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すべてはマボロシだったの

【2012年8月29日】いえーい、2歳

保育園のお迎えというものに淡い幻想を抱いていた。保育園から帰って自室で「うまくいかないもんだな…」と独りごち、やるせない気持ちになったのは数日前のことである。

娘が保育園に通い出し4ヶ月、夏のある日。ついに僕は奥さんにお伺いを立てた。

「一人で娘のお迎えに行きたいんだが…」

これまで何度も打診したが、「色々と複雑だから」と言われて叶うことがなかった。どうやら保育園に行くと面倒なルールが多いのは事実のようだった。園の決まりで、布おむつを履かせられている娘は、帰る時に紙おむつに変えなければならない。それと、靴、靴下、ぼうし、カバンが、園内の決まった場所に置いてあり、まるで森を駆け巡るオリエンテーリングのようにそれ等をピックアップする必要があった。確かにやることは多い。しかし、しかしだ。

「…わたしのことを、迎えに来てくれたのか!!」

という歓喜の顔が自分に向けられるならば、容易い責務だった。

ま、お察しの通り、結末から言えば、そこに待っていたのは

「お母ちゃんや、ない…」

という鈍色の曇り顔だったわけだが、ことさら凹ませてくれたのはY先生のつれない態度だった。Y先生と言えば、ご存知、マドンナ保母さんだ。

「お父さんが迎えに来てくれたね!良かったね!お父さん、ご苦労様ですっ!」

実は、こういう言葉を掛けてもらえるのではないかと思っていた節がある。節じゃないな、確実にそう思っていた。しかし、僕の顔をチラっと見ただけで、「オツカレサマデス」からの通過。カタカナな温度感。そうか、全く褒められるものではなかったのだ。どうやらお迎えというファンタジーを、自分の中で仕立て上げ過ぎていた。育児とファンタジー。その境界線を、宮崎駿から教えてもらってない。

<文・フルタジュン>

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