アラビアンナイトを楽しむ視点


ディズニー映画実写版のアラジンを見るのが楽しみなので書いちゃった


1、はじめに 
2.アラビアンナイト 先行研究まとめ 
2-1アラビアンナイトの成立の経緯 
2-2 日本での受容 
3、日本の受容の検証 
4、現代日本でのアラビアンナイトの認識 
4-1「アニメでみる世界史」(2015)の問題点 
4-2「教養は児童書で学べ」(2017)の問題点 
5、これからのアラビアンナイトとの付き合い方 
6、参考資料 


1、はじめに

自分の中でキーワードとなったのは、『虚構やイメージは現実にどう影響するか』ということだった。詳しく言及すると『虚構やイメージのせいで苦しんでいる人はいないか』ということだ。それはジェンダーや人種差別に関わることはもちろん、3.11以降の「絆」という言葉や2020年の東京オリンピックに向けて「日本」のどこをピックアップするのか、どの部分を排除していくのか、ということにも関わっていると考えている。
日本における”中東” “イスラーム””アラブ”のイメージにおいて、ピックアップしているイメージと排除しているイメージがあるのは同様だろう。現に私は中東諸国に行ったことはないが、既に「魅惑」で「お金持ち」、そしてなんとなく「理不尽」なイメージを持っている。それはテレビメディアからのニュースはもちろん、幼少期の絵本のアラビアンナイトやアニメーションなども関係していると考えている。このような情報源はおそらく私以外の多くの日本人もそうだろう。日本のアニメや漫画などの編集がかかったアラブや中東を通して、私はイメージを形成してきた。
 イメージといえば、いつから私は「日本人」と認識するようになったのだろう。いつから、日本の内側と外側をわけ、会ったこともない外からの人を「偽装難民」と呼ぶその形容が私も想像できるようになったのだろう。
 このレポートの構成は以下のように進める。第二章では先行研究を使用することで、アラビアンナイトの成立の過程(第一項)と日本でのアラビアンナイトの受容(第二項)について言及する。第三章では第二章の第二項で言及した「日本の受容」に関する先行研究をふまえてアラビアンナイトをモチーフとした日本のアニメーション映像作品「それいけ!アンパンマン ミージャと魔法のランプ」(2015)「劇場版とっとこハム太郎 ハムハムハムージャ!幻のプリンセス」(2003)「ドラえもん のび太のドラビアンナイト」(1991)を使用する。それらを使用しながら、日本のアラビアンナイトの受容に関して先行研究通りか、具体的に検証する。第四章では現代の日本でのアラビアンナイトへの認識について「教養は児童書で学べ!」と「アニメで学ぶ世界史」という二つの書籍を使用して、現代の日本でも続くアラビアンナイトから偏見が再生産されている現状を述べる。そして、最終章の第五章では第四章での検証を通して判明した認識を元に日本とアラビアンナイトのこれからの付き合い方の結論を述べる。アラビアンナイトを中東のイメージとして規定するような使い方には、偏見が混ざりやすいということ、日本のアラビアンナイトのファンタジー化の裏で、見えにくくなりやすいという現実を自覚すべきだということを最後に述べ終えることにする。

2.アラビアンナイト 先行研究まとめ
 
 2-1アラビアンナイトの成立の経緯

 本項目では先行研究のアラビアンナイトの概要や成立の過程等を引用しながら、アラビアンナイトとはどのような作品なのか、本レポートにおいて必要な部分に沿って整理したい。具体的には、まず概要を述べ、成立の経緯を説明する。その際、「シンドバード」や「アラジン」の成立の経緯も例として説明する。その結果、「アラビアンナイト」とはいかに複雑成り立ちであるか、「アラビアン」ナイトにどれほどの様々な文化が含まれているか、現在でも注意を怠るとオリエンタリズムに加担しかねない存在であるか、アラビアンナイトのヨーロッパ化について、先行研究を整理し、本項目をおえる。以下、概要である。
 現在、「アラビアンナイト」として呼んでいるものは「千一夜物語、千夜一夜物語」としても知られており、「その物語集の原型は唐とほぼ同時代に世界帝国を建設したアッバース朝が最盛期を迎えようとする紀元九世紀ころのバクダットで誕生した」とされている。アラビアンナイトという題名は「一七〇六年にイギリスで出版されたArabian Nights Entertainments(アラビアの夜の楽しみ)につけられたもの」で、「最初にヨーロッパに紹介されたフランス語版(一七〇四)の訳題はアラビア語の原題(『アルフ・ライラ・ワ・ライラ』)に忠実な『千一夜』だった」のである。このような説明だけを聞くと、物語の原型をヨーロッパ言語へ訳した、単純な経緯に思えるが実際には複雑である。
 まず、「千一夜」という名前であるが、最近の研究によると、「核となった部分は、「夜話」にしてせいぜい二百数十夜であったのではないか」と考えられている。実際には「「千」ないし「千一」は単純に「多くの」という意味しか持っていなかったにも拘わらず、やがてその数字が文字通り受け取られるように」なり、その結果むしろ、「実際に千一夜分の物語を充当する写本が生み出されていった」のである。それらの写本はどのように集められたのであろうか、国立民族学博物館教授の西尾哲夫氏は以下のようにまとめている。
 
 アラビアンナイトの中には多種多様な物語が詰め込まれており、長い間にさまざまな話がほうぼうからかき集められて、今のような姿になったとされる。全体としては一人の語り手が語ったということになっているが、各物語群が有機的に結びついて大きなテーマをつむぎ出しているわけではない。むしろ、相互には何の関係もない種々の説話がかき集められた一大物語集であると捉えた方がよいだろう。非常によくまとまった文学作品もあれば、笑話や世間話のたぐいもある。一人の作者の手によるものではないため、収録時期によって作品の内容も異なっており、アッバース朝(八~十三世紀)バグダードの時代の作品と、ファーティマ朝(十~十二世紀)エジプトの作品では話の構成や質の面で、かなりの違いが認められるようである。作話時期によっては、異教徒への偏見を感じさせるものもあるようだ。

 この引用からわかる通り、写本は「ほうぼうから集め」られ、「アラビアンナイト」と一口にいっても、それが指すものは話の構成だけでなく時代も目的も異なる「相互には何の関係もない種々の説話がかき集められた一大物語集である」ことを大前提として認識しておかなければならない。そのような経緯から、西尾氏は「アラビアンナイトとは(中略)単なる文学作品というよりも文明往還を通って生成されていく文化現象であると形容した方がいい」とも述べている。
 以上が概要でここからは成立の経緯を順に説明する。
 先の引用でもあったように、「9世紀ごろのバグダッドでアラビアンナイトの物語集の原型ができあがった」とされている。中東でのアラビアンナイトは「いわゆる書籍としてだけではなく、コーヒーハウスや街角で物語を聞かせていた職業的語り手によっても伝えられていた」らしい。しかし、「ヨーロッパでルイ十四世の時代のフランス人東洋学者アントワーヌ・ガランが、たまたまアラビアンナイトの写本を手に入れてこれをフランス語に翻訳した」ことによって、「アラビアンナイトにとっての新世紀が始まった」のである。「ガランによる翻訳は宮廷の話題をさらい、すぐさま英語訳が出版されること」になった。この後、アラビアンナイトは欧米諸語に翻訳され、「アンデルセンやゲーテの愛読書」ともなっている。この、ガランが訳す際に使った三巻本の「アルフ・ライラ・ワ・ライラ」写本は、「15世紀ころにシリアで成立した」と考えられている。現在ではこのガラン写本が「9世紀のものと思われる断片を別にすると現時点では最も古い時代もの」で、「アラビアンナイトが編集された初期形態に最も近かった」とされている。
 ベストセラーとなり、広く読まれるようになったガラン版であるが、そこには複数の問題が含まれていた。本章の冒頭でアラビアンナイトはすべてが「有機的なつながり」を持って編纂されているわけではないと述べた。実はその一番の具体例がアラビアンナイトの中でも有名な三つの話、「アラジン」「アリババ」「シンドバード」 である。どの話もそれぞれ、成立した場所や時代も、アラビアンナイトの一部として収録された経緯も違うからである。ガラン版の成立時にどのようなことが起こったのだろうか。次を引用する。

