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ひとつなぎの木の下で(3)

*「お金からの開放」がテーマの短編小説です。全9回、連日投稿いたします。

3 お金に翻弄されて

 私はボイスレコーダーを取り出し、充電状況を確認して録音ボタンを押していた。記事にするつもりも無かったので録音など要らないかな?と一瞬頭をよぎったが、仕事の習慣でなぜかこうしてしまっていた。

「えーっと。では、録音だけさせていただきますね。私は田宮と申します。よろしくお願いいたします。内容次第ですが場合によっては誌面に掲載させていただくかもしれませんがよろしいですか?個人を特定するような情報は伏せますので」

 車を走らせる木下さんは前方をしっかり見ながら大きく2つ頷いた。

「木下さんは10年ほど前に離婚したということでしたが…初対面でこんなプライバシーの深い部分まで聞いていいのかわかりませんが…」

「あー、構いませんよ。今の私は当時のことは何も引っかかっていませんから。全然ご遠慮なさらずに。名前だけ伏せていただければ。時間はありますのでなんでも聞いてください。しかし、録音までしてなにか本格的ですね〜、そんな大した話など出来ませんがよろしくお願いいたします。あ、離婚の話でしたね、このタクシーの仕事は30代半ば過ぎから始めて13年ほどやっていまして、それまでは親父の家業を継いで個人事業主として塗装業を営んでいたんです」

「えっ?塗装屋さん?職人さんだったのですか?」

「はい、個人でやっていたのでそんなに手広くやっていたわけではありませんが、親父が亡くなってそのまま商売を引き継ぐ形になりました。親父の頃のお客さんもそのまま引き継いだので仕事は安定していて、一時は従業員5〜6人雇ってそこそこ潤っていたんです。もうちゃんと会社法人にしようかという話もあったくらいです。それで私、後継ぎで苦労も知らなかったものですから、あっという間に有頂天になってしまったんですよね。若かったですし高級車を買ったり、夜遊びも派手になったりで、結構お金も使っていました。その頃からですかね、ボタンの掛け違いというか。家族にも酷いことを言ったりするようになりまして、あのよくあるじゃないですか、誰の金でお前ら食ってると思ってるんだ!みたいなね、そういうことを言ってしまっていたんです。娘も当時は10歳くらいでしたがその頃から懐かなくなって、奥さんなんてもう私を害虫を見るかのような目つきになっていったんですよ。ハハハ。でも私は、俺は稼いでるんだぞ!という自信に満ちていました。今思えばお恥ずかしい話なのですが」

「木下さん、その時の心境って例えばどういうものだったのでしょうか?なぜお金をたくさん稼ぐようになってからそんな暴言みたいなことを吐いてしまうようになってしまったのでしょう?」

「心境ですか…うーん強いて言えばすべてを思い通りにしてやる、という全能感ですかね」

「全能感?またあまり聞きなれない言葉ですね。もう少し詳しくお聞きできますか?」

「ああ、私こんなですが歴史が好きで学生の頃から本をよく読んでいたからそんな言葉が出てしまうのでしょうかね」

「木下さん、その全能感というのは、家族に限らず周りを思い通りに出来る、もしくはしてやろうという心境ですかね。その後どうなったのですか?」

「ええ、もうその時点では私は家族の中で孤立していましたね。仕事面でもお客さんとも従業員ともうまくいかなくなっていました。今までコンスタントにあった仕事もあれよあれよという間に数が減って、借金もかさみとうとう返済で首が回らなくなって資金繰りに追われる日々が始まったんです」

 絵に描いたような転落人生というか、どこにでも転がっていそうなエピソードだ。このエピソードではありきたりすぎて記事にも出来ない上に正直なところ、退屈だなとすら感じてしまった。
木下さんは遠くを見つめながら当時を思い出してか、あきらめにも似た笑みを浮かべながら続けた。

「本当に辛かった。あの資金繰りの日々は。なんでオレばっかりこんな目に合わなきゃいけないんだ。という思いしかなかったです。今思えば自業自得なんですけど」

「やはり、全能感という心境が原因だったと思いますか?自業自得とは?」

「田宮さんみたいにフリーで記者をされてるような方ならリアルにお分かりいただけるかと思いますが、経営において資金の面でどうにもならなくなるとそれは死んだも同然です。当時の私は借金をしてなんとかお金をまわそうと懸命に駆けずり回っていました。当時はこの社会はお金さえあればまわるように出来ていると思っていたんですね。でもそれはまるで逆でこの社会はお金ではなく人間関係でまわっていたんです。もうそれは今ではハッキリわかっているのですが」

