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飽きるまで_2024年5月8水/曇り

うちの「手抜きランチ」は、サツマイモ飯からはじまった。

昼に料理するのがおっくうになり、
米とイモだけを炊飯器に放りこみ炊いたら、これがけっこう旨い、
そこで、イモのほかでもいろいいろと試したのだった。
玉ねぎだけを入れると、ほんわか甘い炊き込みができた、
長ネギだけの場合はちょっと水っぽくなる、
レンコンをみじんに切って入れたらこれもおいしい。
手間を省くためひとつの野菜だけしか入れない、
玉ねぎだけ、レンコンだけの「だけ炊き込み」である。
塩を基本に、こしょうやナツメグとかスパイスを効かせ、
さらにニンニクをアクセントで加えるのがみそ、
たまに醤油をたらすとか味つけを変えたりして、
たいていの野菜は旨く炊けてしまった。
すると、ニンニクだけ炊いたら?と思うもので、
ほんとうにやってみた。
もう炊き込みご飯ではない、異種格闘技戦である。
トマト炊き込みもやってみた、
(トマトってやつは独特のいい味がでるんだ!)
キャベツだけは、ふにゃふにゃしすぎてイマイチだった、
野菜ではないが油揚げだけを入れたら、ほどよい油気がいい感じだった。
ついでに、「だけ炊き込み」の場合、ご飯は固めに炊くと味わいがよい
ということも発見した。
わたしのなかで、「だけ炊き込み」は捨てたもんじゃなかった。
そういうことを、さんざん飽きるまでやって、やりきった。

さて、その熱が冷めたいま、
はて、じぶんはいったい何をしていたのかと、ふと思う。
料理というのは、塩と水さえよければ
どんな材料でもおいしくできるとわたしは思っていて、それを確かめた、
つまり、ひまだったのだろうか。
「これと、米を炊いたらどうなるんだ」と、
ひまにまかせて毎回のめりこんでいった。
次はどうなるというのは、裏をかえせば
「まだその世界ができあがっていない」と思っていることでもある。
「世界ができてない」は、つくづく、ものごとが起こる原動力なんだ。
そして、そうやって世界の全部を見ちゃうとき、飽きてしまう。

人が、飽きずにしてることって、なんだろうね。
芸ごとのように、モノや作品をつくるとか、スポーツはわかりやすい。
ゴルフや釣りとか、長く人気なものはそれなりの理由があるというけれど、
そういう、見える世界が広そうなものも確かに飽きない。
仕事だって、職人とか研究職とか、飽きずに取り組む人がいるだろう。
たまたま与えられた仕事を、飽きずにやりとげる人もいるかもしれない。
人から「飽きないねぇ」と言われて、
ずっと何かをしていたことに気づくこともありそうだ。
夢中なってしているのと、クセのようにやっているのはどう違うのか。
それは、夢中になったものほど、きっと飽きたときに気分がいいだろう。

飽きるほどなにかをしたら、おまけのように、
その「技」や「コツ」がついてくるものだ。
昔取った杵柄でとか言いながら、あとになっても使えたりして便利。
で、「だけ炊き込み」に戻るのだけど、
これがなんの役にたつのかといえば、いまのところわからない。

それにしても、次の昼ごはんはどうするかなぁ。


よんでくださった方、ありがとうございます! スキをくださった方、その勇気に拍手します! できごとがわたしの生活に入ってきてどうなったか、 そういう読みものをつくります! すこしでも「じぶんと同じだな」と 思ってくださる人がいるといいなと思っています。