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47歳 初フルマラソン完走記

ランニングを始めた頃のこと

元々は中年男性の御多分に漏れず、健康診断の所見がきっかけでジムトレ始めたのですが、45歳になる年の初めに、テレビで目にする駅伝やマラソン、そして息子の部活応援などを通じて、陸上・ランニングに興味を持ったのが始まりです。そのあたりは、こちらの過去のnoteに書いてます。

横浜マラソンへのエントリーまで

ハーフマラソンを初めて走った後には、この2倍の距離を走ることは想像もできず、ハーフマラソン2時間切りという目標を追ってました。それを達成できたのが'21年11月(1:56:59)。さあ次はフルだ!とはならず、特に目標もなく走る日々が続きました。
きっかけは、'22年5月の連休に時間があるのを利用して何か新しいことをやってみたくなり、ゆっくりなら30kmぐらい走れるのでは?と挑戦したことです。最後はかなりボロボロになりましたが何とか走れたことで、後12kmなら気合でなんとかなるか?フルマラソンやってみようかと思いました。ランニングされてない方に自分の趣味を言うときに、10kmが何分とかハーフ何分とか言っても響かず、どんなタイムでも「フルマラソン完走しました」の一言で全然違うと思ってたので、そういう箔をつけたい気持ちもありました(笑)
早速、秋の大会から横浜マラソン・ちばアクアラインマラソン・(出身地の)福岡マラソンを検討し、日帰りでも楽々行ける横浜マラソン(10/30)を選びました。

準備、そして体調不良との闘い

夏を跨ぐということで7月8月をどうするか。月間100kmは下回らないように、無理はせず、早朝や夜に走りこんでました。それでもパフォーマンスは他の季節より落ちるので、メンタルが落ちないようにこの季節はこんなもんだと思うことが大事ですね。
準備としては勝負の9月。ここでは、20km走2回、30km走1回を含む、月間160kmを走りました。まだ暑い季節ではありましたが、やはり早朝などを利用して順調にこなせたと思います。
自分の一つの悩みとして、日によって調子の差が激しいことがあります。調子が悪いときは、そんなに負荷が高くないラン中でもふらついて視界が真っ白になったりします(危ないですね…)。日常生活でもめまいや立ち眩みで倒れることがあり、さすがに病院に通ったりしたこともありましたがはっきりとした原因は今も分かりません。そんなわけで、フルマラソン成功の鍵は体調管理にあると思っていました。

最後の調整

10月は徐々に疲労を抜いていく期間ということで、3週間前にほぼ自己ベストペースでのハーフ走というメニューをやった以外は、Twitterフォロワーさんとご一緒してのランなど、楽しく走るようにしていました。一週間前からは、ウォーターローディング(1日2リットル水を飲む)を重視していました。ふらつきの原因は脱水の可能性もあるので、その予防のため。TKDよしきさんが言っていたので知りました。ランニング知識の多くはYouTube由来かもしれません(笑)。その甲斐もあって、当日朝の体調は最高でした! これは言い訳できない…。

そして当日!

大規模マラソンに初参加なので、会場の何駅も前から電車がランナーであふれているのに驚いたり、河川敷大会には無い様々な演出で高揚します。スタートまでの長い時間も、その場で知り合ったベトナム人ランナーの方とのラントークで楽しく過ごせました。
さて、レース戦略は、自分の走力(ハーフ117分,平均5:33/km)を鑑みて、サブ4.5(平均6:23/km)を目標に設定し、序盤は6:05~6:10/kmで行けるところまで行き、脚やスタミナ切れで垂れても目標は達成する、というものでした。スタートして想定外だったのは、序盤は大混雑でこのペースですら維持できず、貯金が全く作れなかったことです。8キロ9キロのラップは6:10台に戻せてましたが、この焦りが後で響くことに…。
21キロ時点でスタミナや心肺は全く余裕で、ここからハーフあと一本なら目標達成しちゃうなーとか思ってました(笑) しかし、ここからは横浜マラソンの難所、首都高コース。きついと思わないようにしていましたが、25キロを過ぎたあたりから、両足の前腿に激痛が走り始めました!痛くて7分/kmがやっとで、それすら徐々に維持できなくなり…。立ち止まって脛を後ろに抱え上げるストレッチを度々するも、その動きで今度はふくらはぎが攣りそうになる始末。ゆっくり走ることすら辛くなり、32~3キロ付近でキロ7ペーサーに抜かれたときは、あぁ、サブ5も無理なんだとがっかりしました。
なんとか完走はしようとこらえて、残り5キロで時計を見て計算したら、まだサブ5は行ける可能性があると分かり、ここからは気合で走りました。痛すぎて止まってしまうことも多かったですが、なんとか完走。4時間58分17秒でした。

振り返って

練習よりも遅いペースだったのに、練習よりも早い地点で激しい痛みが来た理由を、考えています。
① ロング走が足りず脚が出来てなかった。あるいは調整期に負荷を減らしすぎた。
② 首都高の走りづらさ(傾斜や細かいアップダウン)に、じわじわ削られた。
③ サポートタイツを着用すべきだった(自分には意外でしたが、7割ぐらいのランナーさんが着用されてたような気がします)
④ 序盤の大混雑での走りで前腿に負荷が蓄積された。遅いペースでブレーキをかけるような走りになり、また、焦って少しでも前に行こうとしてのペース変化や横移動が負担になった。
いずれにしても心肺やスタミナは最後まで余裕があり不完全燃焼感があります。スピードが落ちた理由は脚の痛み一点だったので、対策を考えたいところです。特に④については、レースペースでなるべく楽に走るロング走が必要でしたが、練習ではそれより速いペースで走ってたのが逆に仇になったかもしれません。
ちなみに補給は、エナジージェル×4+塩ジェルを携帯。スタミナ切れなかったので、これはうまく出来たと思います。レース前後にもゼリーを摂取したので、化学物質ばかり摂ってて大丈夫か?感がすごかったですが(笑)

Next Action

次のレースをどうするとかは、まだ考えていません。一通りフルマラソンを経験したことで、次はそんなに構えなくても出来るようにはなったと思います。確かなのは、脚が回復したら、距離を踏むのを兼ねてのお散歩ランから再開して、ランニングは今後も続けていこうということです。

後日談

不完全燃焼感から、割とすぐに次のフルマラソンにエントリーしてしまいまして、2023年3月、板橋Cityマラソンを完走、4時間48分45秒でした。調子は横浜の時よりも悪かったのですが、辛うじて最後まで走り続けることが出来た分だけタイムが縮まりました。しかし、まだ不完全燃焼です。脚がもう少し保つようになれば、と思うので、チャレンジは続きます…。

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