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11年間勤めた会社を退職しました

こんにちは。船尾和希(フナオカズキ)です。

ぼくは地元三重県の工業高校を卒業し、三重県内の某上場企業に入社して、現在まで約11年間その会社で働いてきましたが、2023年7月末で退職しました。

また、それと同時に、これまで個人事業主として活動してきた FROSK COFFEE を法人化して、自分にとって新しい生き方をスタートしました。

この記事では、就職〜退職(18歳〜現在29歳)に至るまでの経緯、会社員として働きながら感じていた事、自分なりの仕事に対する考え方、自分にとっての優先順位や価値観などを書かせていただきたいと思います。

さっそく、6つの章に分けて説明していきます。

・就職当時から感じていた違和感

・就職後、働きながら感じていた違和感

・学歴(高卒)コンプレックス

・結婚〜妻の出産〜育休で変わった価値観

・「コーヒーで生きていく」 そう思ったきっかけ

・自分のやりたい事を全て叶えるための選択



就職当時から感じていた違和感


ぼくは地元の県立高校を卒業して、三重県四日市市にある会社(世間的に大企業と呼ばれる会社、総従業員数 10,000人程度)に入社しました。

この会社を選んだ理由は、高校の先生や親、当時周りにいた大人や友達も絶賛していたからです。(そこの会社に入れば将来安泰だよ!やったな!おめでとう!という感じ)

当時(高校3年生)は、その会社が何をしている企業なのかすら分かっていませんでした。その会社が作り出す価値(物やサービス)に対して、興味関心を持っていなかったという事です。「そこで働きたい!」「就職したらこういう事がしたい!」という気持ちは本当に全く無かったです。けれど、さきほどの理由(周囲の評価)で、その会社を選択して、試験を受けて、合格して、入社する事になりました。

振り返ってみると、田舎だからか、ぼくの通っていた高校が工業系だからか、高校を卒業したら大きい会社(特に上場企業)に就職する=勝ち組(将来安泰)という空気感みたいなものが蔓延していたように思います。それと、就職したら(大きい会社なら尚更)会社を辞めるなんてありえないという空気感(掟、、、?)もありました。(実際にあったかは分かりませんが、少なくともぼく自身はかなり感じていました)

それでも、当時のぼくは「これが当たり前」「これが普通」「そういうもの」だと思っていたんだろうな、と。

自分で就職先を選んで、試験を合格して就職が決まって、本来なら喜ぶところを、ほんの少しですが「本当にこれでよかったのかな?」と考えた記憶があります。(10年以上前の事なので、ぼんやりとですが)



就職後、働きながら感じていた違和感


就職してからも、違和感のようなものを常に感じていました。ぼくが勤めていた会社は半導体に使われる材料の製造メーカーで、ぼくのような工業高校卒の社員は工場での交替勤務に従事するケースが多く、ぼくもその一人でした。

違和感というのは、交替勤務(朝勤や夜勤など)に対するものではなく、仕事そのものに関してでした。ブラック的な労働(休みが無い、残業で帰れないなど)は一切なく、周りの先輩や上司も良い人ばかりでした。黒か白かで言うなら、真っ白な素晴らしい会社だと客観的に見ても思います。ですが、工場での毎日繰り返される仕事(材料の製造)、決まったメンバーでいつも通りのルーティン、そして毎回同じ製品が完成します。その製品へのモチベーションや向上心、達成感(自分はこの製品で世の中の役に立ってる!のような)などを、ぼくは全く持ち合わせていませんでした。

勘違いしていただきたくないのは、仕事をサボりたいとか、やりたくないとか、そういう気持ちは当時から無かったです。(仕事の少ない日はラッキー!と思ってましたが)ただ、先輩からの頼まれ事や与えられた仕事を、職場や取引先に迷惑をかけないようにという目的で、期限とクオリティを守って、淡々と似たような毎日を過ごしている日々に対する違和感を持ち続けていたという話です。

