男のコンプレックス Vol.12「ナイメン男子のイケメン批判」
男子、ナイメンなど見るな、
イケメンを見よ!
水嶋ヒロがポプラ社小説大賞を受賞。その一報を聞いて私が最初に抱いたのは疑念でも反感でもなく、「イケメンはこっち来んなよ!」という人としてきわめてアヌスの小さい、嫉妬にも危機感にも似た焦りだった。
お笑い芸人のチュートリアル徳井をテレビで初めて見たとき、「これほどのイケメンが何の必要があってこんなにおもしろいのか」とたじろいだが、そのときの感情によく似ている。
男はただでさえプライドが高いのに、ブンガクやお笑いを目指そうという人種はそのうえ劣等感も強い。自分は足が遅くて獲物を狩れないライオンであるという自覚があるから、せめてサーカスや動物園で人気者になろうという卑屈な決意がある。
それなのに、水嶋ヒロのような“足は速いし獲物も狩れるライオン”が来て、「俺、火の輪もくぐれますよ」って言われたら、こっちは立つ瀬がない。お前はサバンナに帰ってしのぎを削れよ! 空気読んでよ!
こうして我われは、「天は二物も三物も与えますよ、フツーに」というシビアな現実の前に打ちひしがれては、「ま、イケメンはセックスが下手だって言うしな」などと『SPA!』で仕入れた都合のいい情報で、失ったプライドを埋め合わせる。
さらに、「外見やステイタスより内面を評価してほしい」とか、「女ってなんで男の内面を見てくれないの?」などという眠たいロジックで、イケてない自分の現状に逃げ道を用意するのも男の常套手段だ。
しかし、曖昧な「ナイメン」に逃げ込むのは、「イケメン」をやっかむよりタチが悪い。誰がわざわざ取り柄のない男の内面なんか見に来てくれると思う? 我われにそんな立派な内面ねえっつの! むしろ、内面なんか比べられたら余計に勝ち目ねえっつの! だってヒロ兄さんは、死ぬほど努力して自分を磨いて、その結果、今のイケメンの地位を得たんでしょ? …うん、知ってた知ってた。怖くて見ないふりしてただけ。
だからごめんよ、ヒロ兄さん。あなたのことは妬みません。貧相なナイメンはドブに捨て、我われも自分を磨きます。そしたら女子のみなさん、僕らのこともイケメンと呼んでくれるよね?
(初出:『POPEYE』2011年1月号)
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【2023年の追記】
「※ただしイケメンに限る」という紋切り型フレーズによって”イケメンに妬んで/僻んでみせる”という態度は、2023年になっても厳然と存在するわけですが、実際のところ男性社会におけるイケメンのヒエラルキーってそんなに高いのか、というと、実はそうでもないんじゃないか、というのが私の見解です。
12年前のこの原稿にも書いた通り、男は「イケメンはただそれだけで恩恵を受けている」「イケメンは内面を磨かなくていいので薄っぺらい」と思いたがるものです。男性社会が優劣や強弱によるヒエラルキーを重んじるならば、“モテ強者”とされているイケメンには服従するべきなのに、なぜかホモソーシャルの論理の中でイケメンは“基本ナメられる”存在なのです。
だったら、なんでわざわざそんなにイケメンに僻んでみせるのかというと、それは“女性に対する当てこすり”というポジショントークであり、マイクパフォーマンスの意味合いが強いのではないでしょうか。つまり、イケメンの地位を不当に低くしておくことで、女性に対して「どうせ女はそういうイケメンを選ぶんだろ?」と牽制し、「男を外見ではなく内面で選ぶ女だけが、見る目のあるいい女である(だから俺を選べ)」という脅しをかけているのです。
しかし、それは「女も自分と同じ判断基準で男を選んでいるに違いない」と思うから「自分が選ばれなくなる!」と不安になるのであって、裏を返せば「男は、外見のいい女性を不当に高く見積もっています」と告白しているのと同じ。それはあまりにもあからさまではしたないというか、せめて思っていてもバレないような気高さくらいは持ち合わせていたいものだ、としみじみ思うのです。
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