「見た目」に縛られる女たち ー第1回「美をめぐる女の闘い」ー

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「選ばれる」のは美人だけか

こどもは鏡で自分の姿を自分だと認識できるようになった瞬間から想像界での「私か、他者か」といった二者択一の闘争状態に置かれる。生まれたばかりのころは親に無条件に愛され、周囲に「可愛いね」と言ってもらえるが、成長し他者と関係するようになるにつれて必ず自分が選ばれるわけではないことを知る。

お笑い芸人尼神インターの狩野誠子は、双子の美人の妹に「シュレック」というあだ名で罵られ、無視されて6年間で一言しか口をきいてもらえず、さらに親からも差別され妹たちは毎年盛大に祝う誕生日を3年に1度しか祝ってもらえなかったことを番組で暴露した。なぜそんな差別を受けなければならなかったのか?美人でないからである。このような経験を通して女たちは、男はもちろん家族やきょうだいからでさえも「選ばれ」「愛や承認を得る」ことは「可愛い」「美人」とセットになっているという悲しい事実に気づかされる。

しかし美人でなくとも結婚し幸せそうな生活を送っている人はいくらでもいる。2017年10月4日に放送された特番『池上彰と“女子会”』では生涯で所得に3000万円の差が出るという統計から「結局、人は見た目が大事」という池上氏の発言があった。結局これは美人かどうかでなく笑顔やしぐさが大事、という陳腐な主張であったが、その後お笑い芸人ニッチェ江上敬子の裕福な夫との何一つ不自由のない結婚生活が紹介された。単に男性と結婚するだけなら、顔が美しくなくても太っていても愛嬌や笑顔でなんとでもなる。周りの夫婦にを見渡してみれば、ほとんどが美男美女ではないではないか。

「私たち明るいブスなんです」江上と誠子は明るく笑った。それでも美を求める意味は何なのだろう。

美をめぐる女同士のいざこざ

「美容アカウント」では新作の化粧品や美容グッズの感想が主に発信される。美容アカウントの彼女たちがアピールするのはあくまで「美人と言われたこと」である。選ばれること自体が目的だとすれば褒められた時点でその欲望は満たされるはずであるのに、それをSNSで不特定多数に自慢しなければ満足できないのは、二者択一の想像界では解決できない象徴界の問題だからだ。象徴界では、第三者的な審判の存在が「私か、お前か」の闘争の和解を可能にする。親の絶対的な愛は成長ともに薄れてしまっているので、言葉を使った人間的な世界で自らのイメージの承認を求める。

しかし親以外となった<他者>は実物が存在するとは限らず、「世間」「社会」「周囲の声」といった実体のないものから評価が下される。「ブス」「デブ」といった言葉で一方的に敗北とされる残酷な世界であり、いかに敗北を避けるかが重要になる。そのための選択肢は、

①美人になる
②美人ではないが美人だと思い込む
③美人になるのをあきらめほかの道で承認を得る

この3つだ。多くの女性が①を目指して整形やダイエットに取り組む。しかし後に述べるが美はお金と努力で確実に手に入るものではない。上で述べた尼神インター誠子はお笑い芸人として成功し妹たちを見返した③のいい例だが、美をあきらめることを苦とせず、さらにほかの才能を持っていることが必要となり難易度は高い。

そんな中で自分という存在を守るために選択を余儀なくされるのは「②思い込む」である。

「勘違い女」を叩く女

身バレ(本人が特定される)の恐れがあるにもかかわらず、メイクを施した目元部分だけを写した画像や、顔を手で隠した口元だけの写真を載せるアカウントは多い。見る人に美人と認められれば、人気のアカウントとなり、第三者から認められているという安心が得られるが、逆に「勘違い」が露呈することもあり、そう判断された女への女からの攻撃は、大変棘を持ったものである。

「勘違い」だと炎上した出来事が最近起きた。ある中学生の女子が自らの美容アカウントに「先輩の友達に『可愛すぎて何話せば言いのかわかんねぇ、、、』って言われた」という自慢をしつつ、安価な美容サプリや化粧品を紹介していた。それを見たある人が、彼女が過去に載せていた彼女自身の顔が写った写真と自慢ツイートのスクリーンショットを並べ「可愛くないですよ(汗)」とのコメントをつけて投稿したのだ。その投稿は多数のリツイートがなされ、批判や罵倒のコメントが殺到した。彼女は数日の間それを知りつつ投稿を続けていたが、2017年10月現在では過去の顔写真は消去し、それ以降の投稿は止まっている。