 現代ではアラビアンナイトの一部として有名な「シンドバード航海記」は、アラビアンナイトとは別系統の物語群に属している。だが、ガランは「シンドバード」は『千一夜』という長大な物語の一部であると信じこんでいたらしい。(中略)『千一夜』には題名どおりに千一夜分の物語がおさめられていると信じていたガランは、なんとかして続きの写本を手に入れようとした。千一夜分の物語をさがし求めていたガランは人を介してシリア人の修道僧ハンナ・ディヤーブに会い、ディヤーブからぜんぶで14の物語を聞きだすことができた。この時にディヤーブが語った話のなかには、アラビアンナイトを代表する物語として有名な「アラジンと魔法のランプ」も入っていた。つまり、アラジンの話はアラビア語写本から翻訳されたわけではなかったのである。アラジンの出所は、いまなおよくわからない。
このように、ガランが世に送り出した物語集は、原典のアラビア語写本をそのまま翻訳したものではなかった。シンドバットにしてもアラジンにしても、本来の『千一夜』には含まれていなかった物語である。

 これが「アラジン」と「シンドバード」の簡単な成立経緯である。「シンドバード」はガラン版初版の第3巻に「アラジン」は9巻と10巻に収録された。補足すると、「アリババ」も「アラジン」と同じく「ハンナ・ディヤーブから聞きだした14の物語」のうちの一つで、ガラン版11巻として出版された。
 今まで説明してきたように、実に様々な話がガラン版には含まれている。煩雑なのでここで、ガランが訳す際に使った「ガラン写本」と出版された「ガラン版」の話の対応を表にまとめた。
 以下の表1は、『アラビアンナイト博物館』(東方出版、2004)の「ガラン訳『千一夜』とガラン写本の対照表」122ー123頁を参考に、私が簡易的に表の形に再編集したものである。なお、西尾氏も述べているようにガラン写本に含まれる物語のタイトルと現行のアラビアンナイトでよく知られているタイトルが一致していないことは往々にしてあるため、以下の表では122ー123頁のタイトルにならうことにした。また、タイトルだけでなく表1の左の列のアルファベットの区切りと巻数も同じく122ー123頁から引用したものである。


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 この表1で整理した通り、文学的効果をねらって、共通のテーマを持って編纂されている箇所もあれば、出版する際に話を聞き取ったり、別の本から訳していたりとさまざまであることがわかる。

 表1を補足すると、表1のB、C、E、F、G、H、I、Jである「ガラン写本の物語は、「語られているたとえ話は役立たず」という共通の特徴がある」と指摘されている。具体的には、「王に嫁ぐと言い出したしシェへラザードを止めるために父の宰相がBの話を語るのだがシェヘラザードの決心を変えることはできない」し、Cの話では「策略を練る宰相と疑心暗鬼に陥った王がそれぞれ話を語るのだが、最終的な惨事を防ぐことはできない」のである。Dの話では遊行僧が話を語るのだが、「ジンの怒りを鎮めることはできずにヒヒに変えられてしまう」のである。つまり「ガラン写本に登場する教訓話は「教訓話」がいかに無意味なものかを示すためにあえて挿入されたように見」ることができる。「ガラン版『千一夜』には「わたくしの話から教訓を得ることができましょう」という決まり文句が何度も出てくる」が、「明確に何らかの教訓を語っていると思える話はほとんどない」と西尾氏は述べている。
 表1でガラン版の成立が複雑であることを示したが、この「教訓を得ることができましょう」という決まり文句にみられるように、ガランがどのような認識をもって訳したかも重要である。注目すべき点は2つある。1つはガランが「序文」で 「礼儀上ゆるされない場合をのぞき、原文を忠実に訳してあります。」と述べている通り、「礼儀上ゆるされない場合は訳されていない」点である。具体的には「男女の絡みを描いた箇所は数えるほどしかなく描写はいたって簡潔」に訳している。
 二つ目として、一方で西尾氏は「残酷描写は「礼儀上ゆるされない」ことではなかったようだ」という点を指摘している。
 
 十七世紀の東方が、同時代のヨーロッパに比べてより残酷だったかどうかについて、ここで議論する必要はない。注目すべきなのは、ヨーロッパ人の目には、理不尽な残酷性は東方の特質であると映っていたことだ。近世に中東を訪れたヨーロッパ人旅行家の記録には、現地で見聞した(彼らにとって)容認しがたい残酷性がくりかえし登場する。しかし、そういった残酷性はアラビアンナイトだけに見られるわけではない。グリム童話を引き合いに出すまでもなく、民話や昔話には残酷性が横溢しているのだが、東方という異域が舞台になると、他者への幻想が顕著にあらわれてくる。このような東方ないし中東のイメージは現在まで脈々と続いておりヨーロッパの東方幻想を無批判に受け入れてしまった日本でも見ることができる。

 この指摘からも分かるように、後半の章でも確認するが、ガラン写本に基づいて翻訳した物語であっても訳された部分と訳されなかった部分があること、そしてその線引きはヨーロッパ側の都合によって引かれてきたことに、自覚的にならなければ現代でも再生産に加担することになるだろう。
 また、ガラン写本にはなかったハンナから聞き取りが行われた物語についてはどのような編集が行われたのだろうか。西尾氏は「アラジン」も「アリババ」も「近代的な作品となっている」と述べているが、ここでは本論文の後半でも論証する「アラジン」について、詳しく説明していく。

 なまけ者のアラジンは、女手一つで自分を育ててくれた母親の嘆きなど気にもとめず、毎日、悪い仲間と遊び暮らしていた。運命のめぐりあわせで魔法のランプを手に入れ、最終的には巨万の富と美しい王女を手に入れる。これだけなら、アラビアンナイトによく出てくる「何のとりえもないなまけ者がアッラーのおかげで大金持ちになる」という話と変わらない。だが、穀つぶしの不良少年だったアラジンは、魔法のランプを手に入れてからは自分で努力するようになり、商売の道を学ぶのだ。(中略)なまけ者の不良少年だったアラジンは、まじめに商売にとりくむようになり、人間としても成長していく。このような少年の精神的な成長物語は宿命がすべてをとりしきるアラビアンナイトの中ではかなり珍しい例だ。(中略)《アラジン》では、ジンや魔法がはばをきかせるアラビアンナイトの定型話にヨーロッパ的な「少年の成長物語」が付加されている。

 アラジンの話がハンナ・ディヤーブにどのように伝わったのか、や、聞き取りをしたガランが具体的にどのような部分を編集したのか、など具体的な過程が判明していないことは多い。しかし、「教訓話は「教訓話」がいかに無意味なものかを示すためにあえて挿入されたように見」ることができるガラン写本と「なまけ者の不良少年だったアラジンは、まじめに商売にとりくむようになり、人間としても成長していく」という「ヨーロッパ的少年の成長物語が付加」されたアラジンの話では、同じアラビアンナイトとくくられていても同一視し論ずることは不可能だろう。
 「ヨーロッパ化現象はアラビアンナイトの挿絵部分でも見られる」と、西尾氏は指摘する。アラビアンナイトの挿絵は「イスラム世界ではガランの翻訳以前に伝統的な挿絵はほとんど制作されていないので、事実上、アラビアンナイトの挿絵史は英語翻訳版に挿絵が初めてつけられた1706年に始まる」ため、ヨーロッパのイメージが色濃く反映されているのである。
 
 シェヘラザードにしても最初期の挿絵ではフランス宮廷風の衣装を着た貴婦人として描かれているのだが、好色文学としてのイメージが強まるにつれてだんだんと薄着になっていき、20世紀に描かれたカイ・ニールセンやロデリック・マックリーの挿絵では盛装したシャフリヤール王の前に座るシェヘラザードは全裸ということになってしまった。これもまた、アラビアンナイトを受容し消費する社会のアラビアンナイト観を反映している。アラビアンナイトに登場するさまざまな女性像(好色、純情な乙女、母親など)から連想されるアラビアンナイト像が、物語内での存在が気薄なシェヘラザード像へと直接的に転化されているわけである。したがってヨーロッパ化されたアラビアンナイトに描かれた女性像を元に中東世界の女性の実像を構築することはできない。このような現象はヨーロッパにおけるアラビアンナイトが、叙述の対象社会である中東世界を描き出すものとは見なされておらず、受容・消費社会であるヨーロッパの価値観の変容を反映していたことを如実に示しているといえるだろう。

 引用にあるように、「アラビアン」ナイトというタイトルではあるものの、「叙述の対象社会である中東世界を描き出すものとは見なされておらず、受容・消費社会であるヨーロッパの価値観の変容を反映して」いる点に注意が必要だろう。
 また、アラジンの話の舞台にも注目すべきである。西尾氏はアラジンの話の舞台について以下のように述べている。

