『青い悪魔』2

 ギル、テッド、ナタリア、ゾーイの四人は拠点バーンドに留まることになり、住人として暖かく迎えられることとなった。翌日から彼らは物資の回収にも積極的に参加し、炊事や天井の改修なども手伝ってくれた。ヨイチは適度に部下と共に狩りへ行き、幼虫などを持ち帰った。近場の保存食は回収しきってしまったらしく、住人たちは食糧が尽きるまでに次の手立てを整える必要があった。
「やっぱり畑を耕した方がいいと思うんだ」
「だよなぁ」
クライヴやテッドたちがこれまで歩いた土地の情報を元に、作物の回収が出来そうな場所を絞り込む。この拠点には様々な職業の住人が揃っていたが、農作物の扱いに長けた人物はいなかった。
「やっぱり北の山を越えるしかないか」
「そうなるな……」
人材の確保、そして物資回収の範囲を広げるため住人たちはこれまで探索していなかった荒野の先、山の向こう側へ行くことに決めた。
 遠出のため体力に自信がある者たちを中心に調査班が結成される。ヨイチ、ニコレッタ、ギルやテッドを含め八人が集められる。クライヴは体調を崩してしまったため候補から外れ、別の狙撃手が加わる。ナタリアとゾーイは拠点に残ることになった。
「……まるで人間だな」
「似合うよー旦那」
 出発前夜、ヨイチは裁縫班が作ってくれた服を試着していた。戦闘や寒さに耐えられるよう古着や断熱材を駆使してフード付きのコートとシャツにパンツ、靴も与えられる。ヨイチはその格好で外へ出ようとする。
「どこ行くの旦那」
「この状態でどの程度動けるか試してくる」
「ああ、なるほど。いってらっしゃい」
「すぐ戻る。トリッキー、来い。練習だ」
「アイアイ!」
二人が出ている間、門扉は完全には閉められず見張りが立つ。ニコレッタも様子が気になり、見張りの横に顔を出す。ヨイチは刀一本だけでトリッキーと立ち回りの確認をしていた。
「あれ、旦那でっかい剣は持って行かないのかな」
「あれ重たそうだしな。置いていくんじゃねえか?」
「なるほどなぁ」
十分ほど動いてヨイチは足早に戻ってくる。
「閉めろ」
「もういいの?」
「充分だ」
戻ってきたヨイチに裁縫班が声を掛ける。
「動きやすさとかどうですか? 大丈夫そう?」
「機動力に支障はない」
「そうですか! 良かった」
「頑張った甲斐があったなー」
裁縫班はハイタッチをする。一方ヨイチは裁縫班への報告も早々に部下と何か話し合っている。ニコは彼らの元に何となく寄る。どうやら誰が残るか決めているらしい。四人はちらっとニコレッタを見るが気にせず話を続ける。
「調査班に主な戦力が持っていかれる。俺としては全員置いていきたい」
「でもそうすると旦那に何かあった時の補佐がいないよー」
「うむ、それは避けたいところだ」
「それも分かるが、人間の中にお前たちの誰かが混ざると遠目にも目立つ。今回、俺は完全に人の振りをするつもりだ。人ではないとバレるのは避けたい」
「本気かヨイチ?」
「本気だ。その方が本来の戦力を隠せる。対峙した相手がどちらの場合でも都合がいい」
「……ヤゲン様が我らを装備すると人に擬態出来ませんし、冷静に考えるならば我らはここへ残った方がよろしいですね」
「そうだ。お前たち全員俺を案ずるのは分かるが、今回は堪えろ」
「アイー」
「承知した」
「承知いたしました」
「そういうことだ、ニコ。全て置いていく」
「ん? おう、そっか。分かった」
「ダンナもニコもいないのつまんなーい!」
トリッキーはそう言うとニコレッタを抱きしめ持ち上げる。
「仕方ないよー」
「つまんない!」
「はいはい、よしよし」
ニコはむくれて自分の肩に頭を押し付けているトリッキーを撫でる。
「娘」
「ん? なあにフロストさん?」
「……ヤゲン様を頼んだぞ」
「おお! 大丈夫、任せておいてー」
ニコレッタは力こぶを作りにいっと笑う。フロストはその顔を見てふいっと顔を逸らした。素直じゃないなぁ、と彼女は苦笑いをする。
「そろそろ降ろしてトリッキー」
「ヤダー!」
「まだやることあるからー」
「降ろしてやれ。ニコレッタも準備に時間がかかる」
「スー」
「また吸ってる……」
彼は存分にニコを抱きしめた後ようやく離す。ニコレッタも他のメンバーもその日は早めに休み、翌日に備えた。
 朝、調査班に合わせ皆早めに起床し食事を終える。調査班には武器なども配られ、装備を整えていく。
「俺は銃は使えんぞ。なぜ持たせる」
「ヨイチさんが持ってる分、予備が出来るんだ。だから荷物は増えるんだけど持っててくれないか? 使う必要はないから」
「そういうことか。まあ、持っておいてやろう」
「助かるよ」
「いやぁ、旦那そういう格好しちゃうと本当ただの若者だね」
「そうだな。この服装は呆れるぐらいよく馴染んでいる」
「それ褒めてるよね?」
「無論だ」
ヨイチは刀を腰に提げ、部下の元へ向かう。
「留守は頼んだ」
「は」
「いってらっしゃいダンナー」
「ああ。……フロスト」
「は、何でございましょう」
「俺がいない間、人間の言うことを聞いて従うように。協調と合理性を優先しろ」
「ど、努力いたします」
「フロストそういうの下手だから無理だよダンナー」
「無理でも状況によってはある程度はせねばならん。練習と思っておけ。ブレイズもあまり人を振り回すなよ」
「ハッハッハ! ヨイチの口からそんな言葉が出てくるとはな! 大丈夫だ、任せよ!」
「トリッキー、お前もだぞ。あまり周りにワガママを言わんように」
「えー!」
「えー、ではない。いいな?」
「むぅー……アイ」
トリッキーたちの頭や肩を撫で、ヨイチは班の元へ戻る。
「俺は準備出来たぞ」
「俺も大丈夫だ。いつでも出れるよ」
「こっちもいいぞー」
「そういえば、この集団の統率は誰がやる? その話が出てきていないが」
「え、ヨイチさんでしょ?」
「おう。あんたボスの風格あるしな、ボスでいいだろ?」
「人間の群れなのだから人間が統率しろ。そうだ、ギル。お前がいい、お前がやれ」
「俺か? いいけど……」
「異論があれば別の者がやれ」
「荷物まとまったー、準備いいよー」
「なあ、ニコレッタ。リーダー誰にする?」
「えっ旦那じゃないの!?」
「ほーら」
「……なぜ俺になる」
「ボスはヨイチさんがいいって。はい、俺ヨイチさんに一票」
「俺も」
「はーい、俺もー」
全員がヨイチに投票する。
「……賛成しかいないのか」
「いないねえ」
「人でない故に、的確な判断がその都度出せるとは限らんぞ」
「旦那がわからない部分は分担すればいいよ。ほら、物資の残り確認する人とか決めたでしょう?」
「そうそう。担当がそれぞれのジャンルのボスってことで」
「それでは統率出来ていないのと同等だ」
「そうでもないって。あー、みんな準備大丈夫か? 忘れ物ないよな?」
「三回ぐらい確認したから俺は平気」
「俺も大丈夫」
「よし、じゃあ……行くかい? ボス」
「……行くぞ」
「おう」
「はーい」
一時の別れを惜しみながら拠点の住人たちは一行を見送った。
 一行は日差しや埃を遮るためにフードを被ったりスカーフなどで口を隠してしっかりと体を覆う。銃に慣れているギルとテッドが先頭、銃にあまり慣れていない者を次に、真ん中に体力のない者、最後尾にニコレッタとヨイチの順で並んで荒野を進む。ヨイチは人間たちに合わせながらゆっくりと歩いていたが、何かを感じ取り視線を左右に動かす。
「ギル、テッド」
「なんだ」
「どうしたヨイチ?」
「徐々に駆け足にしろ。速すぎず、長距離を走るつもりで」
「おいおい、何だ何だ。なんかいたのか?」
テッドとギルが早足からジョギングに切り替えていく。後ろのメンバーがそれに倣う。
「ニコレッタは俺が抱える。全員走れ、だがゆっくりだ」
「分かった!」
「おぉわ、どうしたんだ旦那!?」
「しっ。この一帯のボスに統率されていない従属個体に見つかった。このままでは囲まれる」
「うっへえ」
「やっぱりヨイチさんがボスで正解だよ!」
「そうだな!」
「俺がいいと言うまで走れ。疲れた個体は俺が抱える」
「みんな頑張って。いっちに、さんし」
「いっちに、さんし」
しばらく走り真ん中にいた小柄な男性、ケンが息を切らす。
「旦那ァ! 俺もうダメ!」
「走ったままゆっくり後ろへ来い。ニコレッタ、自分で走れるか」
「うん!」
「よし、交代だ。いいぞ、下がって来い」
「ひぃ」
「よく頑張った。他はそのまま進め」
「おいっちにー」
「さんしー」
荒野を抜け、以前来た廃墟の街へ差し掛かる。人の気配は相変わらずない。
「全員そのまま真っ直ぐ進んで建物に隠れろ」
「旦那は!?」
「ここで敵を食い止める」
ヨイチはケンを降ろし、振り返って刀を構える。
「ヒュウ、一生に一度は言ってみたいセリフ!」
「もたもたすんな! 行くぞ!」
「旦那早く追いついてね!」
「すぐ行く」
ニコレッタたちは走り続け、比較的大きなビルの入り口に身を隠す。遠くで地面が抉れるような音が轟いている。
「ふぅ、ふぅ」
「み、水飲も……ぷはぁ」
「旦那、はぁー、大丈夫かな……」
「大丈夫だろう」
「ここへ入ったと、目印をつけておこう。何なら伝わる?」
「うーんと……旦那のことだから……」
「その必要はない」
「うわ、もう帰ってきた」
「すぐ戻ると言っただろう」
「本当にすぐだった……」
「全員休憩していろ。俺は物資を取ってくる」
「取ってくるってどこへ……」
「以前ここへ来た時に見つけたが回収しなかった物がある。すぐ戻る」
ヨイチは小走りに南東へ向かっていった。
「すご。っていうかそんなのいつ見つけたんだ……?」
「旦那すげえな……」
全員が座り込み息を整えていると、ヨイチが戻ってくる。手には非常用と書かれた大袋があった。
「食い物だと思ったが水のようだ」
「水はなくなりやすい。ありがたいよ」
「今飲んだ分補充するか。物資担当〜頼む〜」
「へーい」
物資担当のジェニーが消費した分と増えた分を記録し、各自に水を手渡していく。
「あまり荷物が増えてもダメなんだよね。残りどうしよう」
「俺が持つ」
「でもヨイチさん疲れちゃわない?」
「俺の体力はオスの三倍と見積もっておけ。まだ余裕がある」
「じゃあヨイチさんに持ってもらおう」
「うむ。全員休憩は済んだか」
「もーちょっと、待って」
「分かった」
ヨイチはそう言うとその場に座り水分に口をつける。
「旦那ァ、この辺りの物資は回収しきったんじゃなかったっけか?」
