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下手くそな絵に涙する理由

【2012年5月11日】1歳9か月

娘が保育園に通い出して一ヶ月が経過した。案の定、最初は泣いてばかりの日々だった。母親と離れる寂しさが募り、保育園でずっとメソメソしていたらしい。それが、ここ最近、徐々に慣れて来たようで、どうやら保育園でよろしくやっているという情報が入ってきた。Y先生(カワイイ)のことが大好きらしく、抱っこされてはご満悦だという。

で、本題に入る。

先日、娘が保育園で作ったとされる「こいのぼり」を奥さんが持って帰って来た。紙や割り箸で出来ている代物だ。でも、1歳9カ月の娘に、そんなものを作る力はなく、先生がほとんど作ってくれたものに、クレヨンで適当にピーーっと横線を入れただけだった。いや、ぐちゃぐちゃっという感じか。ま、だいたいそんな感じだ。

昔は、子供の下手クソな絵を見て喜ぶ親の気持ちが分からなかった。何が嬉しいのか皆目見当がつかなかった。ポーズだろ、どうせって。僕も相当捻くれていたので、その類のものをもらっても嬉しいとは思わない親になろうと人知れず考えたことがあった。

結論から言えば、「嬉しいとは思わない親」になるのは無理だった。

あれの何が嬉しいのか。そのカラクリと理由が分かってしまったから。
もちろん、もらったモノの完成度じゃない。娘の気持ちでもなかった。

成長だった。

クレヨンを手に持ち線らしきものが描けるようになった、という成長。何もできなかった所からの成長。そこに涙する。まさか「成長」ってのが自分の落涙ポイントになるなんて思ってもみなかった。

今号は良い親アピールをしてしまったので、次号は何かバカバカしいことを書く。

<文・フルタジュン>

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