 《アラジン》の物語は、西の果ての不思議世界(マグリブ)から出てきた魔法使いが、アラブ世界で巻きおこした不思議話を、東の果ての不思議世界(中国)に仮託してアラブ世界で育ったディヤーブが語り、それをヨーロッパ人であるガランが書き記したという物語ということになる。つまりアラジンの物語世界では多文化が複雑に重なり合っている。
 
 最初の「西の果ての不思議世界(マグリブ)から出てきた魔法使い」とは、「アラジンの元に、亡くなった父親の兄弟ということで訪ねてきて、アラジンに穴の中のランプを取ってくるよう言いつけた、アフリカの魔法使い」のことである。マグリブとは「アラビア語で「日が沈む場所」、転じて西方」を意味しており、「バグダード滅亡後(1258)にイスラーム世界の文化中心地となったカイロから見れば、マグリブの地は辺境地帯、つまり何か不思議な出来事が起こる場所でもあった」のである。次に 「東の果ての不思議世界(中国)」とは「イスラーム世界から見ればはるか彼方の文明国である中国」のことである。イスラーム世界にとっての中国は、「不思議な話、幻想的な物語が生起する文学的トポス(場所)」である」と分析している。ここからわかるのは、アフリカや中国という具体的な場所を示したのではなく、どちらも中東にとっての辺境の「不思議世界」としての名前であることである。
西尾氏は、多くの話を含むアラビアンナイトの中で、誰もが知るようになったのは、「別の伝承に属する海洋冒険譚の《シンドバード航海記》を別にすると、ガランによってヨーロッパ化された《アラジン》と《アリババ》だけ 」だったと述べている。

ヨーロッパ化されたアラビアンナイトは、ヨーロッパ中で読者を獲得した。だが、ヨーロッパ読者は、自分たちが読んでいるのがヨーロッパ化されたアラブの物語とは思わなかった。彼らにとってアラビアンナイトは、オリエントのイメージを思い描くための強力無比なツールとなった。アラビアンナイトが見せてくれた、不思議に満ちた官能的で残酷な世界。それがヨーロッパにとっての東方世界となっていく。そのような世界へ扉を開いたもの、それがガラン版『千一夜』だった。

 この引用からもわかる通り、アラビアンナイトの中でも「ヨーロッパ化された話」が受け入れられ、しかもそれは「オリエントのイメージ」としてツールとされていった。
 本論文の後半でも改めて述べるが、アラビアンナイトは成立が複雑で多文化を含む上に、節々でヨーロッパ化されているのである。よって、アラビアンナイトを題材に中東の世界の実像に迫るのは相当難しいと考える。

2-2 日本での受容 
 本項目では、アラビアンナイトの日本での受容として、受容の流れ、特徴、ファンタジーとパーツ化の弊害について先行研究を整理する。
 まずは簡単にガラン版が出版された後の流れを説明する。ガラン版が出版された後、「ハビビト版(1825~43)、マックノーテン版(1839~42)、レーン(1838~40)、ペイン(1882~84)、バートン(1885~88)(以上英訳)、ヘニング(1895~97)(独訳)、マルドリュス(1899~1904)(仏訳)など」が続々と出版された。また、アラビアンナイトには「児童文学」と「好色文学」という二つの読まれ方が存在するようになった。 
 ここからは日本の受容の流れを整理する。 
 日本では1875年に『アラビアンナイト』の最初の翻訳版、タウンゼント版とレーン版からの永峰秀樹訳『開巻驚奇暴夜物語』が出版された。その前書きには、以下のように書かれていた。

 「専ラ欧州二行ナハレ、毎戸二蔵シ、毎人読マザルハナク、読ム者、為二寝食ヲ忘ル」「人心ノ倫常自カラ備ハリタル、善悪必ズ其応報アルガ如キ、亦以テ勧懲ノ具トナシ、兼テ世態人情ヲ知悉スル料トスルニ足レリ」

 「『アラビアンナイト』と日本におけるイスラーム認識」という論文のなかで松本ますみ氏は、この前書きから、「「エンターテイメント性」とともに、「倫理・因果応報・勧善懲悪・社会と人間性」、すなわち、近代国民国家の中で望まれる社会的規範と人間像が描かれている」と指摘する。西尾氏によると、この後、「20年ほどの間にガラン版に収録されている物語の多くが日本人読者に知られるようになった」ようである。ただし、当時の日本人にとっては、「アラビアンナイトが伝える中東情報ではなく西洋近代市民社会の教養の範囲内に止まっていたと言える」とまとめている。しかしながら、たとえ教訓と娯楽性を求めていたとしても、「日本人が『アラビアンナイト』を翻訳出版するというのは、西欧人がイメージしたオリエント幻想(優越・偏見と憧れの感情)をそのまま無批判に受け入れるということ」を意味している。
 
 明治末期から大正昭和初期になるとヨーロッパでの流れと同じく日本のアラビアンナイトは「児童文学と好色文学という二極化」を遂げていく。
 戦前の1941年、世界名作童話全集2「アラビアンナイト 船乗りシンドバッド」のアリババと四十人の盗賊」の口絵について、松本氏は論文の中で以下のように分析する。引用中の「蕗谷」とは、この本の挿絵を描いた、当時の人気挿絵画家、蕗谷虹児のことを指している。

 賢い女奴隷マルジャーナが壷にひそんだ盗賊どもを油で焼き殺す、というなんとも残虐な場面であるが、「月の砂漠」と同様の三日月と満天の星、アラベスク模様の門、さらには、あまり感情のこもらない美しい女奴隷の表情によって、読者はこの場面に感情移入することなく、面白い話のための美しいさし絵として楽しむことができるしかけとなっている。ここには、西欧人がイメージした幻想のアラビアの影響を認めることができるが、エロチックなイメージ、遅れたオリエントというイメージはない。日本はアラブ・イスラーム世界を支配せず、日本人で中東を訪れたことのある人は些少であり(にわかムスリムであった山岡光太
郎のメッカ巡礼は1909年)、ましてや偏見はなく、幻想は幻想のままで、まさに「娯楽」としての受容される素地があったし、蕗谷自身がそれに迎合したということであろう。アラビアは日本人にとってあまりにも生々しさに欠けていた。

 しかし、戦後、日本と中東が主に石油関連でかかわりを持つようになっても、戦前の幻想を踏襲したままであることを1958年の講談社の絵本ゴールデンシリーズの表紙から指摘する。
 
 おなじく蕗谷によって描かれている。アラジンは、今度はアラブ人として登場している。戦後、アラブ諸国が独立し、日本も石油をこの地域からの輸入におおく依存しはじめた時期の作品であるにもかかわらず、戦前の幻想の「アリババ」路線を忠実に踏襲した画業であるということが指摘できよう。

 このような傾向は、後述するが宝塚歌劇などでもみられる。
 また、戦後、好色文学の分野では、「大場正史『千夜一夜物語』(河出書房新社、1966~1967年)が、120万部の大ベストセラー」になり、「古沢岩美のエロティックな挿絵の影響もあって好色文学としてのアラビアンナイト・イメージを定着させる」ことになった。また、松本氏は論文の中で、「好色イメージの定着は、1957年11月の『文藝春秋漫画読本』の境田昭造という漫画家による「漫画・世界五大宗教の漫画「回教/怪教」という漫画にも表れる」と指摘する。

 この特集のうち、宗教として取り上げられているのは、キリスト教、仏教、イスラーム教(回教)、儒教、無宗教の五つである。性的な椰楡がはいっているのは、「回教」のみであ
る。「回教」に関して、ターバンの巻き方や蛇使いなど、インドの風習をアラビアと誤認
していることはご愛敬として、やはり問題とされるべきは、イスラーム=アラブのイメージが、「好色、一夫多妻、男の天国としてのハーレム、乱暴、頑迷、無謀、時代遅れ、神秘、幻想」といった西欧のオリエンタリズムを裏打ちしたものであるということだ。「回教/怪教」ともじったところにそれが如実に表れる。特に、二枚目に日本人が描かれており、戦前とは違ってアラブと日本の経済交流を連想させるが、これらのマイナスイメージは戦前と比べて変化がないか、あるいはかえって悪化していることに留意せねばならない。

