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「わたしの現代詩ノート」は、独りよがりな実験である。

詩から孤立しないように、詩について何か書いておきたいと思ったのでした。

孤立の中に詩があるというのに脆弱な、という意見もあるだろうけどね。
おまえが孤立してるのは○○(世間、とか業界的な何か)からだろ! という突っ込みも脇に置いておくよね。

○「わたしの現代詩ノート」について
「わたしの現代詩ノート」と名づけて、詩について書くマガジンをはじめてみることにした。
穂村弘さんの『ぼくの短歌ノート』、たかとう匡子さんの『私の女性詩人ノート』シリーズを拝読して、とってもいいなと思ったので、思いつきでこう呼んでいる。「みんな」ではない。「わたし」レベル。

色んな人が過去/現在「詩」について書いていること、イベント等から見聞きしたこと、それに対する私の感想もあればたまに添える。
主に引用、ときどきは日記以上エッセイ未満みたいなものを想定している。具体的な詩集について取り上げたり、批評したりすることは少ないかも。余力があれば。
この一年、外の仕事と兼業していて基本的に時間がないことと、ひどく遅筆な自分の気質を考えたら、こういう形がベストだろうと思った。

書くことでお金がもらえるようになった今、このノートへの気合いをどのレベルで設定したらよいのかわからないけど、昔のブログに近いノリで更新できたらいいなと思う。

Twitterなどでたまに「高校生の頃のブログが好きだった」「昔のブログの方が面白い」という声を目にする。
私はこの5年くらい「完成品を出さないといけない」ビョーキ(だと自分では思う)なので、仕事で実験できる場所がほとんど無い。実験の場に飢えて、詩の講座や、noteを始めたのだと思う。
三ツ星レストランのシェフだって、家では素朴な家庭料理をつくってると思うよ~。自分の作ったものに対して「これはお客に出せる/出せない」ばっかり考えてたら、ノイローゼになるよ~。そんな気持ち。

はじめは、昔のブログとnote両方で載せようと思ったけれど、推敲魔の自分のことだから更新後も編集したくなるだろうし、そのたびに編集画面を行き来するのは地獄だ。というわけで、下記のように住み分ける。

●詩に関する引用・メモ⇒note内マガジン「わたしの現代詩ノート」
●表立った話、直近の告知など⇒Twitter
●掲載や出演のお知らせ⇒ウェブサイト(お仕事の連絡先などもここ)
●それ以外のこと?⇒「お月さまになりたい。」(昔のブログ)

(noteを更新する余裕がないとき、 #わたしの現代詩ノート をつけてツイートし、後でまとめる、というのも有効かもしれない)

私のビョーキはもう一つ。やり始めたからには「たくさんの人に見てもらわないと」と思ってしまう。これは自己顕示欲というより、単なる貧乏性だと思っている。せっかく手を動かして書いた分、次につなげたいと無駄にがんばってしまう。

でもこのノートに関しては、興味のない人に来てもらう必要はないと思っている。「文月悠光の入門編」としてもふさわしくない。なぜなら「実験」だから。わたしのモチベーション、わたしがわたしの内なる詩への欲求を見失わないためのもの。
これから詩を書く人にとって役立つものになるかわからないし、そういう役割を期待されると気が重い。結論もないし、読みやすくしよう、という気遣いもしない。

そういう気遣いは仕事で出し切るので、お金と良心のある人には、拙著を買って読んでもらいたい(来年は1年ぶりに新刊が出るのだ)。
もしくは「詩人にちゃんと詩を/詩について書かせるような連載・書籍」が増えていくよう、祈っていてほしい。
意味なんて後からでいい。まず「詩が盛り上がってるよ!」という雰囲気をつくること。それが「詩」にできる恩返しの一つでもあるよ。

そういう所存なので、いずれ「わたしの現代詩ノート」で書いた内容をブラッシュアップして、仕事の原稿で発表したり、詩の講座やイベントで喋ったりするかもしれない。そんな場面に出くわしたら「実験が実ったんだな」と見守ってもらえたら幸いです。

○詩とは何か/現代詩とは何か。
「これは100%聞かれるだろう」という質問なのに、明確な回答が未だ私の中にない。正直、そのときの気分で答えている(!)。

詩とは何か。大体、詩人に聞いたところで、一つとして同じ回答はないと思う。
よく自分の講座で言うのだけれど、「詩人それぞれが、『詩』という神様を信じている。詩人にとって『詩』は宗教みたいなもの」だって話。
これは結構マジな話、「あいつの詩は、(自分の詩の基準から言うと)詩じゃない」とか平気で言いますからね、詩人。こわっ。宗教観の違い、こわ。

私はそんな恐ろしいことを言いませんが、受講生の方の詩を読んで「作文的」とか「エッセイ的」と評することはよくありまして。
すると、「そこから『詩にする』にはどうしたらいいんですか?」と聞き返されたり。そう聞かれることを見越して「『詩にする』にはどうしたらいいかな?」と私自身考えてしまったり。

「詩にする」って変な話だなあと思う。
「詩っぽく見せる」のは簡単だけど。

詩じゃないものから、「詩」が生まれるのか?
そんな錬金術的な発想で、書き続けられるのか?

手っ取り早く書けるようになりたい人には向かない話なので、大体現場では「こうすると詩になりますよ~」という話をヒョイッとしちゃうんですけど。
本当はそう単純化しちゃダメなんだよな、と、人前で話す度に揺り戻されてしまいます。

まあ、こんな風に役立たない話も織り交ぜて書こうと思います。
お付き合いいただけたら嬉しいです。

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