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ひとつなぎの木の下で(4)

*「お金からの開放」がテーマの短編小説です。全9回、連日投稿いたします。

4 お金の向こう側には人がいる
 
 少しづつだが木下さんの言わんとしていることがわかってきたような気がしてきた。確かに私は[力]としてお金を認識している。そこにあるのは間違いなく欲の心だろう。まったくその通りだが、ではどうすれば良いというのか。 優越感など誰でも欲しいと思っているし、それを山に籠る修行者のように無理やり押さえ込めとでもいうのか。

「私はね、あの時すべてを失ったと思い込んでいただけだったんです。はたから見たら完全に終わった人間でしょう。仕事は無くなり従業員は離れ、家族とも別れて借金だらけでお金も無い。万事休すです。ホームレスか、もしくは自ら死を選んじゃう人もいるのではないかと思うくらいの転落ぶりでしたから」

 自ら死を選ぶ。この言葉にドキリとする。先に記したように私の叔父の死は幼い私にとってとてもショックな出来事だったからだ。あの時は大人の事情など知らない子どもだったのだから無理もない。大人になってから経営難という理由をつけて心を一旦整理していたつもりでいたが、その叔父もおそらく会社が傾いたことで全能感を失い、その感覚を忘れられずに金の力に代わるものとして暴力を使ってしまったのだろう。暴力もまた[力]そのものだからだ。その暴力が最終的には叔父自らに[自死]という形で向けられてしまった…。しかし目の前の木下さんは一旦は叔父と同じように暴力的になって家庭を壊すところまでいってしまったが、[お金は単なる交換ツール]ということに気づいた。たったこれだけのことで経営が持ち直したわけでもなく卑屈になって死を選ぶこともせずに明るく楽しそうにタクシーのハンドルを握っている。そんな木下さんの肩越しに見えるその手を見つめながら次の言葉を待った。

「そんな時ね、学生時代の友人から連絡があったんですよ。礒崎というやつでね。大学時代の同級生なんですけどね。大学時代の礒崎はどちらかというと内気な性格で体も弱くてあまり目立たないタイプ。私は真逆で健康的でがたいも良く外交的なタイプ。凸凹コンビ。当時そんな彼とは妙に気が合いましてね、仲良かったんです。まぁ、よくある話ですが私は大学卒業後には親の稼業を継ぐのは決まっていましたし、社会人になったらやっぱり疎遠になっていってしまったんですよ」

「ええ、卒業後に徐々に疎遠になってしまうのはよくあることですよね。で、その礒崎さんから久しぶりに連絡があったと」

 私はそんな大学時代の背景などよりもお金は交換ツールという言葉が気になっていた。
 
「ああ、はい。お恥ずかしながらそんな親友のことを15年近く忘れてしまっていました。なのに、どん底で孤独だった私にとっては連絡をもらったこと自体がとても嬉しくて。後日、会うことになったんです。喫茶店で待ち合わせて、面と向かった時はお互い歳をとったなぁと肩を叩き合いました。いろいろ話しました。お互いの近況とか。私の恥ずかしい状況もありのまま話しました。なにもかも失って恥も外聞もなく。もう守るものもなかったんでしょうね、不思議と磯崎の前では本当の自分がさらけ出せたんです。もし、仕事が順調なままで再会していたら、優越感を得るためにあーだ、こーだと偉そうに語ってしまっていたでしょう」
 
 私は辛抱強く、お金は交換ツールの話になるのを待った。

「そこで磯崎がですね、大学時代に私が彼に言った言葉に救われた、って言うんですよ。彼は当時、なんの取り柄もやりたい事もないと進路について迷っていたそうなんです。私には記憶はないのですが、そんな彼に『俺はお前の良いところたくさん知ってるぞ、お前は計算が得意だからそこをどんどん活かせる道で行けばいい』なんてね、小っ恥ずかしいですがそんな言葉を吐いたらしいんですよ。全然覚えてないんですけどね。ハハハ」

 話が枝に逸れているのは間違いない。話は元に戻るのだろうか。

「それでね、彼は経理の道に進んで、勉強して勉強して就職して、いくつかの会社を渡り歩いて今は大手のタクシー会社の経理の管理職をやるところまで行ったんです。私の勤めていた会社とは違う名古屋最大手のタクシー会社です。大変だけどとても充実した日々を過ごしているって、あの時お前がああ言ってくれたおかげで今があるんだ、って。素直に嬉しかったですよ。なんかこんな惨めな経験をした自分でもどこかで役に立っていたんだなぁって。あ、私がその時勤めていたタクシー会社を辞めて今ではこうして個人タクシーの仕事をしてるのも磯崎の薦めがあったからなんです」

「はぁ…」

 ため息とも取れる相槌を打った。

「あ、すみませんすみません、こんな話退屈ですよね。でも話が逸れたわけではないんです。この話はとても重要な話なんです。私はこの磯崎との再会をきっかけに 生まれ変わったと言っても過言ではないんですから!」