「取って良い分は全て回収した。残りは緊急用だ。人間は飢えたらすぐ死ぬ」
「おおう、長期的に考えてくれてたんだなアンタ」
「俺の協力を長期に見積もったのは人間が先だ。仕方ないからそこそこ付き合ってやる」
「なんだかんだ面倒見いいよね旦那は」
「そうだなー」
やがて息を整えた者から順に立ち上がる。このメンバーで一番体力がないのはニコレッタなので、全員彼女の回復を待つ。
「出発していいよ」
「お前がまだじゃん、ダメだって」
「時間もったいないよー」
「ダメだ」
「だってよ」
「ウェー」
ニコは深呼吸を繰り返し、回復を早める。
「ふぅー……ほい、いいよ」
彼女は立ち上がり足と尻の汚れを払う。
「では行こう」
「列はさっきのままでいいか?」
「先頭と最後尾は変えん。他は好きにしろ」
「さっきのままでいいけどな俺は」
「じゃあ変えなくていいか」
「ん」
「ほ、手繋ぐの?」
「そうだ」
「はーい」
 一行は街を進み、山の麓を目指す。会話はなく彼らはひたすら歩いていく。
「? ……なんだ?」
「どうしたの旦那?」
街の端っこに大きな屋敷があり、その手前まで来るとヨイチは何かを訝しんだ。
「全員止まれ。物陰にいろ」
「どうしたヨイチ」
「分からん。妙な物がある」
ヨイチは屋敷の入り口の方向を見ながら忍び足で物陰に隠れる。少し離れた場所に残りのメンバーも隠れる。
「なあ、俺思ったんだけど。ヨイチってもしかして物に遮られた向こう側が見えてるのか?」
「物資を簡単に見つけてくるのとか、土の中にいるはずのワームを見つけたりしてるから、そうだと思うぞ」
「人間より見えてるものが多いんじゃない?」
物陰に隠れたままヨイチはフードを取りAKUMA体に変身する。食い入るように建物の中をさらに覗いている。
「おおっ、ヨイチのAKUMA姿初めて見た」
「へえ、あんな感じなのか。なるほど、AKUMAにしちゃ小柄だな」
「何だろう? 大丈夫かな……?」
ニコが心配していると頭部を人に戻しながらヨイチが戻ってくる。
「あの建物の内部を進んで山を目指そうと思ったが、止める。迂回するぞ」
「屋敷の中は危ないのか?」
「人ではない人型の何かがうろうろしている。得体が知れん」
「ヒィ……」
「怖っ、聞きたくなかった」
「では忘れろ。しばらく北へ行くぞ」
「おう」
一行は屋敷を素通りし林に足を突っ込む。
「これ、旦那がいなかったら俺ら今頃……」
「余計なこと考えるな! 怖いだろ!」
 道なき道を進み一行は林を抜け車道に出る。朽ちた自動車が下へ向かう道を塞いでおり、その先の道路は穴の底に落ちてしまっていた。ワームに襲撃されたのだろう、と彼らは思った。
「お、道路だ」
「ドウロ」
「ほら、前に言った車っていう道具が走るための専用の道だよ。そこにもあるでしょ、車」
「ふむ」
「地図だとこれだな。山の上まで続いてる」
「ではこれを辿ればいいのか」
「そうなるね」
「分かった。では上ろう」
「うっす」
「道路沿いには休憩所みたいなのもあったりするんだよ、旦那」
「なるほど。ではそういった場所に寄りながら山を越える」
「オッケー」
一行は緩やかな坂を登っていく。傾斜はきつくないがだんだんと息が上がってくるので、時々休憩を挟みながら歩いていく。日が高くなり日差しが強くなってきた。
「どこまでも道だねえ」
「そうだな。建物もないか……じきに昼だし休憩出来るところがあったらいいんだけど」
「ねえ、旦那って物がある向こう側が見えてたりするの?」
「見える。ある程度の範囲までだがな」
「やっぱりそうかぁ」
「物体の厚みがありすぎると見えないこともあるが、人間の作った構造物の中は大概見通せる」
「すげえな旦那の目」
「人間の視覚は分からんが、お前たちの目も役に立っている。得意としている部分が違うだけだ」
「そうだね」
真昼になったが、休憩所は見えてこない。看板のようなものが途中に落ちていたが元あった場所からは移動しているもののようで、情報としては役に立たなかった。何度目かの休憩を入れる人間たちの横で、ヨイチは荷物に立てかけた刀を足場にして遠くを見ている。
「何かありそうか?」
「うむ、建造物が見える。が、やや遠いな。どうする?」
「うーん、悩むね」
「悩むなぁ。山越えないといけないわけだし……」
「多数決にするか。寄っておきたい奴は?」
ギルが呼びかけると、二人ほど手をあげる。
「じゃあ、先へ進みたい奴」
ギルも含めて残りが手をあげる。
「ヨイチは?」
「どちらでも良い。合わせる」
「じゃあ、二人には悪いが寄らずに進もう。……ここで飯食うか」
「うん、ご飯にしよう。俺お腹空いちゃった」
道路に敷物を広げその上に保存食を並べる。刀から降りようとしたヨイチが、遠くの建物の方向を見てもう一度立ち上がる。
「どしたーヨイチー?」
「……人間がこちらに来ている」
「えっ!?」
「二人。銃を持っているが攻撃の意思はない。俺に手を振っているがどうする?」
「振り返して!」
「振り返していいのか」
ヨイチは片腕をあげて左右に動かす。じきに男性二人の姿が見え、声が届く。
「人間だぁー!」
「おおーい! おおーい!」
「とっくに見えているのに叫んでいるぞ、あの個体」
「人を見かけたから嬉しいんだよ。おーい!」
「そういうものか」
汗や涙で顔をぐしゃぐしゃにした男性たちが転がり込んでくる。
「人ダァ、うひぃ」
「ぜぇ、ぜぇ」
「おうおう、大丈夫か?」
「物資担当より、ヨイチさん。予備の食事を分けてあげてください」
「俺の荷からか。承諾した」
ヨイチはリュックから水と食料を出し男性たちに手渡す。
「ありがてぇ!」
「うぇええ、生きてて良かった……」
男性二人は水を飲み干し、食べ物も流し込むように口にする。
「よほど過酷な状況にいたようだな」
「死ぬかと思った……」
「うめえ、うめえー」
飲食をして気分が落ち着いた髭面の男性たちは、ギルたちと握手をする。
「助かった! 俺はジョージ」
「俺はジェフ」
「ダブルジェイだ、イェアー」
「あはは、なるほどな」
「? 分からん」
きょとんとするヨイチにニコレッタが耳打ちをする。
「名前の頭文字が同じJなんだよ。Jが二つでWJってこと」
「なるほど。文字の話か」
「あんたらも旅してんのか?」
ギルがヨイチに正直に話していいか目配せをする。視線を受け取ったヨイチが代わりに説明を始める。
「我々はこの山を下ったところに拠点を構えている。が、物資が少なくなってきたのでこちらまで足を運んだ」
「なるほどなぁ」
「やっぱりどこも苦しいよな」
「ダブルジェイは旅をしてきたのか?」
「そうだよ。元々は東の方に住んでて農家をしていたんだが……AKUMAに襲撃されてね」
「農家!」
「おお! ちょうどいい! 一緒に来てくれないか!?」
「おっ!?」
「我々が探しているのは農作物だ。知識のある者が加われば有利になる」
「そういうことなら是非! よろしくな!」
「ああ! いやぁ良かった……」
「ではあとは作物の確保だな」
「あー、ギルたちはどっちに行くんだ? 俺たちが来た方向はやめておけ。向こうはAKUMAの巣がある」
「ウェッ、そうなのか」
「ああ、命からがら逃げてきたんだ。参ったよ」
「よく生存したな」
「運が良かったのさ」
食事が終わり、ジェニーが荷物の残量をチェックする。
「物資担当よりー、ヨイチさんの荷物とダブルジェイの荷物を確認して共有します。全部広げてください」
「だそうだ。従え」
「おお、いいのか!?」
「俺たちのはこれぐらいだ」
「すっからかんですね」
「ああ。数日何も口にしてなかったんだ……本当に助かったよ」
「そしたら、ええと……」
彼女はヨイチが持っていた食料をダブルジェイに分けていく。ヨイチの荷物は半分ほどに減った。
「こんなにもらえるのか」
「はい。ヨイチさんは予備物資が多いので、このくらいは分けて平気かと」
「なるべくニン……お前たちの生存を優先しろ。俺はどうにでもなる」
「そうですね、そこは把握しています」
「そういやぁアンタ、ヨイチだっけ? 飯食ってなかったけど大丈夫なのか?」
「旦那はええっと、俺たちより先に歩きながら食べたんだ!」
ヨイチは前日までに狩りを徹底して行い、数日食事を取らなくても大丈夫なように準備をしていた。人でないからこそ出来る下準備だったがまさかここで出会ったばかりの人間に話す訳にもいかない。
「そうだ。全員が休んでいるときに見張りがいないと危ないのでな」
「なるほど?」
「二人加わって十人になったか。列をどうする?」
「ダブルジェイは銃の扱いは上手いのか?」
「いやぁ、そんなには……」
「ふむ、では二列目か三列目だな」
「三列目にしよう」
「す、すげえ。なんか軍隊みたいだな」
「効率を優先したらこうなっただけだ」
「おお……」
 農民を仲間に加え、一行はさらに山の上を目指す。道路以外は何もなく、ひたすら登るだけの状態が続く。
「結構高いよねこの山」
「そうだな。みんな足大丈夫かー?」
「まだ大丈夫ー」
「俺も平気だ」
「俺もー」
「……全員止まれ」
道の先を睨んでいたヨイチが走って先へ行く。一行は山の頂上にたどり着いたらしい。
「どうした?」
ジェフが双眼鏡を取り出す。これのおかげで彼らはヨイチたちに気付いたようだ。ヨイチが駆けていった先はくだり坂の始めでニコレッタたちの位置からは先が確認出来ない。
「……なんか見えるか?」
「いや、なんにも……」
「ギル」
ヨイチがギルだけを呼び、手招く。
「みんなそこにいてくれ」
「おう」
ヨイチの近くへ行ったギルは何やら足元を覗き込んでいる。二人は何か話した後、仲間の元へ戻ってきた。
「どうした?」
「道がなくなっている」
「え!?」
「山がごっそり削れてるんだ。どおりで向こうの都市から人が移動してこない訳だよ」
「ひえー」
「じゃあ山は越えられないのか」
「そうなるな。地図を出せ」
「はーい」
広げた地図の上でヨイチが指を動かす。
「ここからここ、そしてここからここまでが山がなくなっている範囲だ」
「うわぁ、こりゃ広範囲だ」
「じゃあこの山の向こうにあった村は……」
「残念ながら土の下だ」
「そんなぁ」
「進路を変えないと。どうする?」
「道はないが、山が残っているところを下る。つまりこちらだ」
「さらに北を行く感じか」
「こっちの進路だと森を抜けた先に村があるね」