「はい、当然そうですよね。だって人間がお金をまわしてるのですから。そのまわしてる人間を…失礼ですが木下さんのように粗末に扱ってしまったらお金は絶対まわってこなくなる。お金をまわすためにはそこそこ我慢をし、妥協して人間関係を崩さないようにするのは当たり前でしょう」

 こんな当然のこともわかっていなかったのであれば木下さんの商売はうまくいかなくなって当然だな、と私は納得した。これは典型的な例でどの業界でも血縁で2代目、3代目となると会社を潰してしまうのはよくある話だ。

「いえいえ田宮さん、違います違います。極端な言い方になるかもしれませんが私は人間関係のみが社会をまわしていると思っているんです」
 
「いや、木下さん、お言葉ですが、お金こそが世の中の血液であり我々の生命線でしょ?」

 何を言い出すんだこの人は、社会をまわしてるのは金だ。経済がまわるからこそ社会がまわるのではないか。世の多く人たちもそう思っているに違いない。
 
「はい、私もそのような常識の中で生きていたので田宮さんのお気持ちはよくわかります。その後、どうなったか話を続けさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「あ、はい。どうぞ」

「ありがとうございます。その後資金繰りをしながら仕事をなんとか繋げていましたがやはり最後にはどうにもならなくなりました。従業員の勤務態度もその頃から悪くなり仕事は雑になり、遅刻も多くなって仕事をナメてかかるようになっていたようです。資金繰りで駆け回っていた私は現場の様子も把握せず、売り上げが落ちていることを彼らのせいにして、暴言を吐き続けました。その流れで家族にも先ほど言ったような暴言を苛立ちに任せて四六時中吐くようになっていったのです。こんな話、もしかしたら、よくある話だと思ってらっしゃいませんか?ハハハ」

「え?ああ、まぁ、そうですね〜…」
 
「田宮さん、先ほど全能感というお話をしましたが、まさにこの全能感が私を狂わしていたんです」

「全能感が?どういうことですか?ああ、思い通りにしてやろうという行為が周りの人たちを傷つけた、みたいな話ですか?」

「はい、まわりの人たちを傷つけたのは本当にもう反省しかない、申し訳ないの一語につきます。でも私がここで言っているのはそうしてしまった原因となる私自身のこの心がいかに狂っていたかなんです」

「はぁ…?」

「私はあの頃、分不相応な金額のお金を、あ、大した金額ではなかったのですが…お金を得たことでそれに飽き足らずさらなる優越感が欲しくてお金の力を使い、贅沢をし、強引なまでにすべてを思い通りにしようとしていたということなのです。ひどく孤独感に苛まれていたんです。分かりますか?」

「?」

 だから何なのだ?と思った。木下さんのこの話は転落する人間の典型的なストーリーで巷にはどこにでも転がっている類のものだ。大概この手の中途半端にお金を持った人間は自慢げに当時どれほど良い思いをしたのかなんて武勇伝めいた話が始まるのが関の山なのである。もし木下さんがそういうタイプならこのインタビューは終わりにした方が良いだろう。
 
「ところで田宮さんには今の私の印象はどう映りますか?」
 
「は?え、えーっとぉ…最初の印象はざっくばらんで明るい印象でしたね、そして 娘さんに会えることを嬉しそうにお話する様子はとても素直な方だと思いました。今のお話に出てきていた木下さんとは別人のようですね」

 急に質問されたので、『転落した人の典型だ』と危うく言いかけるところだった。

「ありがとうございます。そうなんです。当時の私とは心境が180度違う私がここにいるんですよ」

 確かに、話の中の木下さんと目の前の木下さんは別人に見える。よく考えてみれば、木下さんのような転落経験をした人の大方の顛末は経済的に復活でもしない限り、こんな健康的な屈託のない明るさは容易には取り戻せない。特に周りに暴言などを吐くタイプは金を失うとたいてい卑屈な人柄に変貌することも多く、良かった頃の思い出話に花が咲く。木下さんはそのタイプでは無さそうなので良かった。単に開き直っているだけにも見えるのは拭えないが、この変貌ぶりに興味が出てきたのは確かだ。

