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AIと人類は共存できるか?


AIと人類は共存できるか?


■長谷敏司「仕事がいつまで経っても終わらない件」

憲法改正を行うために総理大臣の大味はアドバイザーとして人工知能「あいのすけ」を採用することを許可したが。。。

人間の言語理解をするに至ってない「弱いAI」しか実現してない本作では、人工知能をカバーするために「人力」が投入される。しかし、その労働環境の誕生とは24時間弛まなく計算を続ける人工知能にあわせてうまれた「最先端のブラック職場」の登場でもあったのだ、その行きつく先は...。

面白すぎる。これは是非、世の中の人工知能よくわかっていないけど使ってみたい勢に読んでいただきたい秀作です。そして、本作は名言のオンパレードである。

「...今回の教訓のひとつは、『人間は機械との競争より、無茶振りするボスの下での、機械との共同作業こそ恐れるべきである』ということかもしれないね」
「そう、これこそが、古い時代には存在しなかった新型のデスマーチである。」
「見憲研は、未来を先取りする世界最先端のブラック職場なのである。」
「人工知能の働きは素晴らしい。調査期間も短いし、答えが明瞭だ。しかも見返りを求めない。そりゃ世の中が人工知能化するってものである。」
「いやあ。安くて素晴らしいね、人力」

その後の解説も秀逸なのですが、AIを使ったプロジェクトにおいて低予算のものは「無謀」、潤沢な資金があるものを「挑戦」とはまさにという感じ。あと、人工知能が結論を出すまでのプロセスは人間には理解できないレベルで行なわれるから、その結論に対する理由とか説明は数値的なレベルでしか行えないという問題はおそらく出てくるのであろう。現在においても、了解を得るために内実を伴わない説明をせざるを得ないという場面は無数にある。


■倉田タカシ「再突入」

『母になる、石の礫で』もそうなのだが、この作者の作品は断片的な語りで少し理解するのに時間がかかるところがある。本作は、人工知能と芸術を題材にしている。将来、人工知能が何かを創作出来るようになったとき改めて問われることは「人間と芸術の関係」だろう。

「"芸術とは人間のなすことである"という前提は変えようがないからだ。」

芸術とはある種の価値創造である。 価値とは何かに観測されることによって生成される。そしてそれは人間によって観測される。それなら、人間「外」によって生み出され、人間「外」の原理で生成されたものは何なのだろう?それは観測不能だから無価値なのか?

『母になる、石の礫で』では体内に3Dプリンタを内臓したポスト・ヒューマンが、本作では、それがAIであり「かしこい毛皮」なる存在であり、親を3人もつ青年なのだろう。

ポスト・ヒューマンについて考えさせられる一編


■吉上亮「塋域の偽聖者」

未来のチェルノブイリ原発を舞台にした作品。 AIと宗教を題材にした作品。チェルノブイリの静寂な、それでも美しい(と言うと不謹慎かもしれないが)風景を想起しながら読むためには『チェルノブイリ ダークツーリズムガイド』などを片手に読むのが良さそう。

「『かつても今も、人工知能にできることは未来を予測し指し示すことだけです。選択は常に人に委ねられてきた。だからあなたも自らが得た情報を正しく人々に伝えればいい。どう解釈するのかは、受け取る側、人間の側の責任なのですから』」
「<人工知能が人間らしく振る舞うように求めたのは、そもそも人間らだろ?>」

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