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人生で1番夢中になったインターネット黎明期(2000年頃)

私がはじめてインターネットに触れたのは、2000年(平成12年)の中学1年生の頃で、きっかけは父親が購入したパソコンだった。

当時は、携帯革命期と言われている時代であり、今では当たり前のTwitterやFacebook、Instagramなどはなかったのはもちろん、ソーシャルメディアの先駆者であるmixiやモバゲー、グリーなどもまだ登場していない頃だった。

当時の私は、父親のパソコンを借りて、最初はタイピングゲームで遊ぶくらいだったが、次第にインターネットでFlash動画などを見るようになった。そして、インターネットに没頭するきっかけとなったのが「ハピタン☆コム」というコミュニティサイトだった。

「ハピタン☆コム」というコミュニティサイトは、仮想の自分の部屋を持つことができて、引っ越しや模様替えなどを楽しむことができるほか、インターネットを通じて、ユーザー同士で交流ができるというものだった。

このコミュニティサイトを始めてから私は部活から帰るなり、自分の部屋を素敵な部屋にするべく、せっせと更新に励んでいた。

そんなある日、私の仮想の部屋に訪れてくれたユーザーさんが「あなたのお部屋とても素敵ですね」とコメントをしてくれたのだ。そのユーザーさんと交流をしてみると、その人は大阪に住んでいるということがわかった。

今となればそんなことはごく当たり前の話ではあるが、当時の私にとって、「大阪に住んでいる人がインターネットを介して私の仮想の部屋に訪れ、わざわざコメントをしてくれた」ということにとても感動したのを今でも覚えている。

それからというものの、インターネットでできる可能性と未知な世界というものに魅力を感じて、インターネットの世界に没頭していった。

中学校ではパソコンの授業があり、タイピングゲームを行うことがほとんどだった。私は「ハピタン☆コム」というコミュニティサイトのおかげで、ブラインドタッチができるくらいにはなっていた。

しかし、当時はパソコンの普及自体は進んでいたものの、同級生で使っている人がほとんどいなかったように思えたので(単純に私が知らなかっただけかもしれないが)、ここで勢いよくタイピングをしはじめたらきっと周りに引かれてしまうのではないか、という懸念が急に頭をよぎり、私は知らないフリをすることにしたのだ。

私は、同じクラスメイトの女子から「パソコンって難しいよね〜」と言われようものなら、「うん、そうだよね〜、難しいよね〜」などと謎の相槌を打ちながら、本当は家ではインターネットの世界に異常なまでに没頭していたことはなぜだか言えなかった。

高校生になったら必ず自分のパソコンを持ちたいと思っていた。そして、念願の自分のパソコンを持ちはじめてからは、自分のホームページを作ってみたいと思うようになった。

今思えば、おそらく人生の中で1番何かに夢中になったと言えるのがこのホームページ制作だったように思う。そもそも、ホームページとはどうやって作るのかなど基本的なことがまったくわからないため、とにかくインターネットで調べに調べた。

その中で、当時2Style.net」という無料でレンタルができるホームページサービスを選んだ(なんと今でもサービスが継続していることを知り、感動したのでリンクを貼ることにする)その理由は、あまり広告が目立たないからという記憶がある。

次は、ホームページ制作をするにあたり、「HTML」というホームページを作成するために開発された言語を活用する必要があるということを知った。このHTMLとはなんぞや、からはじまり、私は独学でHTMLという言語を学ぶことにした。

最初の頃は、このHTMLの仕組みがまったく理解ができずに、「初心者向けHTML入門」のようなサイトをひたすら見ながら、HTML文書では、<HTML> <HEAD> <BODY> の3種類のタグで文書の構造を定義するということを知り、タグを作成しては正しく表示されるかプレビューをひたすらに繰り返していた。

同じような経験をした人なら共感してくれる人もいるかもしれないが、この作成したタグがプレビュー時に正しく表示されているとわかった瞬間の感動と言ったらとんでもない達成感を与えてくれる。たとえ数時間が経過しようとも、天にも昇るような気持ちになるのだ。

