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文化祭、普通の感覚で

わたしは文化祭が嫌いです。
ただ、「文化祭なんてなくなれ」なんて自分勝手なことは言いません。
思いません。
楽しめる人たちがいる限りは続けてほしいと思っています。

“文化とは、複数名により構成される社会の中で共有される考え方や価値基準の体系のことである。”
インターネットの辞典より

あー。
文化のお祭りなんてわたしが楽しめるものでも楽しんでいいものでもなかったのだ。

学校が社会の縮図っていうの、本当にそうだ。
自分の正しさを他人に押し付けてるわたしは、何も考えないで楽しそうな人を「馬鹿」と呼んでしまうけど、彼らは何も間違っていない。確実に正しい。
タダシイ。
楽しんでもいい場で楽しむことができないのを魅力的な個性として認めてもらえるのは「インターネット浮つき乙女」(わたし)で、そんなわたしたちを認める側になるのは「視野狭いエセ病み乙女」。
後者になりたくない。
できれば前者にもなりたくなかった。
しかし、なりかけているからインターネットに存在して、「文化祭が嫌いだ」と「ツイート」している。

文化祭の模擬店準備や仕事、手伝いたいけど手伝えない。
何をどうすればいいのか細かく指示が出されないとわからない阿呆だからだ。
そして今年のクラスのテーマは韓国。全くわからない。
装飾一つにしたってこだわりや方法があるのだろう。
そうするとこうなる。


「手伝って〜手空いてる人〜ー」
わたし手空いてる!行こう!
来てみた。
何すればいいんだろう、あの子に聞けばいいんだろうな。なんて呼べばいいんだろう、わたしに話しかけられたくなさそう。
ここにいたら絶対邪魔だし変だ。目線がコワイ‼︎
元の場所に戻ろう。
「こんなに何回も言いたくないよ!手伝える人やってってば」

わたしは暇なのに全く手伝ってくれない人と認識される。
こうやって高校生活で嫌われてきたのだと思う。

片付けは手伝える。
テープを剥がし、装飾を外し、ゴミ箱に捨てる。
学校全体に指示が出て、机や椅子を片付ける。
やることがわかる。わかれば誰よりも動こうと思える。
動けた。

やりたくなくてやっていないわけではないし、クラスメイトが嫌いなわけでもない。
もちろん文化祭は休みたいしやりたくない。
でもこの場にいる限りは貢献できるならしたいし、学校を休むという選択肢を取る勇気がない限りは、楽しめる場で楽しめる人たちをにこやかに眺めていたい。
嫌われたくないという欲求があるうちは、学校という場所において彼らより上に立ってはいけない。
見下せないはずだ。
絶対に!

事実だけを
取れば、
見れば、
10割わたしが悪いことを繰り返してきている。
それを体感する機会が文化祭だった。

盛り上がる曲を盛り上げるために使ってる楽しそうな軽音楽部と観客。
そして、音楽に通な軽音顧問が選んだ会場BGMだけに頭を振るわたし。
やる気がないと思っていたら一曲だけ上手いと感じさせてくれたかわいくてスタイルがいいチア部
そして、デブでブスで高校のカラオケ大会に出て盛り下げるわたし。

誰よりも文化がないのはわたしで、内輪ノリを笑うなんてもってのほかだった。

あのねー、、

泣きながら踊る、最後のステージのダンス部がキラキラして美しかった。

(TT)

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