「そこを目指そう」
「了解ー」
「山が崩れる可能性もある。道を戻ってから下るぞ」
「そうしよう」
 一行は道路を外れ森へ足を踏み入れる。鬱蒼とした木々が生い茂り、日差しを遮っている。ぬかるみに足を取られそうになりながら彼らは進み、やがて森を抜けた。小さな集落が見えてくるが人気はない。
「うわ、なんだこりゃ」
テッドが思わず声を上げる。本来なら山の頂上から分岐した道が続いている村なのだが、その荒れ方は凄まじく建物はほぼ倒壊し、動物の血がそこらに飛び散っていた。
「うへぇ」
「お前たち、用心して進め。あまりいい場所ではない」
「ヨイチには何が見えてるんだよぉ! 怖いから先に言ってくれ!」
「これは人ではないものが暴れた跡だ。だがAKUMAはこういう乱雑な襲い方はしない。もっと無駄のない統率された動きをする」
「獣じゃねえのか?」
「獣にしては範囲が広すぎる。山が崩れたのもおそらくこれのせいだ」
「ヒィー」
「だだだ旦那手繋いでていい?」
「構わんぞ」
「こんなやばいのがここにいたんなら俺たちの拠点もやばかったんじゃないか?」
「ああ。だが山を崩してしまって越えられなくなったのだろう。おかげで我々も助かったということだ」
「ヒィ……もう帰りたい……」
「堪えろ」
「む、村の真ん中を通るのはやめるか……」
「そうだな、迂回する」
一行は村を直進せず外側を回ってその次の集落を目指す。再び森の中を通ることになり一行の士気は下がる。
「人がいねえ……」
「いねえだろ!?」
「静かに進め」
「くそぉ……明かりの一つでもありゃ……」
「…………」
「アー」
「? 誰が言った今の?」
「しっ」
全員が立ち止まり息を飲む。人の声のように聞こえたがおそらく誰も発していない。背筋に寒気が走る。
「アー」
ニコレッタは怖くてヨイチの手を力の限り握る。彼女は小声でヨイチに話しかけた。
「旦那……これ逃げたほうがいいよね……!?」
ヨイチはニコを見て唇の前に人差し指を立てる。彼は前にいる仲間の肩を叩き小声で何か指示を出す。指示は前へ伝えられ、隣にも伝えられる。
「これから前後二人組になって散開する。ニコは俺と逃げるぞ、いいな?」
ニコレッタは震えながら何度も頷く。ヨイチは抜刀した状態でニコレッタを左腕に抱えた。全員音を立てないようにゆっくり散っていく。ヨイチは周りを見渡しながら後ずさり、全員が逃げていくのを確認する。
「アー」
ヨイチが睨む方向から声がしている。
「ニコ、そっちを見ながら道を教えろ。あれと距離を取るまでこのまま後ろ向きで移動する」
「わわわ分かった」
「それと声はあまり出すな。肩と背中を叩いて進む方向を指示しろ」
「うう」
ニコは言われた通りヨイチの肩を叩きながら木々を避けていく。彼は避けた木を切り倒しながら障害物を作り、その何かと距離を取る。
「ニコ、目を瞑れ。絶対開けるなよ」
「うんっ」
ニコレッタはヨイチにしがみついて目を瞑る。彼は向きを変え猛スピードで走り出しやがて森を抜けた。先に逃げた仲間が山小屋のようなものを見つけており、小さく手を挙げた。ヨイチは素早く小屋に入る。
「全員いるな?」
「いる。大丈夫だ」
「ななな何がいたんだ!?」
「言わんほうがいいだろう」
「ごわがっだぁ」
「よく頑張った、ニコ」
「もう追ってこないんだよな!?」
「何度も威嚇しておいた。平気だ」
「威嚇って……」
「今どこだ」
「ええと……多分、ここ」
再び地図を広げる。予定のルートを逸れてさらに北へ来てしまったらしい。
「森に足を踏み入れるのは避けてこの道を上る」
「了解」
「休憩は取るか?」
「いや、もう少し進んでからにしよう」
「そうだな……」
「もう一度列を組んで進むぞ」
「おう」
一行は再び歩き出す。山小屋も看板も何もない林道を進んでいくと、日が暮れてくる。
 ジェニーを中心に急ごしらえの木材と敷物で簡易テントを張り、野営地を作って腰を下ろす。
「ああ、ひどい目に遭った」
座りながらジェフが嘆く。ジョージは煙草を取り出し残り少ないことに気付き、吸うのはやめて談話にしようと座り直す。
「アンタたち、なんていうか慣れてるよな。脅威に」
「ん? ああ……俺とテッドは職業的にな」
「そういえば、ギルさんはどういう仕事をしてたの?」
目を瞑ったヨイチの隣でホットミルクを口にしているニコが質問をする。拠点にいる間はなんだかんだ忙しく、彼らにそういった昔話を聞く暇がなかったのだ。
「警察。っつっても特殊部隊の方にいてな、同僚なんだ」
「なるほど! だから銃火器の扱いに慣れてるんだな!」
「そ、ナタリアとゾーイは俺たちの幼馴染で……四人とも長い付き合いなんだよ」
「ああ、仲がいいなぁとは思ってたよ」
温めたパウチの中身を口に運びながら、ジョージはヨイチに目を向ける。
「ヨイチは? 若そうなのにアンタも戦い慣れてるよな」
彼は左の瞼を一度持ち上げジョージを見たものの、すぐ下ろしてしまう。
「俺の話はどうでもいい」
「ああ、いやぁ悪い。話したくないんなら無理には聞かねえよ……」
何か勘違いをしたのかジョージは俯いてしまう。話を変えようとニコレッタはヨイチに話しかける。
「あー、旦那もホットミルク飲む? 体温まるよ」
「俺は要らん。必要以上に物資を減らすな」
「まあまあ、俺のをちょっとあげるからさ」
彼女は腰を上げヨイチにコップを差し出す。彼はちらりとニコの顔を見た後、コップを手に取る。
「熱いから冷ましながら飲んでね。ああ、そのまま口つけないで。ふー、ふー……はい、どうぞ」
冷ましてもらったホットミルクを一口飲み、ヨイチは彼女の手にコップを戻す。ニコレッタは満足そうに微笑んで元の位置に座った。二人のやりとりをギルは不思議そうに見ている。
「二人は仲が良いよな」
「え?」
「ああ、いや。変な意味じゃなくてな。信頼し合ってるっていうか……」
「まあ……ね?」
ニコレッタとヨイチは顔を見合わせる。契約上命を握られていることには変わりないのだが、確かに決して悪い関係ではない。むしろニコは彼に好意を寄せていた。ヨイチは穏やかに目を細め、ニコの頭をくしゃっと撫でると再び目を瞑った。
「俺は寝るぞ」
「えっ? それなら旦那もっと暖かくしないとダメだよ」
「おう、せめて体に毛布巻いたほうがいい。今出すから待ってろ」
「良い。コートで充分だ」
「まあまあそう言わずに」
「ほら。野営の時は地面に体温を奪われるから、体の下に毛布を敷くといい」
「要らんと言っているのに……」
面倒そうな顔をしながらもヨイチは言われた通り毛布を敷いてその上に腰を下ろす。
「俺たちもそろそろ休むか」
「そうだね」
「見張りどうする?」
「一番初めは俺がやるよ。夜更かし得意な奴いるか? いたら交代して欲しいんだが」
「じゃあギルさんの後は私が」
「おお、じゃあよろしく頼む」
当番を決め、残りの人間たちは眠りにつく。ギルは焚き木をくべながら、ぼんやりと星空を眺めジャーキーをつまんでいる。彼が見渡していると、いつの間にか起きていたヨイチと目が合う。
「……寝てたんじゃなかったのか?」
「充分寝た」
「随分短い睡眠時間だな」
「体力を消耗していなければ寝る必要がない」
「なるほど」
ギルはパチパチと踊る火に視線を戻す。幼馴染を守りながら必死に生き抜いてきたのに、まさかAKUMAと穏やかに会話をして過ごす夜が来るとは思ってもみなかった。少女を盾にしヨイチと共生関係を組んだとヴィクターから聞いた時は、顔には出さずともなんと酷いことをするのだろうと憤った。だがニコレッタとヨイチの良好な関係を見ているとその怒りも薄れていく。
「なあ、ヨイチ」
「なんだ」
「ニコレッタは本当に生贄なのか?」
ギルの言葉にヨイチは視線を向ける。ニコレッタの目がない時の彼の瞳には、睨むだけで獣をも殺せそうな力が宿っている。やはり心底信頼するには危険だ、と彼の脳は警鐘を鳴らす。
「そうだ」
「それにしちゃ随分仲が良くないか?」
「お前には関係ない話だ」
「そうだけどよ。生贄なら仲良くする必要もないだろうに、なんでだろうって。気になったんだよ俺は」
ヨイチは視線を外し、森の向こうを真っ直ぐに見つめる。人ならざる紫の瞳が暗がりで光る。
「俺は確かに、彼女を寄越せとは言った。しかし、結果がどちらでも構わなかった。彼女に選択の余地はないが、本当に俺に身の全てを捧げる必要もない。抵抗も出来るはずだし、その隙も与えた。しかしニコレッタは抵抗せず、全てを俺に託した」
ヨイチは視線を落としすぐ隣で眠っている彼女の髪を一筋、指で撫でる。
「彼女がそのつもりなら俺も安易に手放すまい。指一本、髪一本たりとも誰にもやらん」
「……そうか」
「無駄話は終わりだ。代わりに見張っておいてやるから寝ろ」
「おう。じゃあお言葉に甘えるよ」
ギルは火を消し毛布を被る。ヨイチは視線を森へ戻し目を光らせる。獣が遠巻きに一行を狙うも、紫の瞳は獣らを睨む。我がものに手を出すならば容赦はしないぞ。人ならざるものの王がそう告げると、獣は尻尾を巻き森の深くへ逃げていった。

 明朝。人間が起き出し頭をしゃっきりさせるとヨイチは森へ向かい、野ウサギを二、三匹捕まえ一行のところへ戻ってくる。
「どう加工するのかは知らん。勝手にしろ」
「では私がやります」
「えっ、出来るのジェニー?」
「十代の頃サバイバルキャンプにいたので」
「ああ、だからテントも作れたんだな」
彼女は十字を切り、ウサギが苦しまないようサクッと血抜きを済ませる。ウサギが肉と皮に分けられるとそこからニコレッタなども作業に加わる。さらに解体し、貴重な香辛料を使い臭みを消し調理していく。
「おお、美味そうなニオイ」
「新鮮なお肉いつ振りだろうー?」
「外部で補給出来ると物資も減らさずに済みますし助かります。ありがとうございますヨイチさん」
「礼はいらん。統率する者として当然の動きだ」
「くぅ〜カッコイイ〜」
「よっ! 俺たちのボス!」
ウサギ肉は保存食と一緒に煮込まれシチューに変身し、一行の腹を満たした。
「いやぁ美味かった!」
「美味しかった〜」
「美味しかったですね」
「ヨイチはまた食わなかったみたいだけど、大丈夫なのか?」
「俺は先に済ませた」
「いつの間に?」
「旦那少食だもんねえ!?」
「そうだな」
