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【小説】おいしいものを、すこしだけ 第2話

二度目に亜紀さんが倒れたときは、私もその場にいた。一緒に歩いていたら道の真ん中で亜紀さんがふらふらとしゃがみこんだのだ。この時は意識があって救急車を呼ばなくていいと言うので、タクシーで前回と同じ病院に行った。私は待合室の椅子に腰掛けて、世の中にまったく迷惑をかけない人というのはいないものだ、と痛感していた。
「清水さん」
 病院の人に呼びかけられて、一瞬誰のことだろうと考えてから、亜紀さんの苗字だということに気づいた。そういえば最初のころはそう呼んでいた記憶がある。亜紀さんが苗字を呼ばれるのを嫌がったので名前で呼び合うことにして以来すっかり忘れていた。「妹」の私も当然清水だと思われたらしい。もし身分証を見せろと言われたら、清水亜紀と萩原日向子という姉妹をどう説明すればいいだろう。亜紀さんに離婚歴があることにするか。あるいは両親が離婚して別々に引き取られたのか。万一このまま入院や手術ということになったら、たしか家族の同意書か何かが必要ではなかったか。亜紀さんはなぜか実家に連絡が行く事態を恐れているようだった。前回私を妹だとか無茶なことを言い出したのも、患者本人が妹だと主張する人物が目の前にいる以上、何かあっても病院が実家に連絡することはないと踏んだからだと思う。けれど意識不明になったらいくらなんでも私が代理を務めるわけにはいかなくなる。
 いろいろなことが頭を巡ったわりにすべて無用な心配で、亜紀さんは前回同様点滴と説教と栄養剤の処方を受けて帰されただけだった。今回は間違ったダイエットの弊害に関するプリントももらった。医者はダイエットのせいだと思いこんでいるらしい。給料が安くて食費を削っていたらこうなりました、とは亜紀さんとしてもみっともなくて言いたくないだろうから、ダイエットのほうがまだしも体裁がいい。病院は病気を治すところで患者の給料を上げてくれるところではないので、ここで忠告を受けても意味はなさそうだ。

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現役図書館司書が書いた、図書館司書の登場する小説です。 (全20回連載予定)

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