翌朝、姉に牧師さんを呼んでほしいと頼んだ。
そして、その日の夕方、二人の牧師が訪れた。自分の教会の仕事があるので、翌日からは交代で来られるということだった。私は三つ指をついて、少しばかり笑みを浮かべて出迎えた。
「ボクがサタンに見えますか?」
私は首をふった。誠実そうで嘘がつけないようなタイプに見えた。統一教会で言われているのとは、ちょっと違うなと思った。
「あなたは、統一原理を真理として信じているんですか」
「はい」
「真理とは、ぐらぐらしない、動かないものという意味ですね」
「はい」
「そしたら、統一原理が本当に真理であるのか一緒に検証していきましょう」
「はい」
今日はあまり時間がないので……ということで、初めに聞かされたのは、脱会した信者に対して、教会の指導者クラスの人からの脅迫電話を録音したテープだった。
(こんな人もいるの?)
おそろしいほどに、薄汚い口調だった。
統一教会をやめるのはいいが、反対活動だけはするな。霊の子たちに連絡するんじゃない。もし、そんなことをやったら、ただじゃおかない。――そんな内容のテープだった。
私は悲しくなった。教えは正しいのに、こんな人がいるから、教会が悪く思われたりするんだ。
文先生に申しわけない。そう思った。他にも多くの暴力事件の資料を見た。
信じられない。
しかし、統一原理は正しいし、メシアである文先生は正しい。それなのに私たち一人一人が、きちんと責任を果たさないから、こうなってしまうんだ。いきすぎのあった点は、これから私たちが改善していかなければならない。そうでなければ、神とメシアがかわいそうだ。
私は何を聞いても、そんなふうに思うばかりだった。
翌日。
牧師さんが自分のことを話してくださった。彼は、なんと以前統一教会員だったのだ。
(どうしてこの人は、堕ちちゃったんだろう。<アダム・エバ<男女問題>か。アベル・カイン<上下問題>か。それとも反牧の手によるのか)
ところが、そのどれでもなかった。
彼は教会員である時に、既成教会の神学校へ通わせてもらったのだそうだ。
キリスト教と統一教とをひとつにしなければならないという神の摂理があるので、キリスト教を学ぼうということだったらしい。
そして、そこで統一原理でいうキリスト教の概念がかけ離れていることを感じ、深く学んだあと、自分から統一教会を脱会したのだそうだ。キリスト教を学んで、統一原理の間違いに気づいたのだという。
私は今まで、そんな人に出会ったことがなかった。教会の中で耳にするのは、「天理教や創価学会や、いろんなところから統一教会にいっぱい来てるのよ。それに既成教会からもね、たくさん来てるの。みんな今までのキリスト教では得られなかったものがあるから、どんどん来てるのよねえ」ということだった。
逆に統一教会から既成キリスト教へ自分の学びによって離れていく人がいることなど聞いたことがなかったし、また信じられなかった。
これこそ真理と思えるぐらい、統一原理は素晴らしいものなのに、それを自分から捨てたというのか。