「ぼくが生きてきた18年間(生まれてから高校卒業まで)は、この会社でこの仕事を定年退職するまでやり続けるためだったのかな?」と、常に考えながら仕事をしていました。



学歴(高卒)コンプレックス


工場での交替勤務が始まり、約3~4年ほどが経ち、転職を考えるようになりました。さっきまで書いていたような事が、転職の主な理由です。

これからの自分はどんな企業で働きたいか?を軸にして色々考えた結果、誰かのためになる仕事をする、そういう会社で働きたい!と思いました。

当時の仕事が誰のためにもならないとは思っていませんでしたが、数千人規模の会社において、工場の交替勤務に従事している末端の高卒社員のぼくは、この仕事が誰かのためになっているという事が頭では理解できても肌で実感する事はできませんでした。言い換えるなら、やりがいのようなものを一切感じられませんでした。(日々やりがいを感じて働いている方々は本当に尊敬します)

主に環境問題の解決に取り組む企業などを探して、ここで働きたい!という会社が2社見つかりました。

まず1社目のホームページの求人フォームから必要事項を入力していると、採用条件に大卒以上と書かれているのを見つけました。何度も言いますが、ぼくは大学に行っていません。

2社目、求人募集はフォーム入力ではなく電話での問い合わせからとの事だったので、さっそく電話をして採用担当の方とお話ししました。

ぼく「採用に関して学歴での条件はございますか?」

採用担当「弊社では大卒以上とさせていただいております」

ぼく「・・・高卒なんですが、採用試験は受けさせてもらえないですよね?」

採用担当「そうですねー、申し訳ございません・・・」

こんな感じでした。

働いてみたいと思った会社は、ぼくが大学を卒業していないと理由で試験を受ける事さえ叶いませんでした。

転職を諦めれなかったぼくは、通信制の大学に通う事にしました。法政大学経済学部の通信制に入学して(通信制は入学金と簡単な書類審査で入れます)、社会人として働きながら大学生を始めました。

ですが、めちゃくちゃなスケジュールだったせいか、精神的にも肉体的もかなりきつかったので、入学から約10ヶ月ほどで大学を辞めてしまいました。

朝4時に起きて6時まで勉強(大学の課題)、6時から近所の海岸や神社の階段でトレーニング、8時に出社して17時半まで仕事。19時半から21時半までバスケの練習(練習の無い日はジム)、帰宅して夜ごはんやお風呂を済ませてから0時ごろまで勉強(レポート書いたり、週末のテスト勉強など)して寝る、みたいな毎日でした。

この生活を始めて数ヶ月経った頃、何もしていないのにまぶたがピクピクするようになって、色んな物事に(すごく小さな事にも)イライラするようになりました。イライラどころか、かなりキレていたと思います。身体に原因不明の蕁麻疹が出たのもこの時期だったと思います。

趣味であるバスケの時間を減らせば続けられたかもしれませんが、当時のぼくにバスケの時間を手放す選択肢はありませんでした。それくらい楽しかったから(今も最高に楽しい)です。

今振り返ってみてもその選択(バスケをやりまくる)は間違いじゃなかったと思いますが。笑

そんなこんなで通信制の大学を辞めて、働きたい!と思った会社に転職する事はできず、仕事を続ける事にしました。



結婚〜妻の出産〜育休で変わった価値観


2020年9月に結婚、2021年11月に息子が産まれ、2022年1月〜育休に入りました。妻の出産、育休期間中に感じた事については、リンク先の記事で詳細に書いていますので、割愛します。気になる方がいれば読んでみていただけると嬉しいです!