「心境が180度変わったのはなぜですか?」

「いくつか理由があるのですが、説明がしやすいところで言えば[お金は単なる交換ツール]である。ということに気づいたことでした」

 またしても今一つピンとこない発言にどう反応していいのかわからない。お金は確かに物やサービスと交換するためのものだ。こんな当たり前のことを何を今さら堂々と言っているのか理解できずに困惑した。

「田宮さん、分かりますか?お金は単なる道具でしかないんです。ここのところ意外と盲点なんです」

「は、はぁ…言われてみればそうですね…当然と言えば当然ではありますけど」

「道具って使い方次第なんです。昔の私のように人を思い通りにコントロールすることに使うことは本来のお金の使い方ではないんです。あくまで交換するために使うものなんですから」

「うーん、少しわからなくなってきたのですが、それが木下さんの心境にどこがどう関わってくるのですか?」

 何度もお金は道具である、といった話を繰り返していることに業を煮やして私は話を先に進めようとした。

「昔の私の心境についてはおわかりいただけていますか?」

「はい、すべてを思い通りにしようとする気持ち。木下さんの言葉でいうと全能感ですよね?」

「はい、でも全能など名ばかりで結果として、人は離れて、すべてを失い反対に孤独になってしまいました。その原因はお金の使い方を間違ってしまう心境にあったんです。お金という道具に取扱説明書があるとすれば、[人を思い通りにコントロールするためには使用しないでください]とおそらく書いてあるでしょう」

「ああー、それはおもしろいですね。確かに社会に出ればこれだけのお金の中に放り込まれるのにお金の使い方を学校ではなぜ教えないのか、なんて言う人もいるくらいですもんね。小学校でお金の取説という授業があってもいい」

「そうなんですね、そういう方もいらっしゃるのは知りませんでした。でもやはり、ここの点が少々ややこしいところなんですよね」

「え?何がややこしいんですか?」

「人間というのは道具の使い方だけ知っていても心境次第で知らず知らずに道具を間違った方向の使い方になってしまうんですよ。例えばハンマーってあるじゃないですか?ハンマーはとても便利な道具です。このハンマーの使い方はみんな知っています。でも、怒りや憎しみでいっぱいのイライラ人間がハンマーを持って近寄ってきたら、そりゃ近くの人は怖くて仕方ないですよね?」

「ああ、それは確かに怖いですね〜。道具はあくまで道具であって、使うのは人間ですもんね」

「そうなんですよ!まさに同じことでお金を使うのも人間なんです。道具を生かすも殺すも人の心次第ということなんです。私の当時の心がいかに狂っていたかがお分かりいただけましたか?まるでイライラ人間がハンマーを振り回しているのと変わらないんですよ」

 少し大袈裟にも思えたが、理屈で言えば間違ってはいない。しかもよくよく振り返ってみれば実際に私たちはこのような考えを踏まえてお金を使ってきただろうか?という疑問も湧いてくる。私たちはこの理屈を知っているにもかかわらず、金さえあればあれもこれも出来ると、まるで麻薬常習者のように知らぬ間にお金の力に心を狂わせているのかもしれない。そして結果として思い通りにいかないイライラ人間が増殖し他人に気を許せない社会を作っていないだろうか。闇金業者は金の力を使い、人を追い込みカラカラになるまで吸い取ろうとする、借金苦の人間はお金の力に押しつぶされ、それに翻弄され自ら命を絶つ。単なるツールにここまで人間が翻弄されるのは何か悔しい気もする。単なるハンマーに翻弄される人間など皆無だからだ。
木下さんのこの話はどこかの資産運用ノウハウや新しいビジネスの形などと言った類のものとは決定的に違うものがある。根本的なお金に対する捉え方なのである。しごく当たり前のことを木下さんは言っているにしかすぎない、幼稚園児にだって理解出来ることだろう。しかし、世の中、生きていくのに金が必要なのは間違いない。ここの心とお金のバランスをどう取ろうというのだろうか?
 
「田宮さん、私たちは縛られているんです。すべてを思い通りにできる[力]としてお金を認識しているということに。そこには勝ち組、負け組といったような損得勘定が働き、人よりも優越感を得たいという欲の心があるんです。それが増すほどに自分だけは良い思いをしたいという思いの中でどんどん孤独になっていくんですよ。そこから負の連鎖が始まるんです。不幸を呼ぶ呪縛と言ってもいいかもしれません。それが習慣となって知らず知らず目に見えないカメレオンのように私たちの心の底に根付いてしまっているんですよ」

つづく

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