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不安との付き合い方を考える

 二月某日、町のドラッグストアの前を通りかかると、入荷のトラックの横に客が並びはじめた。行列は瞬く間に隣の二店舗まで侵食していく。見慣れない光景に動揺しながら駅に向かえば、改札手前で力尽きたのか、大量の荷物をおろしてへたりこむ女子高生の集団に遭遇。突然の休校に、まだ呆然としているようだ。箱ティッシュを手に提げて電車に乗る学生たちの姿も目撃した。

 新型コロナウィルス流行の影響で、紙製品や一部食料品の買い占めが相次ぐ頃だった。「トイレの紙、今のうちに買った方がいいよ!」と連絡してくる親の良心。とうに空っぽのスーパーの棚。「それデマだよ」と言い放つのは簡単だが、「買いに走る」という形で不安を発散しているのだと思い、「ありがとう、でも大丈夫だよ」と返信を打つ。みんな不安で「発作」を起こしている。

 同時期に、初対面の編集者からメールが届いた。日本の現状を反映した詩を某誌に書いて欲しいという。コロナ流行による休校措置や外出自粛を受けた緊急企画だった。締め切りは四日後という急な依頼だが、受けることにした。「見えない不安」に対し、メディアの人も打つ手を探っている。その熱意に報いたかった。

 医師から「昔でいう不安神経症ですね」と診断されてから半年が過ぎた。何か教えてもらえるのかと期待していたところ、年配の医師は「あなたね、そういうこと小説に書かないの?」と真顔で告げた(書けない。詩人だから)。「自分の専門は精神疾患で、正常な人の心の動きはわからない。それを深く知るのは文学者だよね」。はあ。医者を頼ったら逆に課題を与えられるとは、難儀な職業だ。この際、エッセイで課題に応えようではないか。

 自分でも「不安」の正体がわからないまま、緊張を和らげるという抗不安薬を飲む。「不安に抗う」。それは真っ向から立ち向かうのではなく、不安を受容することにほかならない。冒頭のような光景を目にしたとき、平常心でいるのは難しい。焦ってドキドキする、ぎゅっと手を握る。そんな身体の状態を俯瞰すると、少し楽になれる。

 不安や焦りで過呼吸の発作を起こすようになったのは、去年夏からのこと。以来、着信やメールの通知音、目覚ましのアラームで過呼吸になり、調子を崩す。当然仕事の効率は下がり、周囲に迷惑をかけまくった。もっとうまくできたんじゃないか、前の自分ならちゃんと対応できた、と落ち込んでは、発作で起き上がれなくなる。反省すらもまともにできない始末だ。

「でも結果、原稿は間に合ってますよね」。ええっ……。あっけらかんとカウンセラーは言う。確かにそうだ。夜ごと「怖い、怖い」とパニックになりながら、生き延びて仕事もしている。それが事実だ。勿論、なんとか間に合わせてくれる人がいるお陰なのだが。拍子抜けした。「いったい何が怖いんでしょう?」という質問に、うーんと考え込む。私が怖いのは、今までの信用を失い、キャリアが崩壊すること。しかし、こんな状況下でよくやっているとも言えるのではないか(各媒体の編集者さんには平謝りです……)。

 あるとき、友人から何気なく「仕事はどう?」と尋ねられ、泣き出してしまった。見ないようにしていた現実。こんな自分はゆるせない、もう価値がない、と否定的な心の声が刺さる。蓋が開いたように何日も泣き続けた。だが二週間もすると、自然に「こうなったものは、しゃーない」と泣き止んだ。顔を上げてみれば、現状をありのままに落ち着いて話せるようになっていた。自分をゆるせたようだ。

 三月頭、友人の結婚式のため沖縄へ向かった。コロナの影響でシャトルバスは貸し切り状態、海辺のホテルの客は少なかった。ロビーで珈琲を飲みながら、例の依頼された詩を仕上げる。晴れやかな気持ちで観光を楽しんだが、那覇空港行きの電車でマスクをすると、一気に現実に引き戻された。乗客のマスクの下の素顔はわからない。でも漠然と不安なのは皆同じだろう。

 私たちは今「日常を守れるだろうか」と不安に駆られている。最悪の展開を避けるためだ。ならば「不安」そのものに押し潰されるのは本末転倒だろう。自分の中の不安を見つめ、誰かと話をしてみよう。いつか不安が杞憂に終わったとき、ちゃんと笑い合えるように。


*初出:「ケトル」Vol.53 2020年4月発売号
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