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だからわたしは笑いたい–映画「人魚の眠る家」–

死ってなんだろう。
その前に生ってなんだろう。
この作品を見ているとき何度も頭をよぎった疑問だった。

答えは今もわからない。
20歳のとき母を亡くしてから一年経った今も、母の死ってなんだったんだろうと思うし母の一生ってなんだったんだろうとも思う。

一番近くにいたはずなのに、まだわからないことだらけだ。

でもこの作品を見てあることに気づいた。
人はひとの“笑顔”に最もつよく、生を感じるのでは?と。

作中にもそういうシーンがあった。
事故に遭い眠り続ける娘。その体に電気を送ることで娘はぎこちなく口角を上げ笑顔を見せる。
そんなすがたに父は衝撃を受ける。
観客も父と同じ恐ろしさと大きな違和感に襲われるシーンだ。

娘は笑っているのに全く笑っているように“見えない”ことへの気持ちわるさ。

笑顔を、本人の意思を無視して
他者の意思で作り上げることへの
明確な違和感だ。

2母とわたしの最後

わたしが母の笑顔を最後に見たのは
成人式の日だった。

近所の美容院で着付けとヘアメイクをしてもらい、家で療養する母に見せるために一旦帰宅した。

わぁ〜!かわいい!
晴れ姿のわたしを見て母は久しぶりに満面の笑みをこぼした。

小さいころから見てきたその笑顔に、わたしはほっとして泣きそうになって、それを隠すために「じゃ、もう行くわ」とすぐ家を出た。

それが20年間一番近くにいた母の笑顔を見た最後であり、母と話した最後でもあった。

その1週間後、母は他界した。

3思い出すのは…

コミュニケーションにおいて
笑顔は最もつよいメッセージをもっている。

どんなに言葉を尽くされても
笑顔がない人には恐怖を感じる。
意思を読み取れず、
人間としての温かみを感じられないからだ。

反対に言葉はなくても
意思を持った笑顔を見せる人とは
友だちになれそうな気がする。

笑顔が伝えるのは喜びや親しみ、共感、優しさ、そして愛情だ。ほかのコミュニケーションでは伝えきれない、つよくて大きな意味をもつ。

わたしの母はよく怒る人だったけれど
思い出すのはいつも笑顔だ。
それはきっと、最後に見た笑顔が
わたしへの愛情であふれていたから。


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