 戦後、経済交流が生まれても、好色イメージや「時代遅れ」という偏見は、むしろ強化されていることに関して、松本氏は、以下のように結論付けている。

 すなわち、新憲法発布後も戦前と変らぬ男性中心主義社会の中で、性の商品化にともなう性産業・性的言論の隆盛と、ムスリムという当事者がいない場面での面白おかしい異文化の細切れの導入と消費、さらにはアラブ=アブラの国への興味とが、偏見にみちたアラブ観・イスラーム観を形成したということができる。(中略)ムスリムが社会にほとんどいない状況においては、好色のイメージは、絶対的遠方にあって反論できない他者に押し付けられるほうがよく、それによって身近なものをだれも傷つけないという点において安心であった。

 ここまでが日本の受容の流れである。
 次に、アラビアンナイトの受容の特徴を整理する。一般的なアラビアンナイトの受容の具体例として、西尾氏は宝塚歌劇を挙げている。

 宝塚歌劇には「砂漠の黒薔薇」をはじめとして、アラビアないしアラビアンナイトに題材を求めた作品がある。 宝塚歌劇におけるアラビアンナイトの受容は、日本における一般的なアラビアンナイトの受容と重なっている。つまり中東に舞台を設定することによって現実世界との直接的な関係性を避け、日本や欧米が舞台となる物語にアラビア人が登場する場合は、アラビア人キャラクターの異邦人性が強調される。 一歩進んで、東洋と西洋をつなぐ人物としての役割を担う場合もある。アラビアンナイトを忠実になぞったストーリーは、宝塚的展開とは異質なものとして捉えられる一方で、物語の筋や内容が宝塚的にたくみにアレンジされて利用されていると言えるだろう。
 
 引用からわかるように、日本での受容の特徴とは、「中東に舞台を設定することによって現実世界との直接的な関係性を避け」(1)、「日本や欧米が舞台となる物語にアラビア人が登場する場合は、アラビア人キャラクターの異邦人性が強調される」(2)。「 一歩進んで、東洋と西洋をつなぐ人物としての役割を担う場合もある」(3)。
 更に、西尾氏は他の書籍で、同じく宝塚歌劇に関して「アラビアの地は、夢のようなファンタジーの舞台であるとともに、理不尽な運命が支配する場所」(4)でもあったと述べている。「最初期の『ダマスクスの三人娘』、『アラビアンナイト』(1921)などの場合には時代からいっても正確な中東(ないしイスラム)情報に基づいた作撃は無理だった」と思われるが、「現在にいたるまで宝塚では視覚面での中東(ないしイスラム)情報を強調して異国情緒を盛り上げる」(5) 「一方、本質的な中東(ないしイスラム)情報を意図的に排除することによってなじみのない文化に対する説明を省き、娯楽性を強化してきた」(6)といえるとまとめている。この(5)、(6)の、戦前は正確な情報へのアクセスが難しかったとしても、戦後になっても、「視覚面での中東(ないしイスラム)情報を強調して異国情緒を盛り上げ」(5)、本質的な中東(ないしイスラム)情報を意図的に排除することによってなじみのない文化に対する説明を省き、娯楽性を強化してきた」(6)という特徴は、前述した、1958年の講談社の絵本ゴールデンシリーズの表紙でもみられる。もう一つ、ゲーム「ドラゴンクエスト3」で具体例を見てみよう。

 「ドラゴンクエスト3」は実在と架空という二つの世界を舞台に主人公たちが冒険の旅を続ける設定になっており、エジプトやイラクに相当すると思われる国も登場してくる。エジプトらしき国は女王イシスが治めており、砂漠の中には呪いにかけられた宝物をおさめたピラミッドもある。イラクらしき国の名前は「アッサラーム」となっており、これはアラビア語のあいさつの一部からとったものだろう。ここの名物はベリーダンスいうことになっており、劇場には踊り子がいて夜になるとショーが開かれる。町には値段をふっかけてくる商人もいるが、「いいえ」を選択すると値下げ交渉もできる。 アッサラームの町は、アラビアンナイトを通して日本人が思い描いてきた中東のイメージをそのままの形で表現しているといえるだろう。たがその町にあるのはモスクではなくてキリスト教風の教会である。十字架のある教会に入るとパイプオルガン風の音楽が鳴り、ゲーム中で主人公が受けたダメージを回復することができる。つまりここでも表面上での表面上での差異化を行うことによって、本質的な異文化性を巧みに覆い隠している。

 まさに、「視覚面での中東(ないしイスラム)情報を強調して異国情緒を盛り上げ」(5)、本質的な中東(ないしイスラム)情報を意図的に排除することによってなじみのない文化に対する説明を省き、娯楽性を強化してきた」(6)という特徴を持っていることが分かる。 
 また、日本だけでなく各国でみられることであるが、大衆娯楽の発達に伴って、「パーツ化」が加速されてきた。西尾氏は、パーツ化について以下のように説明する。

 アラビアンナイトの代表的な登場人物(シェヘラザード、アラジン、アリババ、シンドバッド、ランプの精など)、小道具(魔法のランプ、空飛ぶ絨毯など)といった物語の「部品」(パーツ)を本来のストーリーから切り離して単体でとり出すことである。このようなパーツは別のパーツや物語と組み合わされ、新しい物語が再構成される。パーツ化とその再構成というプロセスを通せば、効率的に物語を再生産できるわけである。中でもアラジン、アリババ、シンドバッドの三キャラクター、魔法のランプと空飛ぶ絨毯は縦横に活躍しており、ディズニーの『アラジン』でも、アラジンのオリジナルストーリーには登場していない空飛ぶ絨毯が自在に動き回っている。

 この引用からわかるように、パーツ化とは、「物語の「部品」(パーツ)を本来のストーリーから切り離して単体でとり出すこと」(7)でそれによって「効率的に物語を再生産できる」のである。このパーツ化については、アラジンの空飛ぶ絨毯が一番有名ではあるが、現在でも、CMやアニメ、映画、漫画作品など数え切れないほどたくさん行われている。本論文の第3章でもアニメーション映画で検証を行う。

 パーツを再構成する際に利用されるのは、本来のアラビアンナイトに登場するパーツのみではない。例えば先述したとおり、ディズニーの『アラジン』に出てくる悪宰相は、映画『バグダッドの盗賊』(リメイク版)でコンラート・ファイトが演じた役柄をパーツとしてとり出したものだった。ディズニーの『アラジン』を見た観客の中には、すぐに『バクダットの盗賊』を連想した人もいただろうが、『バクダットの盗賊』を知らなかったとしてもディズニーの『アラジン』を見る楽しみが減るわけではない。あるいは『朱金昭』のように、アラビアンナイトとは関係ない悪役中国人というパーツを外部から取り込んで物語を再生する場合もある。いわば最小限の手間で物語の消費と再生産を延々と続けることができるわけである。

 これによって、「アラビアナイトを通読したことのない受け手、アラビアンナイトという題名しか知らない受け手であっても、パーツの再構成によって作り出されたアラビアンナイトを楽しめる」わけである。
 ここで、「アラジン」以外のファンタジー、おとぎ話でもパーツ化は進んでいないのだろうか。少年漫画週刊誌に連載されていた『マギ』(大高忍)と『月光条例』(藤田和日郎)を確認する。

 『月光条例』は、ニ〇一一年十一月現在で十五巻まで単行本が出版されており、十巻からはアラビアンナイト編が展開している。『マギ』と同じ雑誌に掲載されていることから、あるいは意図的に異なったキャラクター設定を選んだ結果かもしれないが、『マギ』のアラジンが純真な少年なら『月光条例』のアラジンは邪悪な容貌をした陰謀の手先だし、颯爽とした青年王だった『マギ』のシンドバードは、『月光条例』ではおべっか好きな俗物になっている。アリババにいたっては四十人の盗賊の頭領という設定だ。
 ここで確認する必要があるのは、『マギ』や『月光条例』のキャラクターが、どのように原作と違っているかという点ではない。つまり、アラビアンナイトのキャラクターは、アラジンやアリババやシンドバードという最も有名な三人でさえ、規格が定まっていないのだ。アラジンやアリババやシンドバッドをどのように描こうとも、読者は比較的すなおに物語を受け入れ、あれこれと深読みせずに話の展開を追ってくれることだろう。
 『月光条例』には昔話やおとぎ話が次々と登場する。「三匹の子豚」「シンデレラ」「赤ずきん」「一寸法師」「金太郎」などのキャラクターは、青い月の光でおかしくなってしまっても、オリジナルとして知られているストーリーのメッセージを背負っている。別の言い方をすれば、彼らにはそれほど行動の自由があるわけではない。たとえば正義の味方シンデレラがまさかりで悪人をなぎ倒していったとしたら、パロディとしてはおもしろいかもしれないが、彼女はすでにシンデレラではない。読者は何らかの伏線、もしくは新しい物語の予期するだろう。だが、アラジンが純真な少年だろうか陰謀の手先だろうが、大方の読者はたいして考えることもなく話についていってしまうのではないだろうか。
 
