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保育園に行くって言うじゃない

【2012年4月5日】1歳8か月になりまして

ご無沙汰している間に、当コラムの主人公である娘が保育園に行くことになっていた。ヤフーのトップニュースに出てもおかしくない我が家のビックニュースである。話題は、これで持ち切りだ。案の定、僕はソワソワしている。この前、生まれたばかりだと思っていたら、もう保育園かよ!こんなの、ボンヤリしていたらあっという間に成人だな!せつなさを噛みしめる春を過ごしている。

来たる4月7日の入園式までに、僕が何か反社会的な問題行動を起こさなければ、娘の入園は受理されて晴れて保育園ライフが始まる。1歳8カ月の娘は、
いっちょ前に登園用のスヌーピー肩掛けバッグ(1000円くらい)を買ってもらい、その中に積み木を詰め込んで走り回っている。保育園に通うことになるという自分の置かれた状況が全く分かってないのだ。心配になる。

心配の種はたくさんある。白ご飯至上主義な娘は、保育園で出されるオカズが食えるだろうか。保育園時代の僕は、給食に出る脂身の肉がどうしても食えず、それをすべてポケットに隠し持って帰宅していた。あの日々は、思い出しただけで発狂しそうだ。食べたくないものも食べなきゃいけないのが社会という所なのかもしれない。怖いのは、給食だけじゃない。保育園では友達ができる。確かに、それ自体は素敵なことだが、友達はやがてライバルになる。ライバルになれば、当然、拳を交えることになる。気付けば、保育園の至る所で決闘が繰り広げられるはずだ。当時、僕も決闘しまくっていたから分かる。たぶん、生涯で最も無意味な血を流したのが保育園時代。理由なき決闘であり、ポップな感覚で殴り合っていた。あの“クローズ”な世界は今も健在だろうか。娘が、阿呆な男どもの無駄な決闘に巻き込まれやしないか心配だ。

こんなことを書き出せばナンボでも出て来る。でも、当然楽しみにしていることもある。もちろん、お迎えだ。毎日は行けないだろうが、たまには行きたい。夕暮れの保育園に現れた僕を見て、「お、おとーちゃんが迎えに来たし!」と走って僕の懐に飛び込んでくる。そんな鮮烈なイメージが出来上がっている。

頼んだぞ、娘。期待に応えてくれ。

<文・フルタジュン>

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