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【ふなログ701】「いい加減は良い加減」で、幸せになるのを諦めない。


この数日間、
実は私はあることと格闘、と言いますか
葛藤を繰り返したり、
ある時は後悔の念にも襲われるようなこともあり、
かなり苦しみ、消耗していました。


そのような中で、やはり結論として
「幸せになるのを諦めない」
ということに尽きる、と改めて気付きました。


これは、
今年5回の富士登山のうち、
7/30の須走口からの登頂の時に
脳裏をよぎった言葉です。

https://note.com/funatti/n/n4e419bc882d1


色々と試行錯誤や苦しんできたこと、
楽しんできたことは、そのためだけに存在し、

その過程で出会った人たちとの色々な
すれ違いも含めて、そのためにあると。


その中で
「自分と関わったばかりに
苦しめることにもなったのでは?」
と後悔するような出会いもありました。

ここについては、
まだ明確な答えも出せていませんし、
安易には書けませんが、
出会ったからこそ前に進むことが出来たことも事実です。

出会って関わったからこそ、
今の自分を構成しているからです。
(おこがましいながらも出来れば、その相手も…と願いたい)


後悔は無意味かもしれませんが、
後悔という傷を背負いながらも
感謝の念とともに生きていけるように。


少し早いのですが、
今年2023年で起きたことを振り返っていました。

「今年は思うように結果が出なかった」
という振り返りになりそうですが、
まだ、あと2ヶ月なので
このまま終えるわけにはいきません。


こういう時に気を付けたいのが、
「表面上の結果」に固執してしまうこと。

結果は、とても大事です。
しかし、
結果に繋がる内面の変化の方がもっと大事です。
そして内面の変化とともに積み上げていく
些細な一歩一歩も。

内面が変わらないのに異なる結果が出たとしても、
そのような結果には、再現性はありません。


冒頭の話も含めて、
内面の葛藤に苦しむ日々が今年。

一方で去年はそんな葛藤の中でも
行動がすぐに結末として現れることも多く、
内面と行動が「二人三脚状態」で
一気に突っ走れる感に満たされていました。


こういう時って、
「何をしても上手くいく」と心の底から感じられる。
この世の春と夏のような時期です。

しかし、
その時見えていなかったことが
次第に逆に見えてきたんでしょうね。

今年は内面の葛藤が去年よりも増しており、
油断すると
自分が何も出来ていない感覚にも陥ることもありました。


理由として、今年は、
このブログを書く頻度が減ったからだと振り返ります。

葛藤を葛藤として肯定し、
外ばかりに目を向けるだけでなく、

外の事象と内面の感情との繋がりを書き留め、
前に進めたことも書き留めていくだけでも、
書いている本人自身が救われる気持ちになれるので、
「書けない」と思える日であっても、
書こうとすると案外書けることも多かった。

油断すると、
他人と比較して「自分が何もやっていない」感覚にもなり、
「あの人が出来ていることが出来ない自分って…」
のような感覚によく襲われてしまうもの。


しかし、
改めて言葉の力はとても大きい。

言葉によって、
相手を傷付けることも振り返れば
沢山してきましたが、

良い言葉によって自分を鼓舞させるだけでなく、
周りの人にも元気を与えることにも気付きました。


だからこそ、
ブログを書いてきました。


「6割の力でやること」が長年活躍を続ける秘訣
「みんないいものを描こうとしすぎる。いい加減は良い加減。今は漫画を描くのが楽しい」

と語るのは、
昨日の日経の夕刊文化に掲載されていた
漫画家の魔夜峰央さん。

映画化された『翔んで埼玉』や
104巻に達した『パタリロ』の作者。

生きていれば色々なことがある中で、
これだけのお仕事を継続された背景には、
「いい加減は良い加減」
という塩梅を持ってきたからと拝察しました。


私は何度も
感情が揺さぶられて「もうダメだ」「詰んだ」と思わせる出来事に直面してきましたし、
完璧を目指し続けて逆に怪我をすることも多かったのですが、
この言葉を見た時は、かなり救われる思いでした。

だから
またブログ継続します。


「幸せになるのを諦めない」ために、
「詰んだ」を「積んできた」に変える人生に。

人生はサバイバルです。

その旅路に
「いい加減は良い加減」
という言葉をお供にしたいです。


また重い話でごめんなさい。
荒れた日の後の今日はいい天気。


それでは、
今日も素敵な1日をお過ごしください。


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