 この引用からわかるのは、「「三匹の子豚」「シンデレラ」「赤ずきん」「一寸法師」「金太郎」などのキャラクターは、青い月の光でおかしくなってしまっても、オリジナルとして知られているストーリーのメッセージを背負っている」が、「アラビアンナイトのキャラクターは、アラジンやアリババやシンドバードという最も有名な三人でさえ、規格が定まっていない」のだ。これが、あらゆるおとぎ話の中でも「パーツ化」が進んでいるといえる所以である。

 ここまで、日本の受容の特徴をみてきたが、ここまで、娯楽化、ファンタジー化が進んでいて、現実の日本と中東との関係には何か問題は起こっていないのだろうか。特に、戦前はともかく戦後、経済的交流が生まれても、ファンタジー化が加速していることに違和感を感じる。西尾氏は、日本と中東の関係を以下のようにみている。

 日本にとっての中東とは、天竺(インド)のかなた、シルクロードの果てに広がる茫漠とした実体のない場所でしかなかった。ヨーロッパが「他者」として相対し、近代オリエンタリズムが「もの言わぬ他者」としての自己像の中に取り込んでしまった中東は、近代日本にとっては「他者」の背後に広がる「遠景」にすぎず、本気で対峙するような存在ではなかった。だが、(中略)シェヘラザードがまとめあげたアラビアンナイトとはオリエンタリズム的文学空間をしたたかに生き抜いて世界文学への変身を遂げる一方で中東文化への窓ともなってきた。(中略)『マギ』の(中略)二次創作の舞台設定のために中東文化の資料にあたるファンもいるようだ。世界文学となることで本来の中東的な要素が脱落しファンタジー化が進んだことが、逆に中東文化への関心を刺激するという面もあるのだろう。

 西尾氏のこの文章を見ると、日本にとっての「遠景」であった中東を取り込み、アラビアンナイトのファンタジー化を日本なりの受容として称賛しているように感じ取れる。
 しかし、この項目の前半で確認した通り、戦後、経済的交流が始まり、実際の情報が入ってきてからも日本社会は「ムスリムが社会にほとんどいない状況においては、好色のイメージは、絶対的遠方にあって反論できない他者に押し付けられるほうがよく、それによって身近なものをだれも傷つけない。」ために利用したり、戦後、「イスラーム=アラブのイメージが、「好色、一夫多妻、男の天国としてのハーレム、乱暴、頑迷、無謀、時代遅れ、神秘、幻想」といった西欧のオリエンタリズムを裏打ちしたものである」ものにしたのも指摘されているとおりである。

 また、直接日本は関わっていないが、歴史上、「アラビアンナイト」の幻想は、見たくない現実を閉じ込めておくことにも使われたのである。

 実際には19世紀末にはすでにアフガーニー、アブドゥフ、リダーらが中心となりイスラーム改革・復興運動がエジプトを中心としたアラブ世界に沸き起り、席捲していた。これは反帝国主義運動、反キリスト教運動、ナショナリズム運動、教育改革運動としてイスラーム世界全体で大きな力になりつつあった。それに対する警戒や論駁も統治者たる西欧
列強側は用意していた。が、そのような生々しい現実は『アラビアンナイト』の読者にとっては無視されてしかるべきであった。彼らにとって、アラブ人の自発的運動はありえなかった。現実をあえて見ない、現実を見る努力は回避する、しかし、見たい幻想だけを見る、これがエンターテイメントの世界であり、『アラビアンナイト』はアラブ・イスラーム世界をファンタジー化することによって、まさにこの願望に合致する枠組みを提供したということになる。
 
 引用の前に、直接は関わっていないといったが、日本はヨーロッパ視点を通したアラビアンナイトを翻訳し読んできたのである。パーツ化、ファンタジー化が進んでいる現在の日本でも、このような使われ方がないか、私たちは注目しなければならない。
 また、ファンタジー文学であるアラビアンナイト以外に、訳されない日本の状況は「日本や欧米を無意識のうちに成熟した場所と考え、北アフリカを、素朴なあるいは場所によっては野蛮なあるいはまた幼稚な場所とみなしたがる傾向」のもと、作り出されているかもしれない。

 マグレブ(北西アフリカ諸国)だけでなく、中東の文学、アラブイスラーム圏の文学の紹介について言えることは、自由のない抑圧された社会の有り様を告発するという視点から書かれた作品が選ばれやすいということです。 (中略)ほかの観点として、大きく二つ、エスニック文学としての関心と、ファンタジー文学としての関心も挙げられるでしょう。つまり北アフリカの文学を、まずメジャーな西洋諸国とは異なる、変わった辺鄙な場所を舞台にするローカル文学として特徴づける傾向が見られるのです。それゆえにこうした地域は、劣った文化の場所、遅れた人間の場所とみなされやすくなります。日本や欧米を無意識のうちに成熟した場所と考え、北アフリカを、素朴なあるいは場所によっては野蛮なあるいはまた幼稚な場所とみなしたがる傾向が生まれます。北アフリカをファンタジーと結びつける傾向はこうした意識とも関連しているでしょう。(中略) しかし北アフリカの国々からは様々な文学作品が豊富に生まれています。アラビア語やフランス語で書かれるそれらの多様な、そして私たちを様々な形で人間をめぐる本質的な考察と誘ってくれる作品たちが、もっともっと日本に紹介されるようになることを願っています。 

 第二章では、第一項目では、「アラビアンナイト」とはいかに複雑成り立ちであるか、「アラビアン」ナイトにどれほどの様々な文化が含まれているか、現在でも注意を怠るとオリエンタリズムに加担しかねない存在であるか、アラビアンナイトのヨーロッパ化について、ガラン版の成立の流れを追いながら整理をした。
第二項目では、アラビアンナイトの日本での受容の流れ、特徴、ファンタジーとパーツ化の弊害について、先行研究を整理した。
 そこで、この次の第三章では、ここまで整理してきたアラビアンナイト受容の特徴が、当てはまるのか具体例をもとに検証を行う。
また、その次の第四章では、日本はヨーロッパ視点を通したアラビアンナイトを翻訳し読んできたことから、容易にオリエンタリズムの視点を現代でも再生産してしまうため、その具体例を検証する。


 
3、日本の受容の検証


 本章では、先行研究の第2章で述べられた現代のアラビアンナイトの受容の特徴である7つが実際に日本でも一般に取り入れられているか、事例とともに考察する。7つの特徴は以下の通りである。

「中東に舞台を設定することによって現実世界との直接的な関係性を避け」(1)、
「日本や欧米が舞台となる物語にアラビア人が登場する場合は、アラビア人キャラクターの異邦人性が強調される」(2)。
「 一歩進んで、東洋と西洋をつなぐ人物としての役割を担う場合もある」(3)。
「アラビアの地は、夢のようなファンタジーの舞台であるとともに、理不尽な運命が支配する場所」(4)
「現在にいたるまで宝塚では視覚面での中東(ないしイスラム)情報を強調して異国情緒を盛り上げる」(5)
「一方、本質的な中東(ないしイスラム)情報を意図的に排除することによってなじみのない文化に対する説明を省き、娯楽性を強化してきた」(6)
「物語の「部品」(パーツ)を本来のストーリーから切り離して単体でとり出すこと」(7)