ジェフの疑問をニコレッタがはぐらしつつ、一行は野営地を片付けて出発の準備を進める。彼女はふと手を止める。ヨイチは確かに数日食事をしなくてもいいと言っていたが、本当にそうなのかはニコたちには分からない。いつかの雨の日のように無理をしている可能性もある。まとめた荷物を背負い、彼女はヨイチの元へ向かう。
「旦那」
「なんだ」
「水分以外摂ってないけど、本当に食べなくて大丈夫? 前に雨を我慢してたし、心配なんだけど」
森の向こうを見ていた彼はニコのために屈む。
「信用ならんか」
「っていうか、無理されると困る」
「無理はしていない」
「本当だね?」
「……信用ならんのだな」
「違うよ、今のは確認」
「ここにトリッキーがいたら真実かどうかすぐ分かったろうな」
「え? なんでトリッキーの話?」
「あの三つは俺の一部だと言ったろう。装備としてだけではない。言動もそうだ」
ニコレッタはトリッキーやフロストの性格を思い出す。わがままで人に関心がなく、プライドが高くて素直ではなくて、面倒見が良い。確かに三人の性格を組み合わせるとヨイチになる。
「なるほど。じゃあトリッキーたちは旦那と別々に動いてるけど旦那なのか……」
「そうだ。食い物の話だが、腹が減ったら食う。俺のことは気にするな」
「気にしますぅ」
「……なら、俺がお前の指を一本食いたいと言ったら差し出すのか?」
「えっ!?」
「どうなんだ」
「え、ええと……小指ならいいかな?」
彼女は左手の小指を差し出す。本当に食べられるのだろうか? と、緊張する。ヨイチは目を細めて彼女の顔を見てから小指をぱくっと口に入れ、吸う。
「お前はバカだな」
「なんだ、冗談か……」
舐められた小指を袖で拭きながらニコはホッとする。ヨイチはそんな彼女の首元に顔を寄せ呼吸をする。
「また嗅いでる」
「香りならお前の体を削らずに済む」
食べたいというのが冗談なのかどうか分からなくなるような発言をしつつ、ヨイチは姿勢を戻し準備が整った仲間の顔色をチェックしていく。
「ひどく体調を崩した者もいないな。では行くぞ」
「おう」
 一行は次の村を目指して足を進める。人間たちは獣やAKUMAに目をつけられていたが、ヨイチがそれを睨みつけて追い払う。昼を過ぎた頃、広大な畑が見えてくる。その先にぽつんと小さな家が建っていた。
「小麦だ!」
「うおー! すげえー!」
「良く手入れされてるな」
「ああ、こりゃちゃんと人が管理してるな」
「小麦分けてもらえたら拠点でも栽培出来るかな?」
「どうだろうな。土の問題とかもあるからなぁ」
「やってみなきゃ分かんねえな」
「そっか」
「育てるのに時間もかかるしな。とりあえず、小麦を分けてもらえるか聞いてみよう」
畑の中の道を通り小さな家にたどり着く。皆に下がるよう指示してギルが扉を叩く。しかししばらく待っても誰も出てこない。何度かノックをし、ギルが声を張り上げる。
「誰かいませんか!」
ようやく家の中で物が動く音がし、誰かが扉の手前までやってくる。
「どちら様でしょう?」
声の主は扉を開けずにこちらの様子を伺っている。
「旅の者なんだが、良ければ水をいただけないだろうか?」
「それはそれは、大変でしたでしょう。どうぞ、お上がりください」
扉を開けたのは黒い髪の、穏やかな表情の男性だった。笑顔で一行を出迎えてくれる。
「おや、これは大所帯ですね」
「お邪魔するよ」
「失礼します」
「パンの匂いがする……」
「今朝焼いたのですよ。お食べになりますか?」
「いいのか!?」
「ええ、苦しい時にこそ分け合わなければ。主もそう仰っています」
「……随分と敬虔なんだな」
ヨイチとギル、テッドは警戒しながら屋内を見渡す。他のメンバーは男性に気を許してテーブルに集まり、パンが出てくるのを待つ。温かな白い丸パン、ハチミツやジャムがテーブルに並べられる。
「うおお!」
「わー美味しそう」
「一人で食べ切るには多くて困っていたのですよ。さあさあ、どうぞ。そちらの皆様も」
「ああ、じゃあ」
ギルとテッドは席に着くがヨイチはニコレッタの近くで壁に寄りかかる。
「俺は要らん」
「旦那、そう言わないで座るだけでも」
「そうですよ。美味しいですよこのパン」
「要らぬ」
「もしや、パンはお嫌いですか……?」
男性はしょんぼりとした顔でヨイチを見る。彼は半ば強引にニコレッタに座らされたが、そのまま彼女に耳打ちをする。
「あの形の植物は食わん。消化出来ん」
「ああ、そうなんだ。ごめん、旦那は小麦アレルギーなんだってさ」
「おや、それは残念です……」
「旦那もそういうことは早めに教えてよ」
「今後はそうする」
ニコレッタがジャムをつけながら白パンを頬張っていると、ヨイチは皿を覗き込む。どうやらジャムやハチミツの方が気になっているようだ。スプーンでジャムを掬い彼の口に持っていく。ニオイを確認し、ヨイチはスプーンを口に入れる。甘さが強烈だったのか、彼は渋い顔をしてジャムを飲み込む。
「なんだこれは」
「ジャムだよ。甘過ぎた?」
「不味い」
「うーん、そっか」
ヨイチは水を取り出し口をすすいで飲み込む。周りは美味しいパンに心を奪われ会話が弾んでいた。
「じゃあ、オーウェンさんはずっとここにお一人で?」
オーウェンと呼ばれたこの家の主は頷く。
「はい。理由は分かりませんがこの辺りはAKUMAは来ないのです。おかげで脅威もなく自給自足でなんとかやっています」
「そうだったのか。まあ確かにAKUMAは見かけないな……」
「山の上の方で寒いからじゃない?」
「おや、AKUMAは寒さが苦手なのですか?」
「なんか、そうらしいよ。ね? 旦那」
「そうだ」
「なるほど。……皆様パンのお代わりはいかがですか?」
「いいのか!?」
「ください。我々の物資も出しましょう。皆さんカバンからシチュー類を出していただけますか。きっとパンに合います」
「よろしいのですか? 限られた食料では?」
「まあ、ご馳走になったしな! みんなで昼飯だ!」
「おや、ではお言葉に甘えましょう。シチューなんていつ振りでしょうか? 台所は好きにお使いください」
「じゃあお借りします。ニコレッタさん手伝ってくれますか?」
「うん、手伝うよー」
「俺も手伝う」
「ありがとう!」
ニコを含めた数人が席を立つと、ヨイチは皿に残ったハチミツを指で取り舐める。ジャム以上に甘さは強いはずなのだが、彼は平気な顔でハチミツを舐めている。ギルはそれを見てスプーンを差し出す。
「指で舐めないで道具使いな」
「む」
ヨイチはスプーンを受け取るとハチミツを瓶から掬い、皿に盛って舐め始める。気に入ったのか、とギルはそれを横目に見ながらパンを口へ運んだ。
 パンに満足したギルは家の周りを見回りに行く。確かにこの辺りにAKUMAはいないらしい。それらしい痕跡も見当たらないので再び屋内へ戻る。すぐさまシチューのいい香りが彼の鼻をくすぐる。テーブルを見るとパンとシチュー、ホットミルクが並べられている。
「あ、ギルさん戻ってきた。何してたのー?」
「一応外敵がいないか確認をな」
「そっか」
ヨイチはまだテーブルに座ってハチミツを舐めている。もはや瓶ごと与えた方が手っ取り早いのではないだろうか? というぐらい中身は減っていた。ヨイチがあまり警戒をしていないので、敵はいないのだろう。ハチミツを食べ過ぎたヨイチに気付き、ニコレッタがホットミルクにハチミツを溶かして彼に与える。コップを受け取って一口飲むと、ヨイチはさらにハチミツを追加して飲み始める。ニコは食べ過ぎだと彼をたしなめ、瓶を取り上げた。ギルはそんな二人のやりとりを見つめている。あれが本当に搾取する側とされる側の関係なのだろうか? 二人はお互いに気を許しあっているようにしか見えない。じいっと二人を見ているギルに気付き、テッドが声をかける。
「おう、飯だぞ」
「ん? ああ」
「あの二人がどうかしたか?」
「……仲が良すぎる」
「敵対するよりはいいことだろ?」
「そうだが……ヨイチの方にも愛情があるようにしか見えない」
「あるんじゃないか?」
「AKUMAなのにか?」
「俺らが犬猫を可愛がるのと同じだろ。いいから飯食おうぜ」
「…………」
オーウェンを囲み全員で食事をする。平和なひと時に彼らは心が安らいだ。オーウェンは非常に敬虔で穏やかな農夫で、日々の恵みに感謝しながら時折やってくる旅人たちをこうして招いて共に食卓を囲んでいるのだと言った。ニコレッタたちは拠点の話に触れ、オーウェンも拠点に移住をと誘ったが彼はやんわり断った。代々受け継いできたこの土地をそう簡単には手放せないと。その気持ちも分かるため彼らは無理強いをせず、次は食料の話に触れる。
「良ければでいいんだが、小麦を分けて欲しいんだ。拠点もそろそろ苦しくて自給自足しないとやっていけなくなってきたんだ」
「わざわざ遠出をしたと仰っていたのでそうだろうとは思いました。もちろん構いません」
「助かるよ。金はないからこちらの物資と交換してくれ」
幾らかの小麦粉や近くで採れたというハチミツなどと交換し、リュックに詰めていく。日が暮れての移動は危ないからと、オーウェンは宿泊を勧めてくれた。
 ニコレッタは女性と同じ部屋にまとまり早めに就寝する。柔らかい布団に包まれ安心していたのだが、彼女は冷たい空気に身震いし起き上がろうとする。
「ん!?」
しかし起き上がれない。ニコは手足をロープで縛られ、どこだか分からない土の中で目を覚ました。その風景には見覚えがあった。ヨイチと出会った時のAKUMAの巣。拠点の近くのものとは違いこちらは直径が短くはあったが様相は全く同じだった。
「んん! んんー!」
誰か助けて。そう叫ぶものの言葉にはならない。口にも布を巻かれていて声を出せないのだ。カサカサという音がし、そちらに目を向けるとワームが這いずってくる。
「んん、んんん!」
彼女はなんとかして縄を解こうともがくが、ロープは簡単に外れない。こちらに近付いてきたワームたちが動きを止める。その奥からゆっくりと群れのリーダーが姿を見せる。蜂のような見た目をした立派な個体で、ニコレッタは絶望し、必死にもがく。AKUMAの手が伸び、彼女はもうダメだと目を瞑った。
 一方、屋内ではニコレッタの危機など知らぬ仲間たちがぐっすり眠っている。オーウェンは彼らがよく眠っていることを確認し、自室の小さな祭壇の前で祈りを捧げる。
「ああ、主よ。我らをお導きください……我らをお救いください……」
「お前の言う主とやらは地下にいるらしいな」
