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「TexTL」<テフタイル>; 物理学徒たちの戦場(序章)

1900年 、義和団事件。

日清戦争にも負け、近代化に乗り遅れた清国は列強諸国らに喰い物にされる。

中国の鉄道や土地は外国に割譲され放題になり、その現状に不満のたまった民衆は義和団を結成して北京で反旗をひるがえした。

だが、これ幸いとばかりにロシア・イギリス・フランス・ドイツ・日本などの近代国家は鎮圧名義で連合軍を組んで義和団アジトの制圧に乗り出す。

「アチョーっ!!!」

「ホエーっ!!!!!」

これは悪夢だろうか?

自称「拳法家」と名乗る中国兵が自らの命も顧みずにロクな武器も持たず、

次から次へと前線へ特攻して来る。

「この聖水を浴びた者は! 銃弾を跳ね返す超能力を身に付けて白人どもを退ける事ができるだろう!!」

教祖らしき人物が義和団アジトの奥の祭壇で謎の演説をしては聖水を振り撒く儀式的な行為で民衆をたぶらかしていく。

その「義和拳」という新興宗教にかかった者は死をも恐れないゲリラ戦士と化した。

「ハハーッ!! 教祖様のお言葉ありがたやーっ!!!」

教祖様の言葉を信じて疑わない民衆たちはアジトを飛び出して連合軍の機関銃掃射も何とも思わずに最前線へと突入してゆく。

「お……おめーらの機関銃だなんて全然、怖くないもんねぇ! ウェへへへ…………ひでぶッ!!」

そう言いながら突っ込んで来る義和団の兵たちを端からハチの巣にしていく連合軍の兵士。

次々に撃ち殺されて死滅してゆく兵士たち、

それでも銃弾をまるで怖がらずに突っ込んでゆく、

「なんだァ!? コイツら次から次へと……銃が恐くないのか!?」

機関銃を操作している兵士の一人が呟く。

「バカじゃねぇのコイツら?! 何をどうしたら戦場でこんなトチ狂った行為がとれるんだ?」

死を恐れない狂信者兵士に弾薬補給係の同僚は快感を通り越して恐怖まで覚え始めていた。

「そんでもって全くもっての狂気! 死体と血の山で何も見えねえ!! 一方的とはいえ、こんな頭のオカシイ連中と戦っていたらこっちの感覚までどうにかなっちまう」

その時、義和団の突入が一旦止まった。

そして奥から何やら地位の高い重要人物らしき老人が出て来る。

「達人だ! 達人様のお通りだぁーっ!!!」

民衆の皆が叫んだ。どうやらまだ降伏する気は無いらしい。

「静まれい! 皆ども!! ここは聖なるイカヅチの支配する「場」、これ以上、この領域に軍人どもが入ることを許さんっ!

今すぐ立ち去るがよい。さもなくば裁きの雷が下るであろう!!!」

そうキッパリと宣言したのはいかにも頑固ジジイといった顔をした老師だった。

だがそれよりもさらに奇妙なのは、

全身を淡いピンクの着物に身を包んでいる事だった。

さらにそのピンク色はよく見てみると指の先まで丹念にマニキュアされていた。だが別にオカマでもないらしい、本人はいたって普通に喋っている。

それは周りの義和団の連中と比べても異質でさらに狂気じみて見えた。

そんな老人は連合軍兵士たちの奇異なものを見る視線を気にも止めずに毅然とした態度で立ち向かう。

「やった、これで助かったぞ! 白人どもめ、達人さまの神通力の凄さを思い知れ!!」

義和団の皆は達人の技を期待して見守る。

「テメーが教祖ってヤツか!? 東洋の神秘だか「義和拳」だかしらんが、ノコノコ出て来るとはこの間抜けがぁ! 近代戦における機関銃の怖さを思い知れ!!」

いい加減、イラついてきた連合軍の兵士がこれで終わりにしようと銃口を向けて一斉射撃する。

あわや蜂の巣になるかと思われた老人はまるで微動だにせず、手を前に差し出し。

ー静電ポテンシャル、Φー(ファイ)。

その瞬間、電場の「ポテンシャルの壁」がその「場」からせり上がって励起(れいき)した。

それはまるで水面に落とした水滴がミルククラウン状に波紋を描くように広がって津波が弾丸を呑み込んでいった。

そしてその直後に中心に向かって特大の雷が落ちる。

弾丸は一つ残らずはたき落とされ、兵士たちはみな軒並み感電して気絶した。

「ふうやれやれ、今日みたいな"良い"曇天の日は実に電位を操りやすい。

ーそれはこのワシ、『誘電率ε(イプシロン)』を統べる者にとってはな」

通常、地面と空気の間には晴天時でも約100Vボルト程度の電位を有する。

加えてこの鉛の空をもってすれば、限界ギリギリまで溜まった電荷は静電気力を引き起こし、ついにはその空気に何か振動でも与えただけで絶縁破壊が発生してついには落雷を呼び出す。