 具体的な事例としては、2015年「それいけ!アンパンマン ミージャと魔法のランプ」、
2003年「劇場版とっとこハム太郎 ハムハムハムージャ!幻のプリンセス」、1991年「ドラえもん のび太のドラビアンナイト」の三つの日本のアニメーション映画を使用する。
 まず、1991年の「ドラえもん のび太のドラビアンナイト」は、のび太の部屋にあった世界児童文学「シンドバッド」の中に取り残されたしずかちゃんを、ドラえもん、のび太、ジャイアン、スネ夫がタイムマシンで過去に戻り、794年バグダッドへ助けに行く話である。本の中なのに、タイムマシンで実在の過去へ戻るのは、実在の人物「ハールーン・アッ=ラシード」が話に出てくるため、世界が交差していると考えたからである。展開されている話の舞台が世界児童文学のなかでもあり、実在の過去でもある設定のため、「中東に舞台を設定することによって現実世界との直接的な関係性を避け」(1)という特徴は言えるだろう。また、「シンドバッド」の話の流れをおうわけでもなく、しずかちゃんの行方を捜しに行くため、まさに、「物語の「部品」(パーツ)を本来のストーリーから切り離して単体でとり出すこと」(7)が行われた話だといえる。具体的には、「アラビアンナイトにちなんだ名前(カシム、シンドバッド、ハールーン・アッ=ラシード)」「ランプの魔人」「砂漠」「財宝」「王宮」「盗賊」などが確認できる。また、本作品は大長編のドラえもんの作品の中で唯一、「しずかちゃんが捕らわれ、それを後の四人が助けに行く話」であり、この理不尽な話が数あるドラえもん映画の中で本作品で採用されているのは、「アラビアの地は、夢のようなファンタジーの舞台であるとともに、理不尽な運命が支配する場所」(4)というアラビアンナイトのもつ、受容の特徴と無関係とはいえないだろう。
 2003年「劇場版とっとこハム太郎 ハムハムハムージャ!幻のプリンセス」は、ハム太郎の夢に出てきた泣いている女のハムスターを行方を捜すため、ハムスターの故郷といわれる王国へ仲間たちと一緒にいき、「シェーラ姫」を助け出す話である。先ほどのドラビアンナイトと比較して、一段と「パーツ化」(7)が進んでいることが見てとれた。舞台としての「砂漠」や名前の「シェーラ姫」と、小道具の「魔法のランプ」で「効率的に物語を再生産した」作品といえるだろう。ドラビアンナイトでは、敵は「盗賊」のカシムやアブジルで、時代も794年のバグダッドであるが、この作品では、ハムスターの天敵の猫であり、時代は、ハムハム歴8686年(8686も「ハムハム」でただの語呂だと思われる)のハムージャ王国とされている。また、ハムージャ王国の場面で寿司屋が出てきたり、モーニング娘。のハムスターキャラクターがライブをするシーンがあったり、ファンタジー色が一段と強いことが言えるだろう。これは、「一方、本質的な中東(ないしイスラム)情報を意図的に排除することによってなじみのない文化に対する説明を省き、娯楽性を強化してきた」(6)の特徴を持った作品だといえるだろう。
 最後に2015年「それいけ!アンパンマン ミージャと魔法のランプ」である。ランプの精霊「ミージャ」がアンパンマンたちの世界にやってきて、アンパンマンの仲間たちとランプの中の世界で遊んでいたところ、魔法の腕輪が壊れてしまい、元の世界に帰れるよう、仲間とミージャが力を合わせる話である。こちらのあらすじからわかるように、ランプの精霊が「パーツ化」を経た結果、アンパンマンの世界にやってきている。そのため、アラビアンナイトにルーツを見つけることができるものは、「魔法のランプ」とその中にいる「ランプの精霊」のみである。また、精霊が願いを叶えるといっても、魔法の腕輪の力であり、破損することもある、極めて元のアラビアンナイトの設定とは隔たりがあることがわかるだろう。また、「お菓子の魔神」や、四人の魔神の会話をするシーンなど、パーツが新しいモチーフと溶け込んでいることも指摘できる。
 第二章の二項目で確認した、宝塚歌劇やゲーム「ドラゴンクエスト3」、漫画「マギ」、「月光条例」のように、アニメーション映画の「それいけ!アンパンマン ミージャと魔法のランプ」、
「劇場版とっとこハム太郎 ハムハムハムージャ!幻のプリンセス」、「ドラえもん のび太のドラビアンナイト」の三つも、日本のアラビアンナイトの受容の特徴を持っていることがわかった。
 次章では、アラビアンナイトというファンタジーを現実の中東を移すものとして機能させてしまっている日本のもう一つの現状を示し、その事例から自覚すべき点、そして現代人としての付き合い方を模索する。


4、現代日本でのアラビアンナイトの認識
 


 ここまでの章で「アラビアンナイトは複雑な成立の過程でオリエンタリズムを存分に含んだファンタジー作品である」、ということを明らかにしてきた。そこで本章では、ファンタジーとして楽しみ親しむ一方で、日本で近代ヨーロッパからの偏見を含むという認識が低く、」アラビアンナイトを現代のアラブの特徴やアラブ人の特徴を示しているかのような言説がある状況を指摘する。


4-1「アニメでみる世界史」(2015)の問題点


 1つ目の書籍は、藤川隆男氏、後藤敦史氏による「アニメで読む世界史2」である。本書は「最初から読んでいけば、世界史の流れが理解できる」ような仕様になっていて、第二弾の本書では11のアニメが世界史の流れとともに紹介されている。第二章の「アラジン」を担当しているのは冨田暁氏で、本書は山川出版社から2015年1月に出版されている。
 それでは本書の第二章「アラジン―海のシルクロードとアラビアンナイト」について言及する。本章ではディズニー制作のアニメーション映画『アラジン』を元に19ページにわたって話を進めている。
 ここで、指摘したいことは3点ある。
 1点目は、アラジンを使って、シルクロードを説明しようとしている点である。本書では、参考文献として西尾氏の著作をあげているから当然なのかもしれないが、アラジンの話が、アラビアンナイトの原型に入っていなかったことに言及している。また、アラジンの原作の成立時期にも言及している。

 アラジンやアリババは、シリア出身でフランスに滞在していたハンナディヤーブという人物から故郷の民話として聞取りがおこなわれ、ガランの『千一夜』に収録されました。アラジンの原作がいつ成立したのかはっきりしないのですが、作品中にコーヒーの記述があることから、中東でコーヒーが広まっていく16世紀以降に現在のかたちになったと考えられます。

 ここで言及しているようにアラジンの物語は16世紀以降とされている。それにもかかわらず、その後、「『アラジン』の設定の背景となった」に続いてシルクロードやイスラーム商人の広がりなど、8世紀から12世紀ごろの世界史が展開されている。

 二つめはアラジンの話は、「中東の社会や文化を反映していた」といいきれるのであろうか、ということである。

 中国を舞台としつつ、内容は中東の社会・文化を反映していた原作「アラジン」はヨーロッパで人気を得ます。

 この文は、中国という具体的な場所を示しているのではなく、本論文の第2章でもふれたように、「イスラーム世界にとっての中国は、「不思議な話、幻想的な物語が生起する文学的トポス(場所)」である」こと、中東にとっての辺境の「不思議世界」としての名前であることを伝えるためだろうと推測はできる。ただ、アラビアンナイトのガラン写本に見られるような、中国を舞台とした他の話なら「内容は中東の社会・文化を反映していた原作『アラジン』といえたとしても、「西の果ての不思議世界(マグリブ)から出てきた魔法使いが、アラブ世界で巻きおこした不思議話を、東の果ての不思議世界(中国)に仮託してアラブ世界で育ったディヤーブが語り、それをヨーロッパ人であるガランが書き記したという物語ということになる」、「多文化が複雑に重なり合っている」話である、アラジンで明言するのは無理があるだろう。
 実は、本書の作者が、「アラジンは中東の社会や文化を反映している」と考えたであろう根拠が本書の38頁に掲載されている。

 アニメ『アラジン』と原作『アラジン』では多くの違いがありますが、東洋文庫版の原作『アラジン』をもとに、ポイントを絞って比べてみましょう。なお、東洋文庫版はカルカッタ第2版というアラビア語版の原典から直接日本語に翻訳されたものです。

 確かにこの文章だけを読むと、「アラビア語の原典から直接日本語に訳されたもの」であるため、「アラジンは中東の文化や社会を反映している」といえるかもしれない。しかし、この「カルカッタ第二版」は、1839~1842年、イギリスによる本格的なインド植民地化のもと、現地の文化・宗教・言語に通づるためのアラビア語用テキストとして流れを受けて、作成されたものである。実は日本語で読めるアラビアンナイトに共通する、近代ヨーロッパとの関係がここには表している。

 だが、日本におけるアラビアンナイト翻訳には大きな問題があった。永峯訳から前嶋訳に至るすべての翻訳版が、「ヨーロッパを経由したアラビアンナイトの紹介」にとどまっていたのである。(中略)前島の底本はアラビア語原典の印刷本であるカルカッタ第二版であるが、カルカッタ第二版はヨーロッパ(特にイギリスによる)「究極の寄せ集め本」だった。つまり日本語で読めるアラビアンナイト本のうち、アラブ世界で成立した本当のアラビアンナイトに最も近いと思われる前嶋訳アラビアンナイトにしても、近代ヨーロッパが完成させたものだったわけである。
 