私はこの作業をひたすら繰り返すことにあまりにも夢中になり、気が付いたら朝になっていることもしばしばあり、そのまま寝ないで学校に登校するということもあった。

余談だが、この当時私には彼氏がいたのだが、ホームページ制作にあまりにも夢中になっていたことから、連絡が徐々に疎かになり、気付いた頃にはなぜ連絡を返してくれないのかといった問題が勃発し、そのままフラれるという自体に急変することもあった。

今思えば、反論の余地もないが、少しでも時間があろうものなら、重要度が高く、かつ緊急度も高いつまり「優先順位は最も高い」タスクとして、ひたすら家にこもり、ありとあらゆるやるべきことを放り投げ、ホームページ制作への時間に当てていた。高校生と言ったら青春のようなイメージがあるのかもしれないが、私の高校生活では皆無だった。

もちろん、当時の彼氏や友人にもホームページ制作をしていることは言っていなかった。本当は話したい気持ちもあったのだが、当然ながら周りでそのような話が出ることもないので、話題に出したところで相手もきっと反応に困るだろう。それはさすがに申し訳ないという非常に勝手な推測のもと、話題には出さないという結論に至ったのである。

そして、試行錯誤を重ねに重ね、ようやくホームページが完成したのだ。何日も何日も掛けて、時には朝方まで作成していたこともあり、それはとても達成感があった。コンテンツは、プロフィール、掲示板、日記、メモ、リンク集といった至ってごく普通のホームページだった。

デザイン的には、全体の背景は黒でフォントカラーは白やグレーなどで統一していた。また、ホームページ上では、フリーの音楽素材屋さんから借りた音楽を設定して流していた。

音楽はいずれもピアノの曲調で、決して明るいとは言えない、むしろどこへ向かっているかわからないほど暗いホームページだった。もはやとんでもない黒歴史である。

また、コンテンツの掲示板や日記などもそれぞれ別のサービスからレンタルし、カスタマイズが柔軟に対応できるサービスを重視した。

掲示板1つにしても、ホームページ自体の全体の背景を黒で統一していたこともあり、カスタマイズが効かない掲示板を入れることにより、デザインが崩れることを懸念していたからだ。

今思えば、大したアクセス数もないわけだが、アクセス解析を設置してはその解析データを眺めてみたり、謎のこだわりだけが一人歩きをしていた。しかし、わかってくれる人もいると信じたい。

ホームページを公開してからというものの、ホームページに訪れてくれた人たちと交流をしながら、インターネット上の友人もできた。仲の良い友人とは、MSNメッセンジャー(2014年10月31日をもってその偉大な歴史に幕を閉じた)で会話をしたり、文通をすることもよくあり、それが当時の楽しみの1つだった。

友人の年齢も同い年の人もいれば、年下〜年上までと様々で、時には会話をして仲良くなった女子と実際に会う約束をして、渋谷のカフェでお茶をするということもあった。

中学生や高校生の場合、普段は同級生との交流が大半を占めると思うが、インターネットを通じると、年齢関係なく、気の合う友人ができるという楽しさも知った。

今となってはもう連絡先すらわからないのだが、今でもふと「あの頃、インターネット上やMSNメッセンジャーで夜通し会話をしてくれた◯◯さんは元気にしているかな」と思うこともある。

人生で1番夢中になったインターネットの歴史を振り返ってみたが、今ではインターネットは当たり前の時代で、様々な充実したサービスで溢れている。当時、私にとってインターネットの世界は何もかもが斬新で、未知な世界で魅力的だった。

時々、この当時の話に共感してくれる人がふと現れるとわりと前のめりで話をしてしまうほどで、ある意味このインターネットに夢中になっていた頃が私にとっての青春だったように思う。

もし、今の時代に生まれていたら、またこの当時とは違った楽しみ方をしていたのかもしれない。

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