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君たちは

君たちはどう生きるかの予想をしたい。ヘッダ画像をお借りしています。

そもそもこのテーマで書こうと思った日にWBSを見ていたら、HollywoodではAIに職の業を奪われる人々が抗議していた。さらにはジェンダーレスフォーマル着を造っている企業の社長がインタビューに出ていた。

この2者には共通点がある。それは本来そうあるべきである生き方を阻害されているということです。でぼくはその阻害に対する抗議の主張がもっとももなものだと思うから書いている。

あるいは周りが勝手にそうじゃない生き方を強要してくるというべきか。それぞれ分解して見ていくと、まずHollywoodでは演技する人や台本を書く人々がAIに職の業を奪われる。

どのように奪われるのか?演技はCGが監督の意図に最適な動きをAIパワーで実現してしまうようになり、人間を使う意味がなくなる。つまり人件費を払わなくていい。PC環境があればいい。レンダリングソフトだか加工ソフトだかは知らないけど、あとはインターネッツ料金があればいける。でもそんなものはインフラ費としてもともと存在するようなものだ。

台本も同じである。諸条件に適合する続きを書け、観客の予想を裏切る内容で続きを書けとAIに命令すれば果たして脚本を生業とする人に金銭を供与する必要がなくなる。もはや無駄遣いと思われてしまう。

舞台上で演劇する人々も、台本を造る人もそれを書いて金をもらうというコンセンサスを世の中としていた。つまり君たちはどう生きるんだい?と言われたからそれをやっていた、ともいえる。自発的にやってるのがほとんどだろうけど

ジェンダーフリーな服を着たい人は別に着ちゃいけないことはなかったはずです。戸籍などというものを作らないといけないらしい自治体か国か何かの連中が、生まれたての人間の股間を見に来て男か女かに◯をつける。しかしながらその◯が何の効果も奏しないことになってしまう人々もいる。それが先天的か後天的かもわからなく、当人だろうが周囲だろうがでもどうすることもできないのにだ。

そのような人日tに対しては社会というよくわからない母集団が、戸籍についた◯以外の人が着る服を着るなと言ってくる。すなわち採用面接に、履歴書の漢の欄に◯をつけた人がスカートを履いてきたらおそらく一撃で落としてくるのだろう。

そんな世界はどこかがおかしいから、ジェンダーフリーなフォーマルが必要になる。いわば「世の中が勝手に、一方的に『そういうことをお前は望んでるんだろうけど絶対にすんな』と言ってくる」状態を享受するほかないわけです。

つまり本来想像しうる「普通の状態」が奪われるわけです。「どう生きるか」を自分で考えて「こう生きるよ」と決めたのに、それをするなという意味不明なバカどもがいる。じゃあどうすればいいのか?君たちはどう生きるか?あまりに勝手な話だ。最初にそれを決めて生きてきたのに、改めて決めろと?

つまりこれは世の中が理不尽を強要してきた時にぼくらはどうするか、お前はどうするか?と問われているようにぼくには見えた。映画は題名だけでそういうことを聞いてきているのかなと。プロモーションも何もしない理由は、この言葉からそれぐらい想像できるだろ、と。

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