「おっと、しもうたわい。義和団の民衆まで感電させてもうた」

土煙の中で立っていたのはその老人だけだった。

アジトや周囲の家はさっきの落雷で崩落し、周りは敵も味方も関係なく感電して完全にノビてしまっていた。

「まぁ、もううるさくなくていいけどの」

不可解な事に本人はもう別に義和団への執着は無いらしい。

老人はそのまま立ち去ろうと現場に背を向けたその時、

まだ何か一人だけ気絶してなかった者がいるらしく、土煙が晴れてきた奥で人影が動いた。

次の瞬間に老人に向けて飛び出して来たのは鎖鎌だった。

「なにぃ!? ぐっ」

最初の鎌はかわしたが、腕を後から飛んできた鎖に絡め取られる。

「アンタが拳法家どもの教祖ってヤツか!? 罪も無い民衆たちをおかしな教えで惑わしやがって、この僕がこの国の将来の為に成敗してくれるっ!!」

姿を現して飛び出したのはまだ子供だった、まだ理想と幼さの残る中学生くらいだろうか。

煤や泥で薄汚れた半袖短パンの服を着ていた孤児のようだった。

「ガキ兵士か!? そうか、感電しなかったのは鎖鎌の端で地面に電気を受け流してアースしたから……。 これを計算してやったのか!? いや、それともただの偶然っ……?!」

突然の思わぬ事態に戸惑う老人。

今までそんな真似を返してくる人物なぞ一人もいなかったからだ。

「もうにげられないぞ! かんねんしろ!!

それともその腕を切り落としてやろーか!? ふはは!」

両者にらみ合い、対峙しジリジリと近づいてゆく。

「たいしたガキじゃ、気配を消しこのワシから一本取るとは、

だが坊っちゃんはある重大な間違いを犯しておる。

ワシは義和団とかいうトンでも宗教の教祖では無いし、

やっと長年の修行を終えて山奥から今時の時勢の様子見に降りて来たばかりじゃ。

ワシの技をちょいとアイツらに見せてやったら勝手に神だなんだと勘違いしおって、ワシを祭りあげただけじゃ。

本物の教祖は祭壇の奥でノビとるよ」

その達人はもう片方の腕で向こうの崩壊した義和団のアジトを指し示す。

なるほど、倒れている連中と違ってこの老人はどこか流派が違うようだった。

「だが、まだまだだね。

ー電荷をQ、そして時間をtと表しその微小単位をd(デルタ)とする!

すなわち電流Iは・・・・・・・」

その達人はもう片方の手で何やら印のようなモノを素早く結んでいる。

それはまるで誰かにハンドサインを示しているようなとても奇妙な動きだった。

「ん?  なにをぉコイツ、ぶつぶつと……」

少年兵士はその動作の意味はさっぱり理解出来なかったが、

すぐに術の効果を知ることとなる。

ー電流ー

!!!!!

老人が自分の腕に絡まった鎖を指さすとその瞬間、閃光とともに鉄の溶けた火花スパッタが飛散して鎖はバラバラになった。

それは「電流」を表す物理の数式だった。

ある時間tの間に流れる電荷Qの割合こそが「電流」だからだ。

ちょうど移動距離をかかった時間で割る「速度」のようなモノを表す指標だった。

「ほう……鎌を手放したか。どうやらただ闇雲に突っ込んで来る輩ではないようだな」

思わず本能で少年は鎖鎌を投げ出して一歩後ろに飛び退いていた。

おかげでまた本人自体は感電せずに済んでいるようだ。

「な、なんだよその謎の呪文と光は……? まさか本当にあの連中が言うようにこれが義和拳という超能力の技なのか?!」

目の前で起こった出来事に恐れおののく少年だったが、すぐに思い直す。

い、いやオレには見えたぞお前がへんな『糸』で火花をおこしていたのを……」

よく見るとその老人の指先からは何やら淡く光るワイヤーのようなモノが伸びていた。

だがそれは実在のものとも思えず、その像はゆらいでいた。

どうやらさっきの印を結ぶような指の動作はこれを操る為だったらしい。

「ほほう、この『電気力線』が見えるのかの? もしや坊主、お主はどこか元皇族の末裔かの? 実に興味深い……」

何やら達人は訳のわからない説明を口にはしていたが、

この少年は元は没落したある皇族出身であることは事実だった。

それを一発で言い当てられて何故だか少年は急に怒り出す。

「ふざけるな! そんな分析でお前にオレのなにがわかる?!

