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おすすめの魔力

最近、図書館員として本をおすすめする仕事が増えてきました。

上からもやれと言われるものですから、何だか年中おすすめリストを選定したり、ポップをつくったりしている気がします。

昔の図書館では中立を保つ意味から特定の本をおすすめするのは控える傾向にあったと思うのですが、今は逆です。

たしかに「おすすめ」は効果があります。今まで埋もれていた本をちょっと面だしにしておすすめコメントのポップを付けるだけで、言葉は悪いですがまんまとひっかかります。「この本、おすすめしたからそろそろ借りられるぞ。ほーら借りたあ!」みたいな感じです。

私は本当に良いと思うものしか勧めていないので、資料が利用される機会が増えることじたいはうれしいですし、成果が見えやすくて楽しい仕事でもあるのですが、それでもときどき、これでいいんだろうか、と自問自答することがあります。

おすすめ本が利用される一方で、おすすめされていない本はなかなか利用されません。

利用者の側からも、おすすめを求める傾向は強まっているように思います。

自分で最適な資料を探すための検索講習なども定期的にやっているのですが、はっきり言って反応はあまり良くありません。利用者からしたら「件名だの分類だの論理演算子だのややこしいことはいいから、そっちでおすすめを紹介してくれ」という感じなのかもしれません。

とくに若い世代に関して、生まれた時からインターネットがあるので検索などお手の物だと思いがちですが、私が見る限り検索技術は必ずしも高くないという印象です。館内のOPACで検索画面がそのままになっていて、残された検索ワードを見ると「何を探しているかは想像できるけど、そのワードじゃ死ぬまでたどりつけないだろうな」ということもよくあります。

これは本に限ったことではないようです。学校職員で進路指導を担当している知人は「もっとおすすめの学校や会社を紹介してくれという要望が増えてきた」と言います。以前は生徒の側に志望する学校なり会社なりがあって、それに対してアドバイスをするのが主だったのが、ここ数年で変わってきたそうです。

まあこれだけ膨大な情報があふれる世の中で、何でも自力で探せというのも無理な相談ですし、私自身も他人のおすすめを参考にしていますし、下手に自分で探すより見識のある人に紹介してもらったほうが良い結果になることが多いのも事実です。

ただ、すでにこれだけおすすめに囲まれていて、今後AIなんかもやたらとおすすめしてくるに決まってますし、おすすめの本を読んでおすすめの動画を見ておすすめの学校に進学しておすすめの会社に就職し、おすすめの人と結婚しておすすめの商品を購入し、最後はおすすめの葬儀社に埋葬してもらうことを考えると、それもどうなのか、とは思います。

やっぱりこの世のどこかにまだ誰からも発見されていない素晴らしいものがあって、自分が最初にそれを探し当てるんだ、という気持ちは忘れたくないですし、それを助けるための図書館でもありたいと思うのです。


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