「どういう事です?今の話はなんの関連性も見えないのですが。お金は交換ツールとはどこが関連するのです?もうそろそろ本題に入ってもらえませんか?枝の話はもう良いですから」

「田宮さん、ごめんなさい。今も言いましたけどこの話は本筋も本筋、実は幹の話なんですよ」

「うぅ〜、本当ですか?お願いしますよ?えーっとなんでしたっけ?磯崎さんを勇気づけて役に立っていたというところでしたね、その後に生まれ変われたと」

「はい、もう少しの辛抱ですので。ハハハ」

 私は「フン」と鼻息を漏らして背もたれに身を少し乱暴に預けた。ふと外に目をやると、窓の外は雪が斜めにチラついていた。道路脇の看板によると車は御殿場付近を通過しているようだ。
 
「その後、磯崎は話を続けました。『木下、なぁお前、今大変だろう?なんでこんなことになってしまったんだって言ってたよな。じゃあ聞くけど、逆にうまくいっていた頃ってなんでうまくいっていたんだと思う?』と聞かれたので私は、仕事もあったしそこそこ稼げていたからと答えたんです。でも従業員の態度が悪くなって仕事が減ってしまったことも付け加えて」

 この手の失敗談は漏れなく当事者が他人のせいにする。お決まりの形だ。磯崎さんはなんと答えるのだろう。

「磯崎は『今の話だと、稼げていたか稼げていないか、だよな?従業員さんたちのことはとりあえず置いておいて。稼げていたからうまくいっていた。そういうことだよな?じゃあ、稼ぐためには何が必要なんだ?』と聞いてきたんです。私は迷わず仕事が必要だ。と答えました。仕事が無けりゃ稼げない、当然のことを言いました」

 間違いなくそうだろう。説明や確認など要らない類の話だ。

「磯崎はこの後なんて言ったと思います?こう続けたんです。『もちろんそうだ。しかし、仕事の向こう側には仕事をしてくれる[人]が必ずいるんだよ。それをおまえは忘れてはいないか?どこかでその[人]をお金を見るように見ていなかったか?物を見るように。従業員さん達に対してもそんな風に見ていたんじゃないのか?オレは経理をしているが、オレのことを電卓やそろばんのように見る人は誰もいない。なのに人はお金が絡むと相手をただの物を見るようにお金として見てしまうことがあるんだ。金づる、なんて言葉はまさにそうさ。相手の人間性を無視してる言葉さ。自分の人間性を無視されるような場所には誰だっていたくないと思うに決まってるだろう?おまえがオレに言ってくれたこと、それはオレの良さを発揮して欲しい、っていう親友として1人の人間として見てくれたからじゃないのか?』と」
 
 どうやら磯崎さんは人として良くできた人のようだ。この時木下さんはどのように感じたのだろう。
 
「この時、私は愕然としましたね。いつの間にか金ばかりを追いかけていて人を人とも思っていなかった自分がいたんです。家族にすらそういう見方をしてしまっていた。人をコマのように扱っていた自分がいたことに気づかされたんですよ」

「うーん、もちろん、磯崎さんの言うことは一理あるとは思いますが、商売相手を100%お金として見ている人などいないと思いますよ。そんな社会は成り立つとも思えないですし…」

「あれ?田宮さん、先ほどは社会はお金でまわってると言ってましたよね??」

私はマウントを取られていると感じカッとなり一瞬のうちに全身の体毛が逆立つのを感じた。
 
「そんな言葉尻を捉えてマウントを取ってくるんですか?あの時は木下さんが人間関係のみで社会はまわっていると極端なことを言ったから、人間がお金を回しているから社会がまわっていると訂正させてもらっただけです」
 
「ああ、お気を悪くされてしまったなら申し訳ありません。確かにお金を血液のように社会でまわしてるのは人間ですよね。でも昔の私のような人間が増えていったら社会はどうなりますか?マウント…あ、これってお金の世界を良く言い表してる言葉ですね」

「世の中、そんな人間ばかりじゃないですか。自分さえ良ければいいというね。それでもみんな懸命にやりくりしながらなんとかやっているんです。なんとか社会はまわっています。だから優越感とか力とかツールとか、お金にはあまり関係ないんじゃないですか?」

 語気が荒くなってしまっていた。マウントを取られるくらいなら、もう終わりにして仮眠でもしたほうがマシだな…こんなこと話してても何にもならない気がして来た。

「あ、田宮さん、少しトイレ休憩どうですか?海老名サービスエリアがもうすぐそこなので」

「そうですね、飲み物も欲しいですし。寄ってもらえますか?」
 
「あ、私、ホットコーヒー買ってきますよ」

 海老名サービスエリアの駐車場にタクシーを駐車して車外に出た。ものすごい冷気が瞬時に全身に行き渡る。広大な敷地の海老名サービスエリアのトイレまではかなり距離がある。雪もうっすら積もってきていてズッズッと雪を踏み鳴らす音がさらに寒さを演出してくれている。雪の音を楽しんでいると靴の中に溶けた雪が入って来た。その冷たさに足の指先の感覚が無くなっていく。

つづく

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