実際、炎上した写真に写った女の子の顔は決して醜いことはなく、ごく普通の中学生といったところであった。なぜそこまでして「勘違い」だと晒し、大勢で攻撃しなければいけないのか。

注目すべきは攻撃の方法である。先ほど批判のコメントが殺到したと書いたが、本人に直接送られたものは少数だ。引用したことは引用先の本人に通知されるが送り先は不特定多数である引用リツイート、または名指しだが本人が検索しなければわからない通常の呟き、そして最も盛んに行われるのが2ちゃんねる(匿名で投稿できる掲示板サイト)の「ヲチスレ」においての攻撃である。「ヲチ」はwatchまたはwatchingを意味するネットスラングであり、対象をこっそりと観察し叩くためだけに存在する。写真や過去の呟きを並べ、「どれだけイタいか」の談義を延々と続ける場である。このタイトルには「本人にこのスレをばらすな」という意味の【突禁止】の表記がしばしばある。このように勘違い叩きはすべて本人には向かわない形で行われている。

この件では広まりすぎて本人に気づかれる結果となったが、進んでそうならないよう配慮するのは、叩く主体が叩かれる対象を想像的関係(a-a’)に置きたいからではないだろうか。叩く人は対象は誰でも良いはずだが、実生活に関わる場(象徴界)から選んでしまうと「対象より自分を美人だと思っている」という関係性ができその後の行動が規定されかねない。想像的他者に向けて自らの存在とは無関係な空のパロールを送るのが最も都合が良いのだ。

精神科医の水島広子は「女」の特徴を「癒されていない心」、つまり「傷」だと形容する。長年「女」を演じさせられてきた彼女たちは「女らしさ」という理想を押し付けられ、「自分」が分からなくなってしまっているうえに「男性から選ばれる性」としての相対評価の中で生きている。「誰かが選ばれた」ということは「自分は選ばれなかった」に直結するため、自分以外の女の評価を下げなければ平常心でいられないのである。このとき本当の美人には勝てないことが分かっているため、「男に褒められた(=選ばれた)」という内容の呟きを見て相対的自己評価が下がってしまいそうなところを、本人の写真を探し出し「実際は美人ではなかった、勘違いだった(=実際は男性に選ばれていないはずだ)」と安心したいのである。

「イタい女」について、中村うさぎは「客観性がない」「自分自身の値踏みを間違えている女」iと定義している。要するに発言に客観的な見た目が伴っていないから叩かれる。

しかし赤の他人が勘違いしていたところで自分自身には何の危害もないではないか。それでもわざわざネット上から叩く対象を引っ張り出してくるのは、自分自身がイタい女よりはましなことを確認するためだ。「私は美人ではないかもしれないが、自分の価値を理解しているから勘違い女よりは上である」と自覚したい。自分は美しくない、しかし勘違いはしたくない、美をあきらめたいがあきらめることができないと選択肢①②③どれにも当てはまりたくないジレンマを大人数で共有することで自らが社会の総意に加わったかのように錯覚し安心するのである。

では勘違いに気づかなければ幸せか。中村うさぎは胡蝶の夢という故事を例にこれを論じている。

では、結局、あなたは何者なのだ?蝶なのか?人間なのか?人間だよ。違うか?あなたが何者であるかは、あなたの「主観」ではなく、「客観」が決定するのではないか?

現実はこの通り非常にシンプルで、自らのイメージを決めるのは他人である。だが問題は自己認識と違う客観を受け入れるか否かである。

「主観的自己像」を修正できない人間というのは、「羨ましがられたい、尊敬されたい、褒められたい」という願望に逆らえないせいだ。(中略)誰よりも「他者の承認」を欲しているのである。おそらく、これまでに何度か、他人から手厳しい評価を受けた経験はあるに違いない。だが、そのたびに(中略)他人の「誤解」や「無理解」を責めたり嘆いたりすることで、批評によって傷ついたナルシシズムを癒してきたのだ。

無意識Aから送られる客観的な意見を取り入れたメッセージは、自我と創造的関係によって妨害され主体Sに届かない。他者の目に映る現実を受け入れず主観にこだわっているのに反して過剰に他者からの承認を求める、という矛盾した行動は、無意識が起こす錯誤行為のひとつであろう。


第2回へつづく

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ひらぴす

横国・人文┊︎キラキラ女子になりたくてしょうがない。ファッションメディア編集長┊︎メイクで見返すブログ中の人 ┊︎権力が欲しい!

女と若さ、美とわたし。

「女は存在しない。」 精神分析学者ラカンは言いました。 じゃあ、わたしってなんなの? ……いないのかもね。はじめから。
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