こんなに国がめちゃくちゃになったのもきっとテメーみたいな奴らのせいなんだ! とりあえずオメーは一発ぶんなぐってやんなきゃ気がすまねぇ!!」

とたんに少年は冷静さを失って半ばヤケクソに達人へ殴りかかろうと突撃する。

「まったくもう……そんなデタラメに攻撃したところでこのワシに当たるハズがなかろう。ホラホラさっきの勘の良さとキレはどうした?」

達人はおちょくるように少年の攻撃をヒラリヒラリとかわす。

「許さない! 絶対に許さないっ!!」

その刹那、謎の放電現象とともに

鈍い音が空に響き渡る。

「ぐっ、ナニぃッ!? コイツ今『電場』を読んだのか?!

それにこの赤黒い稲妻……まさかGabber[ガババ]の『ベクトル』の力を有する者かッ……!?」

突然、自分と同じような力を使い始めた少年に

驚いた達人は自身の青い電磁シールドで必死のガードに入る。

うわぁああああああーっ!!!

赤黒い閃光が地平線へ向かって迸る。

積乱雲が崩れ落ち、あたりはどしゃ降りとなった。

周囲一帯は黒コゲとなってしまい、雨の中で崩れた家屋からわずかな炎だけがちらついていた。

そのまま少年は力を放出してしまうと気を失って倒れてしまったようだった。

だが煙が明けてみるとそこには相変わらず無傷の老人が立っている。

「あーあ、せっかくワシがこの「場」を整えたのに……

そうか流れ弾で上空に振動を与えて急激に雨を……

こりゃ当分、雨は止まねーな。ワシの作った「場」のコンディションを台無しにしてくれちゃって……」

そう老人は呟き、雨空を仰いで見上げる。

そして何を思ったのか突然、老人とは思えない身体能力で跳躍して側にあった電柱へと飛び乗る。

 ーセンセンフコクノミコトノリー

「…………………

『宣戦布告の詔』……ねぇ」

電柱から同軸ケーブルを引っ張り出して、

手を触れた先から電信ハッキングをかける。

こんなザルのような情報通信管理する国家から

紫禁城内の盗聴を行うのは容易かった。

「もはやとっくに末期をも通り越して破滅の道へまっしぐらじゃないの清国さんよ、

もうすぐ八か国連合軍の本隊がやって来るわい。

その前にワシもこんなしみったれた北京の街なんかとっととトンズラいたすとしまして……

それではお主は一体この先どうするのかの?」

そう言うと達人は下に降りて、倒れた少年を担ぎ出した。

「全く……この支那の土地はとんでもない『龍』[ドラゴン]を目覚めさせてしもうたようだわい…………

ベクトルの力を出しきって寝ておる。

これもまたその血の宿命か……やれやれじゃ…………

こんな強力な磁場を有する者に対して、

きちんとこの世の自然の理を教育してやれるのは

このDbalrの「スカラー」の力をマスターしたこのワシ、

「御李婆・蛇砕土」<オリバー・ヘビサイド>しかいないじゃろう。

フォッフォッフォッ…………」

そういって爺さんなんだか婆さんなんだかよくわからない名前の御李婆(オリバー)老人は倒れた少年を背負いながら、

霧の立ち込める廃墟の町をあとにした。








その後、清国は降伏。北京議定書によって義和団事件は終息し、

列強五か国はそれぞれ中国各地の租借権を獲得した。

さらに1905年に勃発した日露戦争に辛くも勝利した大日本帝国は世界を驚愕させ、

南満州鉄道の権益をも獲得したのであった。





「そうじゃな…………

この子の修行名は岩をも砕くイカヅチということで、

「岩砕」<いわくだき>とでも呼ぶ事にしようかの……」

この謎の老人「御李婆」<オリバー>と

この少年との出会いが

後の近代中国の歴史を担う

「我破破」<ガババ>の存在を

生む事になるとは

この時はまだ誰も知る余地も無かった……



次回、「岩砕<いわくだき>と蛇砕土<ヘビサイド>」へ続くッ!!