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【小説】現場のタオ(TAO)~プロローグ【ササハラセイスケ】

ある事情で多額の借金を負ってしまったお人好しの荒木純が、知人の紹介で田尾興業という土建屋で日雇い労務者として人生の再出発をする。そこで出会った親方にひょんなことから老子哲学のエッセンスを授けられることになる。机上の空論ではない、人生の現場で役立つタオの智慧。難解な老子を小説風に現代現場訳としてアレンジ。


プロローグ~人生に必要な智慧はすべて工事現場で学んだ

のどかな工事現場の昼休み。田尾興業の親方、田尾玄一は若い衆と昼飯を喰いながらたわいもないバカッ話に興じていた。その中に周りから極端に浮いている一人の若い衆がいた。

数日前から土工として働くことになった荒木純は、今年で三十七になるのだが、歳よりもずっと若く見える。女房子供はいるが、物腰や雰囲気が所帯じみていないのでたいがい独り者と見られる。

田尾のところで働くことになったのは、あるトラブルに巻き込まれ騙され多額の借金を抱え二進も三進も行かなくなったからである。人生のやり直しをかけて荒木は日銭を稼ぐため土工を選んだ。知り合いの紹介ですぐに雇ってもらった。これまでの経歴は田尾は知ろうともしなかったし荒木もあえて語ろうとしなかった。

荒木にとって休憩時間はとても苦痛だった。バカッ話に付き合うくらいなら、休憩なしで仕事をしているほうが楽だった。全然面白くもおかしくもないバカッ話にどう反応してよいのか戸惑う。愛想笑いも出来ない。

仕事の初日、皆に合わせようと思って無理に笑顔を作ったら、自分では笑顔のつもりだったのだが、「純、おまいナニ嫌な顔してんだよ、文句でもあんのか?」と田尾からマジで言われてしまった。

荒木の食事は、一点を見つめながら黙々ときわめてスローペースである。一見じっくりと味わっているのかのようにも見えるが、よく観察すると考え事をしながら食べているのがよくわかる。

そんな荒木を見かねて田尾は言った。

「純。おまい考え事しながらメシ喰ってんのか。今ンところァ未だいいけどよ、仕事が忙しくなったらメシぃゆっくり喰ってるシマなんかねえぞ」
「食・べ・る、シマ?」

「暇だよ、ヒ・マ。江戸っ子は『ひ』が『し』になんだよ、わるかったな」
「あ、あ、はい。すいません。ちょっと心配事があったもんで……」

荒木はあと数日に迫る返済の工面をどうしようかと考えていた。

「借金でもあんのか?」

いきなり見透かされて荒木は驚いた。田尾は会った瞬間どんな人物か見抜いてしまう特殊な洞察眼を持っている。

もっとも、これまで肉体労働をしたことがないような男が土工になるというのはワケアリに決まっているし、カネに困っている者の独特の陰気くさい雰囲気は見る人が見ればわかるものであるが。

「借金取りがきたらどうしようかとか、色々悩みはあるだろうけどよ、悩んでも問題は解決しねえんだぞ」
「まあ、それはそうですけど……」

「江戸っ子てのはなあ、百円ショップなんてなケチくさいとこにゃ行かねえんだ。百円均一の略語を江戸っ子に云わしちゃいけねえよ」
「???」
「…シャッキンになっちまうから」
「ッぷ。あは、あははははは」

荒木は、不覚にも笑ってしまった。そう、不覚というのが一番しっくり来る表現である。
田尾は不思議な男である。いかめしい面構えをしている割には話が面白く、そのミスマッチがことさらおかしみを増す。

田尾の話術にハマると、どういうわけか悩みのある人も、自分が悩んでいることを忘れてしまう。アレ?あたし今まで何を悩んでいたのかしら、あー思い出せない。なんて。そのうち悩みを思い出すのも面倒だとなるらしい。