オーウェンがはっと振り向くと、そこにはヨイチが紫の目を光らせて暗がりに立っていた。
「……なんの、お話でしょう?」
「ここに来てとぼけるか。俺はお前が行動に出るまで待っていただけだ」
ヨイチが合図すると物陰からギルとテッド、ダブルジェイたちが銃を構えて姿を現す。オーウェンは両手を上げ、その場に跪いた。
 いつまで経っても痛みは襲ってこない。ニコレッタは不思議に思い目を開ける。するとAKUMAの顔がすぐ近くにあり、息を飲む。AKUMAはニコレッタの首元に顔を近付けてニオイを確認すると、四本ある腕で彼女を抱き上げ胸に収めたままどこかへ向かう。なぜかこのAKUMAはニコレッタを捕食する気がないらしい。しばらく歩くと木製の階段が見えてくる。AKUMAは床板に紛れている扉を持ち上げ、周りに人がいないことを確認すると階段を登りきる。ニコレッタはようやく、この巣がオーウェンの家の地下にあったのだと知った。別の部屋から漏れる明かりと、話し声が聞こえてくる。AKUMAはそちらへ静かに歩いて行った。
 膝をつき銃を突きつけられたオーウェンの前に、蜂型のAKUMAとロープで手足を縛られたニコレッタが現れる。彼はその光景に驚き声を上げた。
「なぜ!? なぜです!? その処女はお気に召さなかったのですか!?」
「ぎゃあ! AKUMAだ!?」
現れたAKUMAに驚いてダブルジェイはそちらに銃を向ける。物音に気付いた残りの仲間も同じ部屋に集結した。
「みんなどうしたの!?」
「うわぁAKUMAがいる!!」
蜂AKUMAは腕の一本を使いニコの口布を外す。彼女はふはぁと息をする。
「目が覚めたら地下にいたんだ。でもこのAKUMAに助けられたよ」
「AKUMAが人を助けた!? どうして? まるで……」
まるでヨイチのようだ、と拠点のメンバーは言いかけて口をつぐむ。
「この男はAKUMAなどいないと言ったがそれは嘘だ。この建物の地下にその個体の巣がある。そして訪れていた旅人を彼女に与えていた。そうだな?」
「……その通りです」
「なぜそんなことを!」
「私はその美しい人と一緒に暮らしているんです! 彼女に捧げものをしていただけだ!」
「お前、神を信仰していながらAKUMAと……!」
「ははは、それがなんです? ちゃんと両立していますよ」
「人をAKUMAに襲わせておいて平気だって言うのか!? 冗談じゃねえ!」
「……人間は醜い。彼女と共に生きた方がよっぽど有益です。地上は罪に溢れ、地獄の扉が開いたのです。ならば我らは罪を償わねばならない……人は彼らに食われるべきなんですよ!」
「てめえ……!」
ギルは強く銃口を彼の頭に押し付ける。
「よせ」
「お前! ニコレッタが襲われたのにしれっとしやがって!」
「その統率個体は立場をわきまえている。彼女が襲われる可能性など最初からなかった」
「え、そうなの?」
ニコレッタがぽかんとしていると蜂型AKUMAはロープを切り、彼女を地面に下ろす。ニコはヨイチに駆け寄り抱きつく。
「怖かった……」
「もう大丈夫だ」
ヨイチは彼女の背中をとんとんと叩いた。
「分からない……なぜですクイーン? いつもなら与えた人間は残さず食すのに……なぜです?」
クイーンと呼ばれた蜂型AKUMAは何も言わずにオーウェンを見る。そしてAKUMAはヨイチと視線を交わし、もう一度オーウェンを見つめた。ヨイチは冷たい目でオーウェンを見下ろす。
「狙った個体が悪かったな、人間。これは俺の獲物だ」
ヨイチはそう言いながら本来の姿を見せる。鎌のようなツノ、三対の目。黒い装甲に青い模様のAKUMA。彼がそうだと知らないダブルジェイは驚いて悲鳴を上げる。
「ぎゃあああこっちもAKUMAだ!?」
「おおおお前たちヨイチがAKUMAだって知ってたのか!?」
「あー、まあな……」
「ヨイチさんは我らの拠点と共生関係なんです。だから人は襲いません」
「そうだ。俺は人間は食わん。食うのはAKUMAの方だ」
オーウェンはそれを聞いて、慌てて立ち上がり蜂型AKUMAの前で両手を広げて立ちはだかる。
「彼女は渡さない!」
「そのつもりはない。だが……■■■■■■■■■■■■■■■■」
「……■■■■■■■」
「■■■■■■■■■」
AKUMAたちは言葉を交わす。聞き取れない周りは何事かと二人を見つめる。
「おい、ヨイチ。今なんて言った?」
AKUMAは目の前に立っているオーウェンを四本の腕で抱き上げると、廊下を戻っていく。
「お、おいあいつどこに行くんだ?」
「クイーンいかがなされたのですか……? ……ああ、またアレをするのですね? 貴方は欲深いのですね、うふふふ」
 AKUMAは階段を降りて巣に戻っていく。しばらくして、オーウェンの叫びが響き渡る。
「なぜです! なぜ! 痛い! ああ、寒い! 痛い! なぜです! あんなに貴方に尽くしたのに! あああ……!」
悲鳴はやがて聞こえなくなり、静寂に包まれる。全員息を飲み、階段を見つめた。ヨイチは興味をなくしたように人の姿に戻り、ニコレッタを抱えて寝床へ戻ろうとする。
「お、おい待てよヨイチ!」
「寝るぞ。明日荷をまとめてここを出る」
「待てって!」
ギルがヨイチの腕を掴む。ヨイチはじろりと彼を睨んだ。
「……なんであのAKUMAはオーウェンを食った?」
「俺に楯突いた責任を取らせたまでだ。その代わりに見逃してやる。従属個体もろとも食われ巣を解体されるよりはマシだろう。彼女は自分の身を守った。それだけだ」
「あいつはオーウェンと共生関係にあったんじゃなかったのか!?」
「そこまで気に入っていたのなら身を呈して人間を守ったろうよ。いいから寝るぞ」
「おおう、俺寝れねえよ……」
「では起きていろ」
ヨイチは寝室に着くと自分が使っていたベッドを端へ寄せ、ニコレッタをそこに下ろす。
「旦那が一緒に寝ないの、人の振りをしてるからだと思ってた」
「囮にして悪かった」
「ううん……いいよ、大丈夫」
「ニコ」
ヨイチは彼女の顎を軽く持ち上げ、視線を合わせる。
「誰にもお前をやらん。人にも、AKUMAにもだ」
「……うん」
「寝るぞ。明日も早い」
「うん、おやすみ……」
ニコレッタは彼の腕の中で横になる。ヨイチの体温を感じながら目を瞑った。

 翌日、晴れやかさとは程遠いが穏やかな朝を迎える。オーウェンがいなくなった家で彼らはひとまず朝食を摂り、荷物をどうするか相談する。小麦は粉の状態のものを運ぶのが一番なのだが、量を考えると運ぶには手間。穂の状態ではさらに嵩張り、運べる量も減ってしまう。全員困っているとジェニーが手を上げる。
「ある程度、パンの状態に加工してから運びませんか? 食料になるし余ったらすぐ拠点のみんなに渡せます」
「今から大量にパンを作るって言うのか?」
「そうです。ここにあるバターやハチミツも消費出来るし、一番良いかなと」
「ジェニーに賛成。ある程度加工して、余裕があったら小麦粉を持って行こうよ」
「農夫から言わせていただくと機械も含めて家ごと欲しいところだが、最優先は種子だしな……」
話を進めている横で、ヨイチは腕を組んで目を瞑っている。頭がカクンと後ろに傾き、彼は目を開けた。
「む」
「あれ、旦那寝てたの?」
「何も言わないと思ったら……」
「念のため休息を取っていた。休憩は終わったか?」
「休憩じゃなくて作戦立ててたんだよ。どうやって荷物運ぼうかって」
「荷であれば一度に大量に運べる、いいから一箇所にまとめろ」
「え?」
ヨイチは席を立つが、ニコレッタが袖を引っ張る。
「旦那、詳しく言ってくれないと分かんないよ」
「ん? ……ああ」
周りの視線に気付きヨイチは再び腰を下ろす。
「転送用の扉を俺が作るから、お前たちは荷造りに集中しろ」
「転送用の扉? なんだそれ」
「お前たちで言うところの……なんだ、奇跡とでも言えばいいか? そういった術を使う」
「魔法ってことか!?」
「マホウ? 多分そうだ」
「そんな便利な技があるならなんでこれまで使わなかったんだよ!?」
「設置に時間がかかる上そう頻繁には使えん。大量に力を消費するのでな。我々は地上に出る際巨大な入り口を開けたが、あれも同じものだ。安全な場所で時間をかけて設置する必要がある」
「そっか……じゃあ、帰りはすぐ拠点へ行けるんだね?」
「そうだ」
「なぁんだ、心配して損した」
「でもそれなら運びたいものを決めて早く準備をしないと」
「そうだな。リスト化しよう」
「それがいい」
「早急にパンを作らないといけなくなりましたね、これは」
「そうだね! 手伝うよ!」
「ありがとうございます。では調理と小麦の製粉と小麦粉の運搬で分かれましょう」
「俺たちは重機も見てくるよ。あれがないと意味がねえからな!」
「分かった。じゃあ適宜、質問があったら専門家であるダブルジェイたちに聞くように」
「専門家だなんて照れるな〜!」
「俺は運搬を手伝おう」
「ヨイチは体力温存しておいたほうがいいんじゃねえのか?」
「全て持ち出すなら今日は準備、扉の設置は明日だ。気長にやれ」
「ふむ、そうなるとパンを焼くタイミングを考えないといけませんね……」
「とりあえず生地は作っちゃわない?」
「そうですね。下ごしらえをやっておきましょう」
ある程度の班に分かれ、重機の手入れをしたり小麦の貯蔵場所を確認したり、生地を作るために小麦粉を運んだりする。
 ヨイチは入り口付近に小麦粉を運ばせ、外のダブルジェイたちを見に行く。
「おお、ヨイチ。この重機も運ぶんだが扉に入りそうか?」
「こんなに大きいのか? 待て、そうすると設置する扉の大きさが変わってくる」
「おおう、やっぱりな」
「これより大きいものは運ぶか?」
「いや、これが一番大きいぞ」
「ふむ、そうすると……俺一人では無理だな……。壁はここのものでいいとして……」
「だ、大丈夫か?」
「どうにかする。準備を進めておけ。先に扉の場所を決めないといけなくなったな。ええと、おい、壁に模様を描く時人間はどうする? 何か使うだろう?」
「あー、えーと……ちょっと待ってくれ。多分チョークか何かあると思うんだが……」
二人が近くの道具箱の中を探すが、ここにはそれらしいものはないようだ。
「なさそうだ。屋内の誰かに聞いた方がいい」
「分かった。その道具のある壁のどこかを大きく確保しておけ、そこに扉を作る」
「おう、分かった」
急いで戻っていくヨイチの背中を二人は見送り、顔を見合わせる。
