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韓国小説『Lの運動靴』と〈小さな声〉を描く女性作家について

こんばんは、古河なつみです。
私は海外の小説が好きなのですが、たまたま手に取った韓国の作品がとても面白かったので紹介したいと思います。

『Lの運動靴』キム・スム著/中野宣子訳/アストラハウス

李韓烈(イ・ハンニョル)という大学生が軍事政権へのデモの最中に催涙弾に当たり、亡くなってしまった、という過去の韓国で起きた実話を元にしつつ、博物館で保管されていた彼の遺品の運動靴を修繕しようと試みる修復家の「私」と周囲の人々の心の動きを描いた物語です。

お話の中で起きる出来事というのは「私」が「Lの運動靴」の修復を依頼され、本当に修復作業ができるのかと思い悩みつつも引き受け、作業を続けていく様子がメインなのですが……「Lの運動靴」という特別な存在を修復する「私」へ、依頼人である博物館の館長や、修復士の同僚たちが自分の話をまるで独り言の懺悔のように語りかけていく構成になっています。一部の台詞を以下にご紹介します。

「三歳違いの妹が妊娠した時、パンが食べたいと言うので、ソボロパンを十個買ってやったことがあります。喜ぶと思っていたのに、融通性がないと言って怒ったのです。どうせ買ってくれるなら、いろいろ買ってくればいいのに、一種類しか買ってこないなんて考えられないと。それからは果物やパンを買う時は、いろんな種類を交ぜて買おうと気をつけています。リンゴも買い、バナナも買い、イチゴも買おうと。いろんな種類を買うのは、相変わらず私は苦手です。いつも同じ食堂に行き、いつも同じものを注文する私みたいな者には、毎回どうしたらいいのか分からないのです。一種類だけしか買いたくない衝動と闘わなくてはならないのですから。どうして何種類か取り交ぜて買わなくちゃいけないのか、妹に質したいと思っているのですが、まだ聞くことができないでいます」

『Lの運動靴』P104/チェ館長の台詞

この語りを読んだ時に日本の作家である小川洋子さんや、今村夏子さん、村田沙耶香さんの偏愛的で静かな文体が私の頭を過りました。

書いている内容やテーマはそれぞれ違いますが、彼女達の描く世界に住む人々の〈声〉と、この『Lの運動靴』を読んだ時に感じる人々の〈声〉には共通する響きがあるように感じられたのです。

小川洋子さんの作品にも頻出する「失われたもの」(Lという青年の遺品)についての物語だからこそ強く感じたのかもしれませんが、『Lの運動靴』を読めば読むほど著者のキム・スムさんと小川さんの小説をもっともっと読み漁りたくなってしまいました。

海外の小説は翻訳家の方のセンスも大きく関わるので一概には言えないのですが、それでも描写されるエピソードの何とも言えない「上手くニンゲン社会に適応できずに途方に暮れている」ような風情に「この感覚は意外と世界共通なのかもしれないなぁ……」と発見できました。

他にも『Lの運動靴』には自分のこどもに靴を左右逆に履かせてしまった事に気づかず帰り道を歩かせ続けてしまった話を繰り返す同僚の女性がいたり、修復作業に没頭している内に奥さんが病気で死んでしまった男性が登場したりとニンゲン社会の中で心をすり減らしながら生きている登場人物が出てくるので、心を柔らかい力でおろし金ですり下ろされていくような不思議な読み心地が体験できる小説でした。

読後感がスッキリ!爽快!というタイプの小説ではないのですが、読み終わってしばらく経ってから、ふと「彼らは今どうしているのだろう……?」と思い出してしまうような、余韻のある小説なのでオススメです。

ここまでお読みくださりありがとうございました。
それでは、またの夜に。

古河なつみ

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