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雨なのか?_2024年4月11木/晴れ

仲のよい、おじいさんと、おばあさんがいたとしましょう。
なんでも話す。相手が嬉しそうなら、いいことあったのかなと思うし、
機嫌が悪ければおたがいに放っておいたりする。
このごろSNSを覚えてからは、スマホごしでも話している。
そういうことがだんだん増えてきた、と。
このまえなんか、二人で会っているときに
顔をみることなく、スマホに向かって話しかけていた。
なんていう笑い話。

これ、唐突ですが、
天気予報についても同じだと思うのです。
空を見ることなく、予報情報を使って天気を知ることが
あたりまえのようになっているのではないか。
朝、テレビの天気予報をみてから出かけたりしますよね。
そのときじぶんで空の様子をみているか、いないのか。
わたしなどは、傘を持つのが嫌いなもんだから、
1時間ごとの降水確率情報を便利に使ったりします。

だけど、また話がとんですみませんが、
トリスタン・グリーという冒険家に出会ってからは、
天気予報から天気を知るということは、
それだけだと、ちょっとつまらないな思うようになっています。
トリスタン・グーリーは、
自然を観察して進むべき道をみつける方法
というものを教えているのですね。
これが、なかなか面白い。
で、当然ですが、天気を知る方法もそのなかに含まれているわけです。
彼の本を読んで、その方法を聞きかじっては、
いつもというわけではないけど、
雲をみたり、風の向きを感じたりして、
「明日は雨かな」なんて予想してみたりしてます。
というか、そういう人でいたいなあと思っています。

雲というのは、地上の湿気が上にいって水滴に変わったものです。
いってみれば、上空に浮いている「水」です。
その「水」があふれて、落ちてくることを雨といいます。
空気はつねに動いていて、つまり「水」も一緒に動きます。
だから「風」の吹き方を観察すると、
向こうの空気に浮かぶ「どんな水」がやってくるのかがわかります。
こういう基本的なことを、
トリスタン・グーリーの「失われた、自然を読む力」で読んだりします。
いまの天気予報は、いろんな定点観測データからつくられているでしょう。
だけど、そんなに「正確」にはできないかもしれないけど、
頭の上の空と、吹く風をみても、次の天気のことわかるんですよね。
思えば、「雲が黒いから雨が降る」ということは経験で知っています。
そういう簡単な方法も思い出して使えばもっといい。
それに、この空気の動きというのは、ひとりでにできるのではない。
太陽の熱と、人やいきものが生きて動く熱でつくられるんです
(ほかに地球の自転とかもあります)。
空気のなかの「水」だって、もとをたどれば
営業マンの流した汗や、セミのおしっこだったりするんですからね。
つまり、わたしたちが生活して、地球が回るから雨が降っているんです。
こういう、天気の裏にある大きなつながりに気づけたことは、
彼の本を読んでいちばんよかったことかもしれない。

空をみて天気を確かめるようにしてからというもの、
天気予報が外れたときも、そんなものだ思えるようにもなりました。
過去のデータからいえることって、
そのままいけばそうなる可能性が高い
ということだと思うんですよね。
窓を開けて空をみると、
鳥が鳴きだしたとか、人がけっこう歩いているとか、
天気に関連したいきものの仕草もついでにわかります。
水と空気といきものが、つながって動いている。
このことを感じられたら、
天気予報も違ってみえるんじゃないでしょうかね。

「ツバメが低く飛んだら雨」もいつか確かめてみたい。


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