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歳なんて_2024年5月5日/快晴

このごろ、世間の「歳をとること」まわりがさわがしい。
「なんと98歳にして!」とか、
歳に負けずがんばること、挑戦することがよくニュースになる。
じぶんから年齢を公表して、そういう姿を発信してる人もいる。
それから、40代、60代と、「その年代のあり方」のような
本なんかもたくさんもある。
社会のなかで歳をとるというのはハンデが増えるようなもの、だけど、
そこのところをなんとかしたい、と思う人は多い。わたしもそう思う。
「シルバー」な人も、「ミドルエイジ」も、お姉さんも、お兄さんも。
人生と、歳をとることへの向き合い方を探してる。
わかりやすい歳のとりかた指南が求められつづけている。

昔から、歳をとれば心が熟し、
それなりに人して分別がつくものだ、と言われてきた。
一方、体の老化は避けられないと、歳は死ともつながっている。
この相反する二つをかかえるから、
もともと歳というのはややこしいものではあった。
それが、人生100年なんていわれると、
したいこととできることの塩梅が、よけいにややこしくなる。
歳のわりにはとか、年甲斐もなくとか、そういう基準もわかりづらい。
でも、ねぇ、
歳のことを考えるの、ちょっと疲れてません? 
いい生き方を探すのは、
歳に制限されたくないと思っている、
ということの裏返しではないだろうか。
あえて言ってしまおう。
歳なんて、生まれてから地球が太陽を周った数にすぎない。
地球が一周する間に経験する人生の量はみんな同じだろうか。
平均寿命になったときに死ぬわけでもないし。
もっと言っちゃおう、最近の研究では、
カメやネズミの一種やアホウドリは、体が老化しない、
死ぬリスクも高まらないことが指摘されてるらしい。
肉体の老いは「自然」なものではなく、
多くのいきものが老いという能力を「選んで」身につけたのだ、と。
ほんとうは、老化ってわからないことだらけみたいなのだ。

年齢に応じた肉体と精神があるって、ほんとうかな?
未来は子どもが担うというけれど、その未来には大人もいるはずだ。
未来という今は、子どもと大人でつくられている。
子どもを偏重するでもなく、老人を無用にするのでなく、
あらゆる人が等しく世の中に働きかける、
そういう世界を見たいなぁと思う。
そこには、100歳のビギナーなんていくらでもいそうだ。
ずっと変わらず過ごせるとしたら、わたしは何をやめるだろうか。
・アンチエイジ化粧品をやめるだろう。
・日焼け止めをやめるだろう。
・健診にいかないだろう。
・忘れ物をしてがっくりするのをやめるだろう。
・ミニスカートを履くだろう。
・年金はもらわないだろう(たぶん)。
・好きなだけペットを飼うだろう。
・気軽に誰かの弟子になるだろう。
・お葬式で泣かないだろう(たぶん)。
・歳をとればわかるよ、とは言わないだろう。
・100メートルを13秒で走るだろう。
・公園で遠慮せずブランコに乗るだろう。
子どもの頃にしていたことを、またするのかなぁ。
で、ずっとそういうことをしてる気がする。

歳は重ならない。それは、見えたり見えなかったりする。


よんでくださった方、ありがとうございます! スキをくださった方、その勇気に拍手します! できごとがわたしの生活に入ってきてどうなったか、 そういう読みものをつくります! すこしでも「じぶんと同じだな」と 思ってくださる人がいるといいなと思っています。