見出し画像

人生を「逆算」しないーー29歳と30歳のはざまで

雑誌「ハーパーズ バザー」2021年4月号(2月20日発売)寄稿のエッセイを編集部の許可をいただき、全文公開いたします。
記事の終わりに、執筆の背景について追記を書き下ろしました。併せてお読みいただけたら嬉しいです。

 クラウドメモに日記をつけはじめたのは一年前のこと。日々の出来事を記録するためだったが、次第にコロナ禍の「見えない不安」が日常を侵食しはじめた。昨年四月の緊急事態宣言以降も、私は日記を書くことを止めなかった。頭に浮かんだのは、二〇一一年春の震災直後の東京。当時の私は大学進学で上京したばかり。余震と放射能漏れに怯えた日々を克明に記録できたなら、貴重な読みものになったに違いない。災禍に呆然として過ごした日常や、営業短縮で寂しいシャッター街と化した街並みが、節電で暗くなったあの年の街に重なって見えた。

 何かと間の悪い私は、よりによってコロナ禍のど真ん中で、恋人と別れてしまった。一人暮らしのワンルーム、度重なるリモート会議、仕事場から出ることもなく終わる一日。医療関係の知人のTwitterを固唾をのんで見守り、寝返りを打ち続ける長い夜、iPhoneで日記を書く。二〇代最後の貴重な一年がこんな調子で過ぎ去ってよいのか、と天井を仰ぐ。

 ひとまず、人生の「逆算」をやめてみた。五年前、二〇代半ば頃だった私は、「逆算」で人生を設計していた。キャリア、結婚、出産、子育て、介護。それらのベストなタイミングは? 七〇代を迎えた両親のこと、自分自身の女性としてのリミット。でも内実は、目の前の仕事だけで精一杯。こんな状況で、人生の舵も切らないといけないなんて、まるで綱渡りの曲芸だ。「本当にみんなこんなことを?」と途方に暮れた。

 一〇代から大人と仕事をしてきた。「若いっていいね」と年輩者に告げられる度、不安にかられた。「年を重ねるのは楽しいよ」と誇らしげに微笑んでほしかった。でなければ、この先に希望が見えないじゃないか。自分はぼーっと「若さ」を使い果たすのではないか、と内心焦っていた。

 二十九歳の現在、私は全力でぼーっと生きている。逆算なんてやめた。一月末、二回目の緊急事態宣言により、行きつけのお店からも遠ざかった。地元札幌に暮らす両親とは一年以上会えていない。望んでも叶わないのなら、欲望の側を縮小するのは当然の結果だろう。

  新しい出逢いが減った分、改めて古い縁を見つめ直す一年となった。同時に、過去の自分を救ったもの、今の自分に不必要なものも可視化されたように思う。逆算もままならず、「もはや自分の意志ではどうにもならない」と人生の「舵」から手を離したとき、新たな風が吹いた。今までの「思い込み」から解き放たれる自由を感じたのだ。

 この半年間、体調不良により長時間の読書が難しくなった。幼少期から本を肌身離さず、「本の虫」として生きてきた自分にとっては非常事態。しかし一度も本を開かなかった週末を機に、「本が無くても生きられる」自分に気づいてしまった。

 本棚に覆われ、本や雑誌で足の踏み場もなくなった自室を見渡す。本が読めなくなった私は、絶望と共に希望を手にした。「本を手放して、すっきりした空間で暮らせるかもしれない」。本好きの友人に猛烈な非難を浴びそうな禁忌だ。今読まない本も「いつか読む」から価値がある。でもその価値観と、本を手放す行為は矛盾しない。物語に守られながら生きてきた記憶は、変わらず愛おしい。空っぽの本棚、そこに今の自分が求める本だけを詰め直していくのだ。想像するだけで胸が高鳴る。

 人生とは、何かが空になれば、新たに満たすものが現れる。二十四歳の私が日記帳に思い描いた、二〇代の終わり。パートナーと暮らすはずだった。航空会社の機内誌に連載を持つはずだった。書籍の売上ランキングに名を連ね、読書番組に映る未来の自分――。そんな痛々しい「逆算」はもう要らない。人生は思わぬ形で「私」をはみ出していく。今は空っぽの私のまま、軽やかに走りだしたい。

*初出:「ハーパーズ バザー」2021年4月号(2月20日発売)


【追記ーー執筆背景について】

2021年1月末に執筆したエッセイ。とにかく内容が暗い!!! 実は「HAPPINESS2021 20代の幸せ論」というテーマの依頼を受けて寄稿したもの。事実、誌面には「HAPPINESS2021 29歳のいま、これがわたしの幸せ論」という見出しで掲載された。まじか。タイトルと中身の不一致が甚だしい。原稿詐欺と言われても仕方ない。

2021年始めは、東京の一日の感染者数は連日1000人を超え、緊迫感に包まれていた。正直言って「幸せ」を追求する余裕などまったくなかった。2019年に崩した体調は一向に良くなる気配がなく、己の身体に翻弄される日々。そんな日常では、ちまちました逆算は何の役にも立たず、計画はすべて白紙になってしまった。

それゆえ「幸せ論」の依頼を頂いた当初から、私は「2021年をなんとか無事に乗り切って人生の幸せを見出すのはその数年後、というのが周囲の同世代のリアルな実感」「そういった切り口の原稿でも大丈夫であれば……」と及び腰で伺いを立てた。こんな時代だからこそ若者らしく前向きに未来を考えようーーそんな企画の主旨は理解しながらも、不安を覆い隠してキラキラとした文言で原稿を埋めることは難しかった。暗澹とした内容を綴ろうとした訳ではなく、冷静に現実を見つめた結果がこの原稿だ。

「人生とは、何かが空になれば、新たに満たすものが現れる」と綴った通りだった。逆算を捨てた私は現在、一年前の自分が予想もしなかった生活を送っている。具体的にどうなったのか……は、今年文庫化された『臆病な詩人、街へ出る。』(新潮文庫)の「文庫版あとがき」に書いております(ちゃっかり宣伝)。住む場所も、関わる人たちも一変した。体調は少しずつ落ち着きつつあり、読書に支障を感じることは稀だ。本は引っ越しの際にかなり手放したが、資料として手元に残しておきたいものも多く、ついにオーダーメイドのスライド書棚を注文した。

自分は「幸せ」を「逆算」することを諦めた。そのことで、かえって「元々の自分とはこうだったのではないか?」という姿を取り戻しつつある。
友人から「よく決断できたね」と言われるけれど、自分は「今までの生活を捨てること」に迷いがなかった。それは「逆算は要らない」とエッセイで言い切ったことと無関係ではない気がして、2021年の終わりにこの原稿を公開しようと考えました(誤解されそうですが、結婚ではありません!苦笑)。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!
2022年が皆さまにとって、よい一年となりますように。

投げ銭・サポートは、健やかな執筆環境を整えるために使わせて頂きます。最新の執筆・掲載情報、イベントなどのお知らせは、文月悠光のTwitterをご覧ください。https://twitter.com/luna_yumi