約1年5ヶ月の育休期間、妻と息子と過ごしていく中で、自分の中にある優先順位の変化(項目と優先順位が明確になっていく)を感じていました。

育休が終わり、2023年5月中旬に復職して、仕事が始まると、お互いの出退勤の時間の都合上、息子の保育園の送り迎え、朝食、夕食の準備は妻が対応する事になりました。

お互いのスケジュールはこんな感じです。

ぼく:起床→身支度(自分の)→出勤→仕事→帰宅→夕食

妻:起床→身支度(自分と息子)→朝食(自分と息子)→保育園に送る→出勤→仕事→保育園にお迎え→帰宅→夕食の準備(自分と息子と夫)→夕食

どちらが大変(やる事が多い)かは明確です。

命懸けで息子を産んでくれた妻、出産後も毎日24時間息子のために自分の時間とエネルギーを費やしてくれています。復職後、お互いに収入を得るわけですが、給料の差はほぼありません(情けない話ですが、、、)

妻は自分の命を懸けて出産して、毎日保育園の送り迎えをして、朝食夕食も作って、ぼくと大差無い給料を稼いでくれている。これが自分の中で許せませんでした。「おれ何もしてないやん、、、」と。(相対的に見たら一般男性より家事も育児もしているかもしれませんが、自分の中では納得できませんでした)




「コーヒーで生きていく」 そう思ったきっかけ



2023年4月中旬の出来事がきっかけになりました。

大阪の川沿いにあるコートで開催される SOMECITY OSAKA(サムシティ大阪)というバスケのイベントに FROSK COFFEE として出店する予定になっていましたが、イベントの前日に体調を崩して参加できませんでした。

悔しい、情けない、申し訳ない、色んな感情になりました。その節は本当にすいませんでした、、、

それによって、イベント用に準備した豆が過剰な在庫になってしまい、せっかくイベント用に気合いを入れて焙煎した豆が飲み頃を過ぎてしまっては勿体無いと思い、オンラインストアで少し割引してセール商品として販売する事にしました。


すると、驚くほどの注文が入りました。約24時間というセール期間で50件ほどのご注文をいただきました。(FROSK COFFEE 史上最多です、、、)

何よりも感謝の気持ちでいっぱいでした。

コメント、DMもたくさんいただきました。「協力させて」とか「セールじゃなくて定価で買わせて」などなど、、、泣

しかも、買ってくれるだけでも本当に嬉しい事なのに、自身のSNS(インスタグラム、ツイッター)で拡散してくれる方もたくさんいました。

自分が困った時に助けてくれる人がこんなにもいるのか、周りが温かい人達ばかりで自分は恵まれている、と思いました。

ご協力いただいた方々への文章では伝えきれない感謝を、どうしても自分の言葉で伝えたくて、ラジオでもお礼を伝えさせてもらう回を収録しました。


この出来事をきっかけに、自分の時間とエネルギーをコーヒーのために使いたい、応援してくれる人達の期待に応えたいと、強く思うようになりました。




自分のやりたい事を全て叶えるための選択


色々な出来事、経験、出会いのおかげで、自分が持つ時間とエネルギーを使いたいと思う対象が明確になりました。

家族(妻と息子)
FROSK COFFEE(自分がコーヒーで叶えたい事)
バスケ(EGOLA、NINJA AIRS)

もちろん細分化すれば他にもありますが、重心を置きたいのは圧倒的にこの3つです。

自分の人生で、家族との限られた時間(特に息子)を出来る限り確保して存分に楽しむためには、FROSK COFFEEとしての活動を応援してくれる方々の期待に応えるためには、大好きなバスケとの関わり方をもっと充実したものにするためには、自分が取るべき選択は何か?と考え、会社(前職)のために使っていた時間を、家族、コーヒー、バスケに使う事を決めました。

会社を辞めれば、毎日息子と過ごす時間が増える(保育園の送り迎えもできる)、妻の負担を少しでも減らせる(代わりにぼくが家事をできる)、コーヒーの仕事がいつでもできる(自宅での焙煎、梱包、発送、その他SNS発信、事務作業など)、毎日バスケの練習ができる、トレーニングもできる、今の自分のやりたい事の全部が叶えられると気付きました。

よし、今の会社を辞めよう!!!

今後、FROSK COFFEEはもっともっと加速していきます!これからもよろしくお願い致します✌︎




最後に



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FROSK COFFEE 船尾 和希

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