれていた子どもが急におもちゃを投げた。ペンギンかなにかのぬいぐるみだ。
 不意をくらったので私は思い切り電磁波の出力を高めてしまった。ぱーんと派手な音をたてて、ぬいぐるみが飛散した。
 子どもは目を丸くしたかと思うと、つーと涙を流し、大声で泣き出した。
 若い母親が私をにらんだ。
 怒りのあまり母親のプライベート空間がぐわーっと膨らみ、私ははじき飛ばされた。まわりの人たちも巻き添えだ。みんなのプライベートが膨張して大爆発というのは、しばしば見かける光景である。
 そのとき、強い力でおばあさんが侵入してきた。
「悪いお兄さんだねー。ぼっちゃん、これを舐めてごらん」
 飴玉を子どもの口の中に放り込んだ。
 子どもは泣き止んだ。
 母親の暴走も止まった。
 みんなが口々に感謝を述べるなか、おばあさんはドア付近に戻っていった。

(了)

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