「やっぱりさぁ」
「うん」
「いい奴だよな?」
「うん。いつ取って食われるか心配だったけど、杞憂だな」
「そうだな……」
「おし、手入れやるぞ」
「おうよ」
 ヨイチは駆け足で室内へ入る。ジェニーたち調理班はパン生地を一生懸命こねており、その手前でギルたちが小麦粉を積んでいる。
「どうしたヨイチ」
「扉の大きさと場所を変える必要が出た。人間が壁に模様を描く時に使うものはあるか」
「ああ、筆記具が必要なのか。なあ、倉庫にマーカーかペンキあったよな?」
「ペンキがあったと思う。取ってくるよ」
「それからギル、俺と来い。扉の場所を教えておく」
「おう、分かった」
ギルとヨイチが忙しそうに出ていくのを見ながらニコレッタはジェニーとケンと共にパン生地をこねている。
「先にお昼用のパンを作ってしまいましょうか」
「お、そうだね」
「パンって作るの大変なんだなぁ。腕痛くなりそうだ」
「頑張ってください。この労働を乗り越えれば美味しいパンが待っていますよ」
「へえい」
 ギルを連れたヨイチが納屋に戻ってくる。ダブルジェイは重機の手入れを進め、修理用の機材などもまとめ始めていた。
「お、戻ってきた」
「扉はこの辺りに設置する。扉を作るには壁か床が要るが、今回は壁にする。それでその大きな道具が入るものを作るが、単体で作れる大きさには限界がある。俺一人では不可能だ」
「おいおい」
「よって、俺ではなくブレイズたちに向こう側から扉を作ってもらう。連絡を取るから荷運びには参加出来ん。構わないか?」
「もちろん。ヨイチにしか出来ない仕事だしな。扉の作業に集中してくれ」
「そうか、ありがとう」
「ペンキあったぞー」
テッドがペンキを持って二人に駆け寄る。
「ありがとう。……これはどう使う?」
「えーとな、この筆を液体に浸けてこうするんだ。服や体に付かないようにしろよ? 汚れると洗ってもなかなか取れないからな」
「分かった」
ペンキを受け取ったヨイチは早速壁に模様を描いていく。高いところはどうするのだろうと見守る彼らをよそに、ヨイチは壁を歩きながら描いていく。
「すげえ、なんだあれ」
「便利そうだな」
「ほら、みんな作業に戻れ。俺たちも行くぞ」
「おう」
「へいへい」
 調理班はパン生地を作りながらその合間にスコーンを焼いて、全員の休憩用のおやつを作る。運搬班が真っ先に香りに気付き、台所へやってくる。
「い〜い匂い」
「スコーンを焼いてるよー」
「パンは発酵に時間がかかるので、先におやつにどうかなと思いまして」
「いいねえ。焼けたら呼んでくれ」
「ほいほい」
スコーンが焼けたのでヨイチたちを呼びにニコレッタは外へ顔を出す。するとダブルジェイがヨイチを挟んで壁を見ながら難しい顔をしていた。ヨイチは一人で何か喋っている。それを聞いているのだと思いニコは声を掛ける。
「おーい、休憩しよう?」
「しっ」
手前にいたジェフが指を口の前に立て、ニコを手招きする。何だろうと思って彼女は近くに寄るとヨイチの言葉が聞こえてくる。
「ブレイズ、扉の大きさは見えているだろう。そこではダメだ安定しない。他にない? ならば窓を塞ぐか潰すかしろ。あまり時間がないんだ早くしろ。扉を作るのは俺ではなくお前たちなんだぞ」
ヨイチの話を聞きながらダブルジェイはうんうんと頷いている。ジェフに両肩に手を置かれているニコは三人の顔を見渡す。彼女には不思議な模様が描かれた壁に向かって喋っているヨイチしか見えない。
「ではそこで決定だ。ある程度出来上がったら連絡をしろ」
ヨイチはふうと息をついて目頭を押さえる。
「旦那、何してたの?」
「ブレイズと聴覚と視覚を共有していた。疲れた……」
「ちょうどいいや、休憩しよう? ホットミルクもあるよ」
四人は屋内へ向かって歩き出す。
「ハチミツを大量に入れろ」
「ジャムはダメなのにハチミツは平気なんだね、変わってるなぁ。ダブルジェイは? 何してたの?」
「ある程度整備と手入れが終わったんでな、ヨイチを横で応援してた」
「応援っつっても黙って聞いてるだけだがな!」
「ワハハハハ」
「そっかー」
室内に戻ると全員がテーブルを囲んで四人を待っていた。彼らは手を振り、また飲み物を汲んだりスコーンを取り分けたりしている。
「お疲れ様ー」
「お疲れ様」
全員着席したのでお茶が始まる。ヨイチはハチミツをたっぷりミルクに混ぜゴクゴクと飲む。
「旦那はホットハニーミルク好きなんだねえ」
「AKUMAほどではないがそれなりに栄養が摂れる。あと美味い」
「……ああ、分かった」
「ん? 何が?」
同じく気付いたジェニーがギルと目を合わせる。ギルは視線を受けて頷いた。
「牛乳もハチミツも動物か昆虫の分泌液ですね」
「そう。麦は食べないって言ってたがヨイチは動物由来のものしか口に出来ないんじゃないか?」
「黙っていたが、そうだ。我々は植物はほとんど食わん。元々の住処に植物は生えていないからな。牛乳お代わり」
「はいはい、どうぞ」
ジェニーにホットミルクを注いでもらいヨイチはまたハチミツを溶かす。
「旦那は肉食かあ。じゃあジャムは食べない訳だ、果実と砂糖だもんね」
「あの甘いものは植物で出来ていたのか。どおりで口に合わんはずだ」
「牛乳もう一杯飲みます? ヨイチさん」
「いや、もういい。足りた」
「そうですか」
「旦那、さっきの扉の話みんなにもしてあげたら? 情報は早めに共有しておいた方がいいよ」
「ん? ああ、扉だが外にある大きな道具を通すために巨大なものが必要になった」
「あー、道具って耕運機のことな?」
「そう、そのコウウンキのことだ。俺一人ではせいぜい人間の背丈の扉しか作れん。だから俺ではなくブレイズたちに三体掛かりで向こう側からこちらに扉を作ってもらう」
「拠点側からでも作れるんですね」
「俺とブレイズたちがそれぞれ目的地にいるから可能になっている。扉は基本一方通行だが、今回は双方向の物を作っている。荷も運べるし人間も通れる」
「おい、その言い方だともしかして普通は人間は通れないのか?」
「無論だ。我々が使っている移動経路だ、人間の体を通すにはやや無理がある」
「おっかねえ……」
「今回は手間をかけてより安定したものを作るから安心しろ。この後も俺はブレイズたちと連絡を取る。合間に他の作業も手伝うが、時々抜けるぞ」
「了解しました。ではヨイチさんには適宜手伝っていただく感じで……」
 一行は休憩を終えそれぞれの作業に戻る。運搬班がある程度作業を終えたのでギルたちは調理班に加わり、パン生地をこねる。その間にジェニーたちが昼食の準備を始める。ダブルジェイは手入れを済ませた耕運機で運搬班が途中まで運んだ小麦粉や種子などを納屋に運ぶ。本当は畑に植わっている小麦も収穫しておきたいところではあるが、まだ生育が終わっておらずそれらは諦めることになった。ヨイチは扉の前でブレイズたちと交信しながら、ああだこうだと指示を出している。
 昼食の時間になり一行は再び食堂に集結する。ヨイチは仲間より先に戻り、ぐったりと机に突っ伏していた。
「旦那大丈夫ぅ?」
「ダメだ、ハチミツを寄越せ」
「ホットミルクたっぷり作っておいて良かったね」
「そうですね。じゃんじゃん飲んじゃってどうぞ、ヨイチさん」
「うむ」
ヨイチはホットハニーミルクを美味しそうに飲み干し、お代わりを注いで二杯目もぐいっと呷る。
「疲れるんだね、その交信」
「コウシン……ああ、感覚の共有のことか……。疲れるぞ。目と耳の感覚を合わせるからな、あまりに長い時間共有すると目は回るし頭も痛くなる」
「うわ、思ったよりしんどそう」
「だからこういう技もあまり多用しない。負荷が大きい」
「なるほどねえ、使わないんじゃなくて滅多に使えないのか」
「そういうことだ……■■■■■■■■……」
「ん?」
「ハチミツが美味いと言った」
「おお、そっか」
牛乳飲んで満足したヨイチはソファに寝転がる。ニコレッタたちは食事の準備を終え、席に着く。ニコがヨイチの様子を見に行くと、彼はぐっすり眠っていた。
「旦那寝ちゃってる」
「そのままにしておこう」
「そうですね」
仲間が食事を終えゆっくりお茶を飲んでいるとヨイチがバッと起き上がる。
「旦那おはようー」
「……また気絶した」
「疲れてたんだろ」
ヨイチは顔を両手で覆い、髪をかき上げながらテーブルへ戻ってくる。
「はい、旦那の分」
ニコレッタはシチューの肉が山盛りになった皿を差し出す。ヨイチはきょとんとして目の前に置かれた皿を見つめた。
「旦那の食べられるもの分かったからみんなで分けたんだー」
「……人間を優先しろと言っただろう」
「いいから食えって。補給なしで動くと精度が落ちるぞ」
「それは言えている」
ヨイチはフォークを受け取りシチュー肉を頬張る。美味しそうに食べている彼を見て周りは満足げに微笑んだ。
「午後も頑張るかぁ」
「パンの方どんな感じだ?」
「いい感じに膨らんできましたよ。夜までに焼いて荷物にまとめようと思っています」
「じゃあ午後はみんなでパン作りだな」
「頑張ってこねてくださいね」
「おうよ」
「耕運機の方は? まだやることあるか?」
「ああ、まあな。でも土とかも運んだしもう一回整備するとかそのぐらいだな」
「そうか。手伝えることあったら言えよ」
「おう」
「旦那食べ終わったらお皿ちょうだい。洗うから」
「自分でやる」
「じゃあやり方教えてあげる」
「うむ」
「洗い物する魔王偉い……」
 ニコレッタに洗い物を教えてもらうヨイチの横で残りのメンバーはパンをこね、いよいよ焼く作業に取り掛かる。拠点の人間たちを数日賄う分量だ。それはパン屋を開業するのではないかと思うほどで、成形され、窯に入れられる。しばらくすればいい香りがしてきてキッチンと家中を満たす。
「ああ、幸せな香り……」
「出来たら味見がしてえな……」
「一個ずつ味見しようか、みんなで。ね?」
「それがいい」
最後の言葉を返したのは仲間ではない。全員驚いてその方向を振り返ると、そこにはいつの間にかキッチンの近くに立っている、燃えるような赤い長髪に赤いロングコート、金属のアクセサリーを付けた男が立っていた。背丈はヨイチと同程度、高身長ですらりとした四肢を持つ魅力的な笑みの男であった。
「誰だ!」
ギルが慌てて銃を構えるが、ヨイチがすぐさま取り上げる。
「何するんだヨイチ!」
「このお方に武器を受けるな。死ぬぞ」