 私たちは、「アラビアン」ナイトを読んでいても容易に近代ヨーロッパの視点を通してしまっているのである。
 やはり、本書の38頁からもアラジンが「中東の社会や文化を反映していた」とはいいきれない、ヨーロッパ化されたアラジンであることがわかる部分がある。

 アラジンは貧しい仕立て屋のなまけ息子ですが、ランプの魔人の力を借りて行くうちに立派な若者に成長していきます。

 この「成長」は第二章でも紹介したように、アラジンがヨーロッパ化されていることの証でなのである。
 
 なまけ者の不良少年だったアラジンは、まじめに商売にとりくむようになり、人間としても成長していく。このような少年の精神的な成長物語は宿命がすべてをとりしきるアラビアンナイトの中ではかなり珍しい例だ。(中略)《アラジン》では、ジンや魔法がはばをきかせるアラビアンナイトの定型話にヨーロッパ的な「少年の成長物語」が付加されている。

 三つ目は、オリエンタリズムについてである。
 本書は「本当の意味で「世界史」の本になることをめざしている」からか、本書の7章「ジャングル・ブック」(ディズニー作品)と8章「ターザン」(ディズニー作品)に関してはオリエンタリズムの可能性があることを述べている。

 この2つのアニメには、大きな共通点があります。それは、エドワード・サイードという学者が唱えた「オリエンタリズム」を浮彫りにする作品だという点です。オリエンタリズムとは、欧米の人びとがいだく、非欧米世界に対するイメージのことを指します。『ジャングル・ブック』と『ターザン』から、欧米の人びとがいだいていたアジアやアフリカに対する偏見や差別の歴史も明らかにしたいと思います。

 しかし、「アラジン」を取り扱う第2章では以下のようにオリエンタリズム的視点に触れられることなく、掲載されている。

 そこにはエキゾチックで不思議な中東世界の物語が持つ魅力と、中東など東方世界に進出するヨーロッパ世界が現地の社会・文化にいだいた関心がありました。

 二つ目で指摘した通り、私たちは、「日本語で読めるアラビアンナイト本のうち、アラブ世界で成立した本当のアラビアンナイトに最も近いと思われる前嶋訳アラビアンナイトにしても、近代ヨーロッパが完成させたもの」ということに自覚的にならなければならない。
 そうしなければ、本論文の第2章で確認した通り、「イスラーム=アラブのイメージが、「好色、一夫多妻、男の天国としてのハーレム、乱暴、頑迷、無謀、時代遅れ、神秘、幻想」といった西欧のオリエンタリズムを裏打ちしたものである」であることから、「アラビアンナイト」「アラジン」もそうした中で、現代でも偏見を再生産させる道具になり得る。


4-2「教養は児童書で学べ」(2017)の問題点


 
2つ目の書籍は、出口治明氏による「教養は児童書で学べ」である。本書は児童書10冊を大人向けに紹介したもので、ライフネット生命保険創業者でもある著者が2017年8月に出版した。「取次大手による8月ランキング1~3位を児童書が独占したニュースが話題になる」など、本書はまさに2018年現在の大人への児童書の読み方に現在進行形で影響を与え続けている本といえるだろう。筆者が「アラビアンナイト」についてどのように考えているかを紹介する前に、まずは、本書の「はじめに」から、本書で紹介すべきだと思った10冊の児童書の選定理由について、どのように考えているのかを引用する。

 僕はいい本とそうでない本しかないと思っています。児童書であっても優れたものがあるし、つまらないものもある。大人向けに書かれた小説でもそうですし、学者の書いた学術書も同じです。(中略)児童書の魅力は、子ども向けに書かれた本だから単に「わかりやすい」ということではありません。(中略)子供は大人と比べれば知識も少ないし経験も少ないけれど大人は知識を獲得し経験を積むことによってむしろ目が曇ってくることがあります。素朴な子どもの方がその場の空気を読まないで本質を言い当てるのはアンデルセンの『皇帝の新しい着物』(裸の王様)でもわかるとおりです。だからこそ子ども向けに本を作ろうとしたらごまかしがききません。つまらないとすぐにそっぽを向いてしまいますから。だからいい児童書は無駄をすべて削ぎ落とした上でていねいに作ってあるのです。(中略)あらゆる大人と子どもが楽しめる10冊です。児童書には優れたものが本当に多く10冊を選ぶのは至難の技であったことを正直に白状しておきます。これらの本が楽しく読めるよう少し解説をしてみました 。

 上記に引用した通り、筆者は「大人より子どもの方が本質をついていて、ごまかしがきかないため、いい児童書はわかりやすいだけではなく、無駄を削ぎ落としていてあらゆる人が楽しめる」と述べている。そして、以下の文章はこれらの本が楽しく読めるようにつけた解説なのである。筆者はそのような10冊のうちの一つとして「アラビアンナイト」を選んだのであろう。 
 それでは本書の第三章「『アラビアン・ナイト』でわかる、アラブ人ってほんとすごい」について言及していく。本章では「福音館書店古典童話シリーズ」の酒井晴彦訳『アラビアン・ナイト』を元に約20ページにわたって話を進めている。
ここで、論証したいことは2点ある。
 1点目は、アラブ人、アラブ社会の特性をアラビアンナイトから見出して説明しようとしているところである。開始2ページを引用する。

 「アラビアン・ナイト」を生んだアラブの人たちのことを意外と日本人は知りません。彼らは気さくで明るくてエネルギッシュ。荒っぽいところもあるけれど人情味もすごくあります。アラブの人たち、アラブの社会について、これから詳しく見ていきましょう。

 確かに、アラビアンナイトの原型が生まれたのは「バグダード」とされているため、「アラブ人が生んだ」といえるが、「9世紀のバグダード」とされている。9世紀に原型ができた話で、さらに中世から今までにわたった、ある社会の特性を見出すのは無理がある。 さらに、本論文の第二章でも確認したように、アラビアンナイトは「一人の作者の手によるものではないため、収録時期によって作品の内容も異なっており、アッバース朝(八~十三世紀)バグダードの時代の作品と、ファーティマ朝(十~十二世紀)エジプトの作品では話の構成や質の面で、かなりの違いが認められるようである」という複雑な経緯で成立しているため、特性を見出すことは特に難しいだろう。そして、説明された「荒っぽいところもある」という特性は、本論文の第2章で引用して説明したようにガランが「残酷描写は「礼儀上ゆるされない」ことではない」といって訳していたこともあるだろう。「そういった残酷性はアラビアンナイトだけに見られるわけではない。グリム童話を引き合いに出すまでもなく、民話や昔話には残酷性が横溢しているのだが(後略)」、17世紀のヨーロッパ人の目にも「理不尽な残酷性は東方の特質であると映っていた」。他のページにも「荒っぽい」「残酷」という言葉をみることができる。ここでは、「アリババ」と「アラジン」について言及があったので、引用する。
 
 「アリ・ババと四十人の盗賊」の話では女奴隷のモルジアーナが盗賊を油で焼き殺しました。平気で荒っぽいことをやるのもアラビアン・ナイトの特徴です。
  
 初めて王女の姿を見たアラディンが翌日母親に向かって王女と結婚したいと言い出します。(中略)怠け者のアラディンが、こんな大それた決意をするというところからも、勃興期の社会のバブリーな、非常に荒っぽいけれど、元気一杯のエネルギーを感じることができます。
 
 本論文の第2章で確認したように、「アリババ」も「アラジン」も、「原典のアラビア語写本をそのまま翻訳したものではなかった。」 ハンナ・ディヤーブからガランが聞き取った話なのである。そして、ヨーロッパ化された、「近代的な作品となっている」なのである。ということは、ヨーロッパの目線から押し付けられた「荒っぽい」という特性という可能性がある。
 しかし、筆者は「アラジン」のヨーロッパ目線が含まれている可能性に気づいておらず、立身出世物語として「アラジン」を紹介する。

 『アラディンと魔法のランプ』も貧しい仕立て屋の息子で怠け者のアラディンの立身出世物語です。(中略)産業革命を終えたヨーロッパの人々が夢中になったというのもよくわかります。イングランドの町工場の親父さん達もひょっとしたら俺らによく似ているなと思いながら読んでいたのではないでしょうか。

