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何となくやりたくないことはやらない方がいい。

感染者数、という言葉が
挨拶がわりになっている様な毎日。

3月からの自分と周りの変化を思いだします。

マスクが当たり前になった
テレワーク化した
幼稚園や学校が休みになった
家事が増えた
ひとりの時間が減った

私に当てはまるのは始めの2つですが、
友人、知人とは連絡が密になり、
周りがそろそろまいっているのを感じます。

新しいタスクが増えるけれど、
すべて初めてのことだらけで
一つ一つがさらっとできなくて、
どうしても腰が重くなりますね。

でもやらないと進まないしと、
気がのらないまま手をつけるのですが、
いやいややることは、
おおうにしてうまくいきません。

それで初心にかえりました。
東洋医学で学んだ
整体観念のことを思い出しました。

整体観念はこれまでも頼ってきましたが、
ピンチのときだけで
日頃から何でもないのにやっていたかというと
そうでもありませんでした。

整体観念は陰陽論や五行論などの
東洋医学の診断などに使われる
概念、思想、学説のひとつです。

中でも整体観念は自然界と人の関係が
うまく言語化されていると思います。

東洋医学の本などでは
コラムの扱いになっていることもあって、
あまりフューチャーされていないようですが、

寒いと風邪をひくとか、
暑いと熱中症になるとか
旬のものが体にもいいとか、

体感として感じない人はいない
自然と人が切っても切り離せない関係だというところが
すごく明文化されていると思います。

じゃあその整体観念を、
無視してしまった場合にどうなるかということですが、
逆風の中を歩き続けるようで
とてもつらくなります。

寒い日に薄着で出かけてしまったのと似ていて、
暑い日の暑い時間帯に出掛けてしまうのと似ていて、
わざわざそんな時にそんなことをやることはないという
結論に至るんですね。

でも、暑い時に出かけたからこそ、
暑いとフラフラすることに気づけるとか、
貧血の人の気持ちがわかったりするとも思います。

必ずしも無駄なことではないのだと思います。

でも、スムーズにことを運びたいときに
スムーズにいったときのこと振り返ってみると、
流れにさからってはいなかったということが、
共通していると思いました。

流れにさからうときというのは、
周りの人の気持ちを考えられていなかったり
気が乗らないのに誰かのために無理してやっていたりして
ざわざわした体感があるときでした。

反対に、人の応援がもらえたり、結果が良かったり、
経済的な安泰につながったときというのは、
風向きを無視しなかったときだけだったんですよね。

この変化の今。
何がベストかなどわからなくて、
入念にリサーチしても答などつかめない今。

何となくやりたくないときはやらない方がいいということを
改めて感じています。

これで確かに前に進めているというか、
大きく後退せずに、回り続けている実感があります。

それで整体観念に立ち返ることに
改めて落ち着いた自分がいます。

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