心理学や精神分析などの知識は一切ない田尾だが、話しているうちに悩みが消えるというのである。話といっても、テキヤの口上よろしく一方的にしゃべりまくるのではなく、お悩みの人が話している間はじっと黙って親身に聴き、適度な間を持たせ、時には畳み掛けるようなトークをかます。対話もしくは談話である。

それで一時は、口コミで評判になり、あのいかつい顔でもって御婦人方のお悩み相談を受けていたらしい。あたしもあたしもと大人気だったが、もともと気まぐれの田尾は面倒になって今は辞めている。

「おいらはよぉ、よく婦女子からキモイ!といわれるんだが、キモイという表現自体がキモイんだっての。そういや、今どうしてっかわかんねえけど、おいらの昔のカノジョてなぁ思ったことハッキシいう女だったねえ」

田尾に突然スイッチが入った。

「いいか、こういうんだよ。『キモチがわりぃっ!』ってな。いいねえ、江戸っ子だねえ。江戸っ子は『る』が『り』になンだよ。日清食品の名コピー『人類は麺類だ』なんてのを江戸っ子風にいうってえと、『じんりいは、めんりいだ』……って、ちょっと間抜けだなこりゃ」

荒木は弁当を食べるのも忘れて田尾のトークにハマっていた。

「そんなことはどうでもいいんだ、カノジョから『ジジイ、いちいちキモチがわりぃんだよッ!』なんていわれた日にゃあんた、気分爽快だろうって、なあ。鼻水が出ないときゃ、『鼻水でね~し」とはっきりし言うんだよ節ちゃんは。えらいねえ」
「ところで、純。おいらのカノジョはな、パンチーじゃなくっていつもテーバッグ穿いてだんだ。おまい、テーバッグって知ってっか?」
「い、いや、そんな……知りません……」

嘘である。悩みを抱えているような人間が、こんな明るい下ネタに話を合わせるのがなんだか似つかわしくないのじゃないかという、そんなワケのワカラナイ理由で嘘をついたのである。

荒木のノリの悪い返事にかまうことなく田尾はトークを続けた。

「粋な男はふんどし、ね。粋な女はテーバッグだね。江戸っ子なら、Tバックなんてスカした発音しねンだ、江戸っ子はテーバッグっていうんだテーバッグ。ええ?」

「シコーキ、オシサマ、オシメサマ。シバチ、シロイン、ヒオシガリ。シヨコ、シヨドリ、マントシシ」

「NTTはエヌテーテー。TDKはテーデーケー。DTTはデーデーテー。あたま真っ白、顔まっつぁおだ、っての。さあ、どうだ!」

これまたワケのワカラナイ田尾の口上が終わったようである。何故だかわからないが、胸の重苦しい感じがすっかりなくなってしまった。

田尾は遠い目をして荒木に言った。

「純なあ。色々大変なのはわかるけどよお、おまいにはまだ頭をこねくりまわして悩むだけのシマがあんだよ。ホントに切羽詰まった奴は悩むことすらしねえ」
「親方。確かにその通りです。俺、なんだか急に元気がでてきたような気がします」

「そうかそうか、そうかせんべい。そりゃよかったな。悩みなんてのはよ、頭ン中のできごとだからよ、考えンのやめりゃあよ、それでオシマイなんだよ」
「そうですね。一生懸命悩んだり心配したりしてカネが手にはいるならこんな楽なことはないですからね。頭を使って悩めば悩むほど問題解決からどんどん遠ざかりますからね」

「お、純。おまいなんだか哲学者みてえなこというじゃねえか。悟ってんじゃねえか。おれらのドカタテツガクを勉強したらおまい、悩みなんかふっとんじまうんだぜ」
「親方。そのドカタテツガクというのは一体どういうものなんですか?」

「おまいはバカか、さっきから何度もゆってんだろ!『悩んでるシマがあったら何も考えねえで体を動かせ!』だ」

荒木は、なぜかはわからないが薔薇色の未来を予感していた。

つづく……


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