 2点目は、この章の最後に「この本(アラビアンナイト)を読んで彼らの活力に触れれば、今のイスラム社会はむしろ特殊なのではないか、と考えることもできるでしょう。」と述べられていることである。72頁で「現在のアラブ社会は、テロやIS国を取り上げられることが多いのですが、本来は、とても文化的に洗練されていた世界だということを知っておいてください」と述べていることを考えると、この「特殊」は「テロやIS」のことを指していると考えられる。「テロやIS」と「今のイスラム社会」を同義で説明することに、違和感がある。確かに日本で報道されていることは、「テロ」や「IS」が多いが、それで「今のイスラム社会」が特殊なのではない。「テロ」や「IS」が特殊なのであって、「今のイスラム社会」は「文化的に洗練されている」部分もあれば、当たり前だが「テロ」をせず、過ごしているムスリムがいる。アラブ社会やアラブ人、現代のイスラームに言及するのであれば、今のイスラム社会が全体がおかしいような説明の仕方は避けるべきである。


5、これからのアラビアンナイトとの付き合い方


 第二章では、第一項目で、「アラビアンナイト」とはいかに複雑成り立ちであるか、「アラビアン」ナイトにどれほどの様々な文化が含まれているか、現在でも注意を怠るとオリエンタリズムに加担しかねない存在であるか、アラビアンナイトのヨーロッパ化について、ガラン版の成立の流れを追いながら整理をした。
 第二項目では、アラビアンナイトの日本での受容の流れ、特徴、ファンタジーとパーツ化の弊害について、先行研究を整理した。
 第三章では、先行研究で整理してきたアラビアンナイト受容の特徴が、当てはまるのか、アニメーション映画の「それいけ!アンパンマン ミージャと魔法のランプ」、「劇場版とっとこハム太郎 ハムハムハムージャ!幻のプリンセス」、「ドラえもん のび太のドラビアンナイト」の三つを具体例として検証し先行研究通り、日本のアラビアンナイトの受容の特徴を持っていることがわかった。
 第四章では、第二章、第二項目の先行研究から日本はヨーロッパ視点を通したアラビアンナイトを翻訳し読んできたことから容易にオリエンタリズムの視点を現代でも再生産してしまうことがわかった。その具体例を「アニメで読む世界史2」と、「教養は児童書で学べ」で検証した。
 私は本論文通して「アラビアンナイト、特に日本語で読むアラジンは近代ヨーロッパのフィルターがかかっている」ということ、「パーツ化、ファンタジー化が進んでいる裏で、見たくない現実を覆い隠すことに使っていないか」ということ、ファンタジー文学であるアラビアンナイト以外に、訳されない日本の状況は「日本や欧米を無意識のうちに成熟した場所と考え、北アフリカを、素朴なあるいは場所によっては野蛮なあるいはまた幼稚な場所とみなしたがる傾向」のもと、作り出されているかもしれないという視点を伝えたい。
 ファンタジーの話であるから、アラビアンナイトが現実のアラブを表象していようが、そうでなかろうが、正直どちらでもいい、そこに実益はないとも思われるかもしれない。確かにアラビアンナイトは童話であり、作り話である。現実を動かす首相の言葉の真偽を確かめるのとは違って、作り話の真偽を確かめることは無駄ではないだろうか。でも、ほんとうにそうだろうか。私たちは同一の人物を「青年」と呼んだり、「イスラム教徒」と呼んだり「外人」と呼んだり、「外国人労働者」「人材」「留学生」「移民」「映画監督」と呼んだり「難民」とよんだり、ある人は「偽装難民」という名前で表象することがある。
 難民の申請をたった28人しか受け入れないこの社会に、イメージが現実を規定し政治的決断につながっていることはないと言いきれるだろうか。
 アラブ人の特性として「残酷」で「あらっぽい」という形容が2017年でも平然と再生産されているこの社会で、アラビアンナイトが翻訳された際、残酷な描写がアラブの特性とされたことを再喝することは意味がないことだろうか。
 多様な社会をめざすものとして、必要なことは語学力だけでなくそういう見方を自然にしてしまっているかもしれないという自覚だ。いまや中東やアラブは遠く離れたファンタジーの世界ではない。日本の社会の構成員の1人としてむりやりやり枠に当てはめることなく現実と向き合っていきたい。




6、参考資料
・Samantha Heydt,2016 “Cinematic Essentialism,political Agendas Walt Disney’s Aladdin” DEBATING DISNEY p145-150.
・Leslie felperin,1997 “The thief of Buena Vista -Disney’s Aladdin and Orientalism-” A reader in animation studies p137-142
・池内恵,2016『イスラーム世界の論じ方』中央公論新社
・エドワード・W・サイード,1986『オリエンタリズム』 板垣雄三・杉田英明 監修 平凡社
・エロール・ル・カイン2000『アラジンと魔法のランプ』中川千尋訳 ほるぷ出版
・荻上チキ,2014『ディズニープリンセスと幸せの法則』星海社
・かながわこどもひろば,2004『絵本で知る東欧中東旧ソビエト連邦の国々』
・ケイト・Ⅾ.ウィギン、ノラ・A .スミス編/酒井晴彦訳/W・ハーヴェイほか画『アラビアン・ナイト』福音館書店
・小泉泉,2011『作品は「作者」を語る』 春風社
・国立民族博物館 編 西尾哲夫 責任編集2004『アラビアンナイト博物館』東方出版
・杉田英明,2012『アラビアン・ナイトと日本人』岩波書店
・出口治明,2017『教養は児童書で学べ』光文社
・波戸愛美 2014『アラビアン・ナイトの中の女奴隷 裏から見た中世の中東社会(ブックレット《アジアを学ぼう》別巻8』 風響社
・西尾哲夫,2007『アラビアンナイトー文明のはざまに生まれた物語ー』(岩波新書)岩波書店
・西尾哲夫,2011『世界史の中のアラビアンナイト』NHK出版
・西尾哲夫,2004『図説アラビアンナイト』河出書房新社
・馬場のぼる,1994『アラジンと魔法のランプ』こぐま社
・原ゆたか,2014『かいけつゾロリの大まじんをさがせ!!』ポプラ社
・藤川隆男・後藤敦史編,2015『アニメで読む世界史2』山川出版社
・保坂修司 2007 『アラブ社会における日のアニメ ・マンガの影響』
http://publications.nichibun.ac.jp/region/d/NSH/series/symp/2007-12-20/s001/s018/pdf/article.pdf
・前嶋信次,1983『アラビアンナイト アラディンと魔法のランプ』平凡社
・松本ますみ,2003『『アラビアンナイト』 と日本におけるイスラーム認識』http://hdl.handle.net/10623/25166
・メアリー・ポープ・オズボーン,2007『マジック・ツリーハウス アラビアの空飛ぶ魔法』KADOKAWA/メディアファクトリー
・鷲見朗子、2011『百一夜物語 もうひとつのアラビアンナイト』河出書房新社
・鷲見朗子,2014『アラビアンナイトと北アフリカの物語』「文化の航跡」刊行会・
・渡辺敦美,2015『日経エンタテインメント! 大人のディズニーSpecial 劇団四季アラジンの魅力』日経BP社
・DVD やなせたかし/アンパンマン製作委員会2015『それいけ!アンパンマン ミージャと魔法のランプ』VAP INC
・DVD とっとこ8686プロジェクト2002/2003『劇場版とっとこハム太郎 ハムハムハムージャ!幻のプリンセス』小学館
・DVD(製作総指揮)藤子・F・不二雄 (監督)芝山努,1991『ドラえもん のび太のドラビアンナイト』シンエイ映画
・DVD ウォルト・ディズニー・スタジオ・ホーム・エンターテイメント、2009『アラジン』(スペシャル・エディション)

・NHK100de名著ホームページ https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/27_arabian-night/index.html (2018年1月5日最終閲覧日))
・docomo社のツイートCM 2017年11月8日(最終閲覧日2017年11月15日)(https://twitter.com/docomo/status/928148478529695744?s=09)
・「ドラえもん のび太のドラビアンナイト」 ウィキペディア(最終閲覧日2018年1月5日)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%81%88%E3%82%82%E3%82%93_%E3%81%AE%E3%81%B3%E5%A4%AA%E3%81%AE%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88#cite_ref-1
・光文社新書ツイッター 2017年9月19日 (最終閲覧日2017年12月1日)
https://twitter.com/kobunsha_shin/status/909970785879461888
・Newsweek 日本版2017年10月3日(最終閲覧日2018年1月5日)http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/10/1785613.php


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