「ゲームのような建築/建築のようなゲーム」ログ

先日,下記のイベントを聞いてきたのでログをば.予想のつかない展開になってなかなかスリリングなイベントでした.

断片的で主観的解釈のメモとなっておりますので,ご留意を.


前提

『ゲンロン8(特集:ゲームの時代)』で井上明人さんが書かれた論考「ゲームはどのように社会の問題となるのか」から.
同じく井上さんが書かれた『ゲーミフィケーション』から,ゲームと建築や都市についてのつくりかた・考え方と共通するものがあるのではないか?と.

そこで青木淳さんの『はらっぱと遊園地』を補助線として「ゲームと建築」について考えてみる.

前提として

建築─ユーザーがいてはじめて成立する
ゲーム─プレイヤーがいることによって成立する

ことから考えてみる.


適応と逸脱の往復

ゲームを楽しむ/楽しんでもらうにはそこに適応と逸脱が必要である.
理想のゲームは「連続性のある行為を多様に展開させていくもの」.
しかし,多様な行為は処理情報が多く,プレイヤーを疲れさせてしまう.
→単純に複雑にするだけでは,ゲームは面白くならない.

それを達成するゲームには「焦点の移行」が備えられている.
ゲームの基本のルールは変えず,焦点を移行させていくことで「連続性のある行為を多様に展開させていく」.

たとえば,『Mine claft』は「なんでもできるゲームの難しさ」=「プレイヤーに与えられた自由度が大きすぎる」という問題を解決した.
それは「掘削」や「牧畜」などさまざまな行為の焦点がネットワーク化されており,常に移行していくような状態になっているため.
つまり「無限に時間を溶かせる」.


「遊園地」のアップデート

『はらっぱと遊園地』で書かれたことで言うならば,

はらっぱ→適応と逸脱.発見していく楽しさがある.
遊園地→設計された楽しさ,つまり「あそばされている」

台所は料理をする場所なので料理をしやすくなるように特化するのが常.つまり建築は基本的には「遊園地」と言える.
しかし,美術館のような建築は「はらっぱ」的である方がより良い.たとえば,「テート・モダン」

たとえば,「ディア・ビーコン」

どちらも機能主義的/合目的的につくられた工場が美術館にコンバージョンされたもの.そして,それが秀逸な美術館として評価されている.

なぜそれらの美術館は評価されるのか?
→目的が失われていることが,結果として空間の強度に繋がっている.

→それを設計で考えたのが「青森県立美術館」 必然性のない「ルール」


コーリン・ロウの『コラージュシティ』では,スーパースタジオのドローイングとディズニーワールドが同じ見開きに配置されている.

 スーパースタジオのドローイングは世界をグリッドで覆うことでものから解放された自由をもたらす,というもの(はらっぱ?).
一方で,ディズニーワールドはものに溢れた場所と言える(遊園地?).
そして,コーリン・ロウはこのページで両者が相互補完的と語っている.それはなぜか?

→答えはディズニーワールドの俯瞰写真にある.ディズニーワールドは周囲に何もないグリッドで区切られた広大な平野の中に立つ.つまり,ディズニーワールドはスーパースタジオの理想の上に立っていると言える?

ここから言えることは

遊園地とはらっぱは対立ではない

ということ.
「遊園地」とはルールと自由を併せ持っている存在だと言える(浅子氏が以前,指摘したディズニーシーでのユーザーによる自発的な遊びの発生がそれか?).

ルールがあるから逸脱がある,逸脱があるからルールがある(≒ゲーム?).その仕組みを持っているのが「遊園地」である?

では,「はらっぱ」とは?
「はらっぱ」には循環も対立もない,そのことにより「遊園地」に破壊・否定をもたらすものとなる?

その模索のひとつとして,『コラージュ・シティ』で触れられている「キュビズム」→コラージュが考えられる.
コラージュは,ひとつのものにいろんな状態が重なり合っている状態と言える.そこでは「焦点の移行(!)」が起きる.
これを考えたのが大宮前体育館だった.


ディスカッション

否定するものとしての「はらっぱ」とは?
「はらっぱ」とは複数のものが同時にある,同じ視点であっても何重写しにも見えているような状態.たとえば,柔道場に柔道場に必要な素材が決定している.そのほかにも骨格や力学的性質,街のコンテクスト,などさまざまなものが溶け合っているような状態.
重なりそのものを見る.


記述の難しさ?

「マジックサークル」...ある合意形成を持った集団.物理的行為と文脈が対応している.
「遊び」を記述していくと,人間が認知しえない領域までいってしまう.記述は非常に困難.「はらっぱ」もそのようなものでは?


境界線は?

建築・都市...人工的
現実...自然的

その境界線は?
ゲームはどこまでが現実なのか?都市はどこまで現実なのか?
遊園地→人工物の理想形
はらっぱ→現実(自然状態)



遊園地的なもの...プログラム・コード・パターン
はらっぱは動的なもの,運動体である

設計をする→「遊び」をつくる→純化したのがゲーム?

対戦ゲームにおける揺らぎと均衡
→均衡が行きすぎると飽きてしまう
→均衡までのプロセス
ルールの開放系が重要?
「均衡が生じる」と「最適解」は異なる.
→人間の脳+ルール→均衡.つまりゲームとプレイヤーの関係を指す.

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