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何気なく涙をぬぐう

【2013年11月6日】娘は3歳3か月

先日、なか卯で昼メシを食おうとした時のこと。カウンター席で注文した冷やし担々麺を待っていた。すると、二人組の女子高生がふらっと入って来た。
僕は何気なく目で追う。いかにも普通の感じの二人(クラスで特に目立つでもない普通の感じの子だった)は、注文したうどんをテーブル席で待っていた。二人は楽しそうに何かをひそひそと話していた。なんてことはない、そんな状況であり風景だった。しかし、それを見ていたら、ふいに泣きそうになり、女子高生からゆっくりと目をそらした。

❝なんてことはない❞

実は、これがまずかった。
もうしばらく前から、「なんてことはない」が僕の涙腺を人質に取っている。
娘が女子高生になった時、こうしてなか卯に友達とメシを食いに来ていることを親が見ることはない。下校中の娘に張り付いてでもいない限り、見ることはあり得ない。ということは、今、僕の目の前にいるあの二人組の女子高生は、娘の14年後かもしれなかった。今、会ったばかりだけど、どうにも他人じゃなく思えてくる。いや、もはや他人には思えない。ここまでの飛躍が、すごいスピードで成立する。そんなことを考え始めると、未来に向かって進む走馬灯のように、少しずつ成長した娘が「17歳の所」でうどんを待っている気がしてくるのだ。そんな後に冷やし担々麺を食ったもんだから、味はさっぱりわからなかった。

こんなのがしょっちゅうある。油断していると頻繁に出くわしてしまう。
その都度、感情移入していると本当に疲れてしまうので、目をとじて歩きたい気分だ。これ、他の親はどうしてるんだろ? 俺だけなのか? それにしても、今回のこの文章、育児コラムでもなんでもないよね…。すんません。つまる所、最近はあんまり育児ができてないのかもしれない。さらに申し訳ない。
先日、そんな娘に「劇団フルタ丸」という概念を教え込もうと試みた。そろそろいいだろう、と。けど、まずは「劇団とは何か?」から説明しなくちゃいけなくて、それを理解させるまでには、まだ遠い道のりであると知った。

<文・フルタジュン

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