「なに?」
「だ、旦那その人が誰か知ってるの?」
「…………」
ヨイチは男の前に歩み寄り、跪く。どんな相手にも尊大な態度を取っているヨイチがだ。仲間たちはその光景に驚き、息を飲む。
「おっ、釜見てないと焦げるぞー」
「え、ああ! はい!」
赤い髪の男に言われ釜を見張っていたケンが慌てて作業に戻る。赤い男は飄々とした態度で跪いているヨイチを見下ろす。
「人間と仲良くやってるみたいじゃん?」
「……■■■■■■■■」
「いやいや、いいよそれで」
「■■」
「元気?」
「■■■■■■■■■■」
「そっか〜、そりゃ良かった」
赤い男は右手でヨイチの頭をわしわしと撫でる。まるで親が子供にやるような撫で方で、仲間たちは顔を見合わせる。
「俺もパン一個欲しいな〜」
「■■■■■■■■■■■■■。おい、このお方にパンを差し上げろ」
「やったー」
男が言い終わる頃にちょうど最初のロールパンが焼き上がる。ケンが鉄板ごと男の前に持って来て立つ。
「うーんどれにしようかな、悩んじゃう。……そこの金髪のお嬢さんが選んでくれない?」
「え、お、俺ですか?」
「そうそうー」
呼ばれたニコレッタは彼らの元へ行き、赤い男のためにパンを選ぶ。どうせならと一番焼き上がりが綺麗な美しいパンを選び、皿に移して男に差し出す。
「どうぞ」
「どうも」
男はまだ熱いであろうパンを直接掴むとすぐにかぶりつく。
「んー、んまい。最高」
彼はそう言いながらパンを食べきり、左手でニコレッタの頭を撫でる。
「じゃ、俺はこれで」
「■■■■■■■■■■■■■■■」
「様子見に来ただけだから。じゃねー」
男はそう言うと入り口へ向かい、外へ踏み出す前にふっと消えてしまった。仲間は呆然と入り口の方向を見つめる。彼を見送ってからヨイチは立ち上がった。
「ほら、作業に戻れ」
「いやいやいや今の誰だよ!?」
「知らなくていいこともある」
「ヨイチがそういうこと言うと怖えんだよ!」
「わ、悪い人じゃないと思うよ……」
撫でられた頭を気にしながらニコレッタたちは作業に戻る。一行は焼きあがったパンの味見すら忘れ作業に没頭した。ヨイチは仲間が見えるところに座り、ブレイズたちと連絡を取り合っている。目を瞑っているので聴覚のみを共有しているのだろう、と分かったがずっとAKUMA語を使っていて会話内容までは理解出来ない。パンを焼く作業は無事に終わり、一行はそのまま荷物を詰め込む作業に移る。ヨイチは疲れて先に眠ってしまったので、ギルやテッドが交代で見張りにつく。暗闇がやってきて彼らを覆う。小さな家の上で星々が煌々と輝いていたのだが、それを見る者はいなかった。
 日が昇り、ヨイチは眠ってしまったテッドに毛布をかけてやり外へ向かう。彼はゲート前に立ち、両手の指先を顔の前で合わせ呪文を唱え始める。呪文とは言ってももちろんAKUMAたちの言語なのだが、それはある程度の音階と抑揚を用いたもので独特の響きを持っていた。不思議な歌が聞こえてきて仲間は起き出し、皆支度もせずヨイチの様子を壁越しに伺う。
「旦那が歌ってる……」
「なんて言ってるんだろうな。直接分かったらニュアンスとかも分かるのに」
「そうだねえ」
「聞いたことない音調だけど怖い感じはしねえな」
「俺この歌好きだなぁ」
「ずっと聞いておきたいのは山々ですが、荷物をまとめないと」
「そうだったな」
「やるか……。ヨイチが歌ってるから邪魔しないようにそっとな」
「へーい」
仲間たちは屋内の物をほとんど荷物にまとめ、家中を空にしてしまう。
「今更だけど、やってることは強盗だよな」
「まあね」
「生きるためだ、仕方ない。感謝してから去ろう」
「あの、これは自己満足なんですが」
ジェニーが提案のため手を上げる。ギルはその真剣な顔を見た。
「どうした」
「オーウェンさんのお墓を作っていきませんか?」
彼女の言葉に周りは顔を見合わせる。一行を襲おうとした相手だ。そんな奴の墓を? 彼らは良心と嫌悪の間で揺れ、重い空気が漂う。
「作ろうよ」
息がつまるような重たさを打ち破ったのはニコレッタだった。彼女はジェニーの手を引いて外へ向かう。ギルやテッド、他のメンバーは再び顔を見合わせ、肩を竦めつつもニコレッタに続く。誰かが訪れるような場所でもない、それでも……。廃材で十字架を作り、盛った土に突き刺す。オーウェン、ここに眠る。シンプルにそう記し皆で祈ると納屋の方が賑やかになる。彼らは納屋へ、向かった。
 納屋ではある程度荷運びが始まっており、ヨイチは座って壁に寄りかかっていた。ゲートを行ったり来たりしているのは主にブレイズだった。トリッキーとフロストはゲートの向こう側で、作業の邪魔にならない場所でヨイチのように座り込んでいる。
「うおお、本当に繋がってる!」
「残りの荷物もここに運んでこないと。行くぞテッド」
「おう」
「旦那大丈夫? 疲れた?」
「……ニコレッタか。ゲートを安定させるためにまだ力を使っている状態だから俺には近寄らん方がいい」
「うーん、分かった。無理しないでね」
「ああ」
ニコたちも加わり荷物をリレーして運んでいく。拠点側のゲートは中ではなく建物の外に作られており、入り口に向かって住人たちがずらりと並んでいる。パンを手渡すと、喜びの声が上がる。いい匂いだ、早く食べたいと。土や物資を運び終え、あとは手荷物と人間のみとなった。ヨイチはようやく立ち上がり、メンバーに指示を出す。
「荷物を先に拠点へ運んでから生身で通れ。そうじゃないとブレが大きい」
「ブレ? ってぇのは?」
「なんと言ったらいいか……おそらく目が回る」
「な、なるほどな」
彼の指示に従い荷物も運び終え、耕運機と仲間のみになる。
「ヨイチ、これは操縦しないと動かないんだが乗ったまま通って平気かい?」
「乗らなくていい。フロスト、運べ」
「は」
ゲートをくぐったフロストが耕運機に触れると、重たいはずの機械がゆっくり地面から浮く。彼女は耕運機に触れたままゆっくり後退してゲートをくぐり、向こう側の地面に下ろす。
「うおおおおすげえ!」
「お前たちもくぐれ。一人ずつだぞ」
「おう。誰から行く?」
「ギルかテッドが一番最初に通れ。向こう側で周りを見張っていろ。その後は力ない者からだ」
「俺とか?」
「そうだ」
ニコレッタは己を指差して、彼の言葉にそうかと頷く。ギルとテッドはじゃんけんをして、負けたギルが最初に通ることになった。ゲートを恐る恐る通ったギルは、向こう側でふらつく。
「おぅえ、気持ち悪ィ」
「おおいどんな感じなんだ!?」
「あー、船酔いに近い……うえっ。いいぞ、みんなも来い」
「うひゃあ怖いなぁ」
ニコレッタは小走りでゲートを通る。気持ち悪さを覚悟していたが、彼女はへっちゃらだった。
「ん? 全然気持ち悪くならない」
「このブレの感覚は個体差が大きい」
「人によるのか……」
その後ケンやジェニーなども続いてゲートをくぐる。吐き気を感じた者とそうでもない者の両方が出て、ゲートの向こうはなかなか悲惨だった。最後にテッドが通り、一行はヨイチを待つ。
「俺はくぐらん」
「なんで!?」
「ゲートを閉じた後、痕跡を消す必要がある。だから一緒には……」
「それは俺がやっとくよー」
そう言ってヨイチのすぐ近くに立ったのは先ほどの赤い髪の男だった。ただし、今度はポニーテールで白いTシャツにオレンジのハーフパンツという軽やかな出で立ちだった。ヨイチは男に体ごと振り返る。
「……よろしいのですか?」
「ちょっとやることあるからついでにやっといてあげる」
「■■■■■■■■■■。■■■■■■■■■■■■■■■■■」
「うん、知ってる。ありがとうねーパン美味しかったよー」
「喜んでいただけたのなら何よりです」
「さ、お行き」
「では、失礼いたします」
「うん、またねー」
男はゲートの向こう側でにこやかに手を振る。ゲートを出たヨイチは彼にお辞儀をし、ゲートの枠に触れAKUMA語で何かを呟く。ゲートの内側に広がっていた景色が揺らぎ、薄らいで壁に戻った。それを確認するとヨイチとブレイズたちは急いで壁の模様を塗りつぶし始める。
「手伝う?」
「いや、いい。すぐ中に入れ」
「はーい」
ニコレッタたちは拠点の中へ移動し、荷ほどきに参加する。厨房では食材の仕分けが行われていた。ダブルジェイは村長のヴィクターに挨拶に行き、握手を交わす。ヨイチはゲートがあるはずの山の向こう側で光の柱が立つのを見届け、ブレイズたちと共に中へ入る。
 その日はちょっとした祝宴となり、拠点の仲間たちは夜遅くまで飲んで食べて踊る。ニコレッタもそこへ参加していた、と言いたいところだったが彼女はトリッキーに捕まってしまい長い時間抱擁を受けていた。ヨイチはニコから見える位置のベンチの上で毛布にくるまって仮眠を取っている。ブレイズとフロストは住人の代わりに屋上から外を見張った。ニコはいつまでも離してくれないトリッキーにうんざりし、後ろから羽交い締めにしている彼に話しかける。
「トリッキー、いつまでそうしてるの?」
「ヤダー!」
「さっきからヤダばっかり……」
「旦那もニコもいなかったんだもん、つまんない!」
「はいはい……。あ、そうだ。ねえ、トリッキーたちって旦那の一部なんでしょ?」
「んむ? そうだよ? もう知ってるじゃん」
「ううん、そうじゃなくて。性格も旦那の一部なんだよね? 調達中に聞いたんだけど」
「ソウダヨー」
「旦那の世話焼きなところがブレイズさんで、ツンツンしてるところがフロストさんで、素直なところがトリッキー?」
「そうだよ。なんで聞くの?」
「ほら、旦那ってさぁ時々自分の要求我慢しちゃうじゃない。ああいうのトリッキーから注意出来ない? もうちょっと素直になってくれって」
「俺が言うよりニコが言う方が効果あるよー」
「えぇ? そう?」
「だってダンナ、ニコのこと大好きだもん。ニコが言う方が聞くよー」
「……大好き?」
「うん」
ベンチで眠っているヨイチを見る。仲が良くなってきたのではないだろうか、とは思っていたものの、すでに好かれているとは思わずじっと見つめてしまう。
「……そっか」
「ニコごめんね」
「ん? 何が?」
「囮にしたでしょ?」
「旦那から聞いたの?」
「聞いてはいないけど知ってる。ごめんね」
「謝らなくていいよって、俺言ったのに」
「それでも、ごめんね。もうしないから、ごめんね」
「……うん」
「気が済んだから俺も見張り行こーっと。じゃあねーニコ」
