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死にたい気持ちの飼い慣らし方

慢性的な希死念慮に悩んでいる方へ。
いつから死にたい気持ちがありますか?
慢性的に希死念慮を持っている人は、早ければ小学生から、遅くても高校生くらいからは持っている場合が多いです。
強くなったり弱くなったり、消えたかなと思ったらまた出てきたり。
そういう希死念慮と共に生きている人、案外多いのではないでしょうか。
つらいですね。

希死念慮には必ず波があります。
大きな波が襲ってきても、必ずまた小さくなります。大きな波の時に命を絶ってしまっては非常に勿体無いです。取り返しがつきませんから。
よく、死は個人の選択じゃないですか、という方がいらっしゃいますが、それは違います。広い視野で、あれもこれも選択肢だけど、やっぱり死が一番だよね、と冷静に思うことなんて不可能です。もう死ぬしかない、と思う、それはものすごく視野が狭まっている状態なのです。例えば仕事が切羽詰まっているとか、人間関係が苦しいとか、金銭的な問題とか、そういうのが全くないストレスフリーな状況で、よし!死のう!となるでしょうか?
一見何にも問題なく生活を送っているように見える人が、慢性的な希死念慮を抱えているのはよくあることですが、死を実際に本気で考えて、計画を立てたり、準備をしたり、行動に移したりするのは慢性的な希死念慮の上に何か強大なストレスが乗っているか、病気かということになります。
休んで、場合によっては薬を飲んで、状況が少しマシになれば、また必ず死にたい衝動は弱くなって、死ぬ以外の選択肢にも目を向けることが可能になります。必ずです。
だから死なないで下さい。

私も慢性的な希死念慮持ちで、おそらく中学生くらいからありました。でも死ぬ勇気がないから私は死ねないな、と割り切って生きていました。しかし大学時代はかなりぶり返して、その後研修医時代は本気で死ぬしかないかと思っていた時期もありました。
でも今はかなりマシになりました。ほぼないに等しくなりました。
でもまだたまに希死念慮が頭をもたげる時があります。こんなに恵まれているのに、と思いつつ、ふとした拍子に「生きててもなあ」「死ねたら楽なのにな」と思うのです。そういう時は、何か別の作業に移ったり、明るい音楽を流したり、もう寝てしまったりします。お酒をたっぷり飲むこともあります。旦那や上司に話を聞いてもらうことも多いです。あとは仕事に没頭していたら自然と忘れていることもあるし、休日なら買い物に行って本や服やメイク道具を買ったりします。何かを必死に選んでいる時間は何もかも忘れさせてくれます。特に本屋はいいです。メンタル系の本をパラパラめくるだけで何となく気分が戻ったり、絵や写真の本を眺めたり、面白そうな小説はないか探したり。人それぞれの飼い慣らし方を見つけてみて下さい。

ただ生まれたから生きている。理由は必要ありません。生きるために生きる。そんな日々を積み重ねて、死にたい気持ちを上手に飼い慣らしましょう。精神科医療の力もお貸しできるかもしれません。今はいい薬もたくさんあります。カウンセリングも生きるヒントをたくさんくれます。どうか自ら死を選択しないで。与えられた寿命を全うするまで一緒に生きていきましょう。


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