「あ、うん」
トリッキーは壁を走って屋上へ登っていく。ニコレッタはベンチで仮眠しているヨイチに近付き、体を揺する。
「旦那、旦那」
「む、どうした」
寝ぼけ眼のヨイチが胸上を持ち上げる。
「俺も寝るからさ、ちゃんとベッドで寝よう?」
「宴に参加はしなくていいのか」
「だってこんなところで寝て旦那が風邪ひいたら大変だし」
「俺のことは放っておいていい。お前にも息抜きが必要だろう」
ニコレッタは己よりニコを優先するヨイチにため息をついて、手を引いて上体を起こさせる。
「俺さ、なんとなく気付いちゃった。トリッキーが俺のことぎゅってしたりニオイを嗅いだりしてる時って、旦那がそうしたい時でしょ?」
ニコがヨイチの顔を覗くと、彼は気まずそうに目を逸らす。
「やっぱりそうなんだ」
「余計なことを言うんじゃなかった……」
「言ってくれて正解ですぅ。旦那の欲求分かりやすくなったもん。ほら、一緒に寝よ」
ニコレッタが手を引くと、ヨイチは渋々立ち上がる。二人は手を繋いだまま階段を登り寝室に向かい、横になる。
「おやすみ旦那」
「……おやすみ」
夜も更け、住人たちもやがて寝床へ移動していく。屋上にいたトリッキーは満足そうに、星空を見上げた。

 翌日からダブルジェイにより早速拠点の周囲に畑用の土地が確保される。土を耕し小麦用に慣らしていくのと同時に、畑を囲うフェンスを確保するため物資の調達にも向かう。ヨイチはトリッキーと共に調達班と都市部へ向かい、ニコレッタは珍しくフロストとブレイズと共に拠点に残された。昨日のやりとりのせいだろうか、と思いながら彼女は畑を耕している住人たちのために調理場に立って昼食用の幼虫を茹でていた。近くにはフロストがおり、ニコレッタと一定の距離を保って拠点を見回っている。フロストもヨイチの一部なのだしと考えながら、彼女はホットハニーミルクを作りフロストのところへ向かう。
「フロス……ちょっと、待って。なんで後ずさるの」
彼女はニコレッタが近付くと遠ざかってしまい、なかなかコップを手渡せない。
「ちょっと!」
「そこに置けば取る」
「避けなくてもいいじゃんコップ受け取るだけでしょ!?」
「そこに置け」
「もぉおおお意地っ張り!」
ぷんと頬を膨らませてニコは机の上にコップを置いて調理に戻る。フロストは彼女が作業を再開するのを見てからコップを取ってホットミルクに口をつけた。そのやりとりを見ていた住人がニコレッタに話しかける。
「フロストさん今日は御機嫌斜めね」
「そうだね……」
「みんなが小麦を取りに行ってる間はだいぶ柔らかい感じだったのにねえ」
「え? そうなの?」
「そうよー。私たち彼女のために服作ってあげたりしてたの。普通の女の子みたいにはしゃいでたのに、ヨイチさんが帰ってきたらまた前の感じに戻っちゃった」
「フロストがはしゃいでるところ想像つかない……」
ヨイチが帰ってきたら、という言葉を思い返し彼女はある考えが浮かぶ。
「ねえねえ、フロストだけじゃなくもしかしてトリッキーとかブレイズも感じ変わらなかった?」
「え? うーん、どうだったっけ?」
「ええ、トリッキーくんの方だけど私何回か話したわ。いつもよりちょっと大人っぽい感じだったかしら」
「……なるほど」
「それがどうしたの?」
「ううん、なんでもない」
もしや、ヨイチと距離が近いと彼の影響を強く受けるのではないだろうか? ヨイチと距離が離れると彼らは個々の性格を取り戻し、立ち振る舞いが変わるのかもしれない。ニコレッタはその考えを念頭に、どこかで三人と別々に話せる機会を作れればいいなと思考を巡らせる。そしてついでにヨイチも困らせてやろう、と。
 昼になり、調達班が戻り全員で食事を摂る。ヨイチは外で野良AKUMAを駆除ついでに食べてきたらしく、トリッキーを休憩させ見張りに立った。そんな彼を見てニコレッタはむくれた。明らかに避けられている。
片付けを終え、ニコレッタはトリッキーを捕まえる。
「どうしたニコ!?」
「ちょっと頼みがあるんだけど」
「なあに?」
「半日でいいから攫ってくれない? 旦那の目の届かないところに行きたい」
「えーっ! どうしよう!」
「お願い!」
「俺じゃなくてフロストと行ったら?」
「フロスト今日俺のこと避けてるもん」
「それはねー、ダンナのせい。フロスト自身は頼まれると断れないタイプだから言ってみな」
「え、そうなの?」
「そうなんだよー」
「よおし、分かった。ありがとうトリッキー!」
「アイアイ〜」
ニコレッタはベランダで見張りをしていたフロストの元へ行き、無理矢理壁に追い詰める。
「しつこいぞ小娘!」
「半日でいいから!」
「ダメだ! ヤゲン様が心配する!」
「心配させるのが目的」
「……ううむ、でもなぁ」
「おねがーい、おねがーい!」
「……ううん、やっぱりダメだ!」
「なかなか攻略出来ないなフロストは……!」
「何事だ、うるさいぞ」
二人でやいのやいのしているとヨイチがようやく顔を出す。彼はニコレッタの顔を見て、渋い顔をする。
「ニコレッタが半日拠点を離れたいと申しておりまして」
「あ、言っちゃうなんてひどい!」
「当たり前だ、お前の命に関わる」
「ダメに決まっているだろう」
「だそうだ、諦めろ」
「旦那のバーカ!」
ニコはヨイチの腹を一度殴って階段を駆け下りる。
「……なんだあれは」
「ヤゲン様」
「なんだ」
「抑圧も大概になさいませ」
「な……」
フロストはヨイチからツンと顔をそむけニコレッタと同じく階段を降りていった。取り残されたヨイチは外を見てため息をついた。
 今度はニコレッタの方がヨイチを避け、畑仕事を手伝いに外へ向かう。ダブルジェイが住人たちに農作業のノウハウを教え、指示しながら作業をこなしていく。その周囲では頑丈な石垣が組み立てられられていた。ニコも集中して農作業をしているとトリッキーが顔を覗かせる。
「ニコー」
ニコレッタはむすっとした顔で振り返った。
「わぁ、機嫌悪ーい」
「旦那のせいですぅ」
「知ってるー。ごめんね?」
「トリッキー越しに謝られたって許さないもん」
「あーあ、だから言ったのに」
「……何を?」
「素直にならないと愛想尽かされちゃうぞって」
「その通り」
「じゃ、俺の出番ないねぇ。見張り行こっと」
「いってらっしゃい」
「はいはいー」
トリッキーは外の壁を登り屋上で見張りをしていたヨイチの元へ向かい、何事か話すと歩いていってニコの視界から消える。ヨイチはニコレッタの方を見たり目を逸らしたりしながら悩み、観念したように屋上から降りてきた。
「……ニコ」
「なに」
「少し攫っていいか」
「どうぞ」
ヨイチは土の具合を見ているジョージに近付き声をかける。
「おい、ニコレッタを借りるぞ」
「お、構わないぞ」
「ん」
彼は農作業用の手袋や靴を脱いで普段の状態に戻ったニコレッタを腕に抱えると、遠くへ飛び去る。
 遠ざかっていく拠点を見ながら、彼女はヨイチの肩に頭を預けている。さらに遠ざかると拠点は人形の家のようになり、石粒のようになっていく。荒野と潰れ、寂れた都市部からも遠ざかり二人は小高い山の上に着く。ヨイチはニコレッタを抱えたまま座り、彼女の肩に顔を埋めた。どちらも何も言わないまま時間が過ぎていく。先に口を開いたのは、ヨイチだった。
「……困った」
「なにが?」
「己の感情に振り回されている」
「旦那って人間並みに感情あるのに表現するのは下手だよね」
「表す必要性がそもそもないからな」
「なんだそれ」
「俺は群れを作らない個体だと言っただろう。交流する必要がないんだ。全て餌か敵だからな」
「……もう旦那は一人じゃないでしょ」
「そうだな、お前のせいだ」
「えぇ」
「……今のは八つ当たり」
「あっそ」
「……お前を好いているとお前に知られたくなかった」
悲しそうな声でそんなことを言うので、ニコレッタはヨイチの頭を両手で抱え顔を覗き込んだ。彼は辛そうに目を伏せていた。
「旦那……」
「前から気に入ってはいたが、言う気はなかった。トリッキーの奴、俺が抑えていた言葉をああも容易く……」
ヨイチは彼女の肩を引き寄せまた顔を埋め、ため息をつく。
「お前を囮にした時、俺はお前の安全より合理性を優先した自身に恐怖した。人間だったらきっとあんなことはしない」
胸が潰れるような思いだった。どんな武器でも傷付かないはずの自分が、胸から抉れて死んでしまうのではないかと思うほど。
「……そうでもないよ。命より大事なことがあって、最愛の人を手に掛ける人間もいる」
「……そうか、人間は恐ろしいな」
「いろんな人がそうやって苦しみながら、それでも愛し合いながら今まで来たんだよ」
「そうか、複雑だな」
「ねえ、旦那。人間って滅びるの?」
「どうだろうな、俺にも分からん。未来視が出来る訳ではないし、俺も世界の維持装置の一つにすぎん。なるようにしかならん」
「うーん、そっか。……人間滅びて欲しくないなぁ……死にたくないよ、やっぱり」
「それはそうだ。生物として当然の反応だ」
「旦那も死にたくないでしょ」
「さあ、どうだろうな。案外あっさり死を受け入れるかもしれん」
「旦那が死んだら俺が許さないからね」
「そうか……分かった」
ニコレッタを抱えたまま、ヨイチは立ち上がる。
「お、帰るの?」
「ああ。……ニコレッタ」
「なに?」
「すまん」
「それ、どの話?」
「全部」
「……囮の件はいいよって言ったでしょ」
彼はまた飛び立ち、拠点の方角を目指す。
「でも今度避けたら怒るよ」
「……分かった。もうしない」
「それでよろしい」
二の腕に収められたままニコレッタは彼の頬に唇を寄せる。くすぐったいようなむず痒くなるような感覚に困惑しながらヨイチは瞳を閉じた。二人は家へと帰る。血の繋がらない家族たちの待つ家へと……。


──『青い悪魔』2・完

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ふろたん

name : Furotan/ふろたん どんな人:絵を描いてる人。ネコが好き。 HP : https://furotan-3colorhood.jimdo.com/ BOOTH : https://furotan.booth.pm/

青い悪魔

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