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暗渠道への誘い 谷戸川編① ~暗渠の蓋の、その下へ~

「蓋がされ、暗渠の状態になった川だからこそ、その独特の風情に惹かれる」

それは間違いない。
しかしながら、その一方で、

「蓋がされる前、開渠の状態だった川は、どんな様子だったのか、見てみたい」

とも思ってしまう。
これはおそらく、すべての暗渠愛好家が抱く、ジレンマのようなものではないかと思う。

暗渠化された川の蓋が外され、開渠に戻る……などということは、ほとんど無いと言って良い。
だから「答え」を見ることは不可能なのだが、ヒントを与えてくれる川がある。今回はその川を辿りたい。


 * * * 


前回の「烏山川編」は思いの外に好評をいただいた。あれを機に、新たに暗渠という世界にハマり始めてしまった人もいたとしたら嬉しい。

そんな、片足をドブに突っ込んでしまった人、暗渠walkerになりたての人にこそ、早い段階で見てほしい川として、これから紹介する谷戸川やとがわを挙げたい。

「暗渠を歩くという行為は、つまるところ、何の上を歩くということなのか?

谷戸川、特にその中下流域が持っている光景は、この問いに一つの答えを導いてくれると思っている。
暗渠趣味の序盤で、その光景を頭の中に入れておくことは、今後の暗渠人生(?)に大いに役立つのではないだろうか。


前書きで大層なことを書いてしまったものの、その「見てほしい光景」が出てくるのは本稿の後半なのでご了承を(でも前半は前半で面白いはず)。
では谷戸川を上流から辿ることにしよう。
そう、この川は是非とも上流から辿りたい。


谷戸川と「かくれんぼ」する序盤

谷戸川の源流は、世田谷区千歳台3丁目、環状八号線の西側のエリアで、成城警察署の周辺であるとされている。
確かに、警察署の裏側に、一軒家がほとんどなく、公園、保育園、運送業者やリサイクル業者の拠点などが集まったエリアがある。
実際にウロウロしてみて、かなり怪しいエリアだと感じたが、残念ながら、そこに明確な暗渠サインや川跡は見つからない。

はっきり川跡がわかるのは、環八を渡った反対側、この地点である。

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……いやあ、地味だなあ。(笑)

前回の烏山川は下流から辿ったし、整備された緑道となっていたので、起点にはわかりやすいモニュメントがあった。
しかし今回は上流から辿っているのだ。明確な起点は期待しにくい。
今後もこの連載ではおそらく似たような場所が出てくる。暗渠の上流端は、大体こんな姿なのである。

早速だが、ここはどう見ても入れないので迂回する。
とりあえず、最も暗渠に沿っていそうな道を通って、建物と建物の隙間を覗いて暗渠道の存在を探しつつ、次に暗渠道と合流するポイントを探す。
細い暗渠を辿るときは、たいてい、そんな進み方を余儀なくされる。
すぐそばにあることは分かっているのに、触れられないのだ。何ともじれったい。

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100メートルほど住宅地を行くと、先ほどの暗渠道を反対側から望めるポイントだ。
しかし、ここは暗渠が完全に個人宅の敷地内を通っているので、遠目からの写真にとどめている。(庭に暗渠なんて羨ましい!)

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この写真の右側に映っている歩道の部分が暗渠である。
非常に細く、しっかり舗装されているので、ここだけ見ると暗渠とは気づきにくい。地図を見た後や、前後の暗渠道を見た後なら、ここも暗渠だと推測できる……というレベルだ。

この後、道路はしばらくまっすぐ伸びた後で、直角に左へ折れていく。一方、暗渠は曲がることなくまっすぐ進む。その分岐地点は、こんな感じだ。

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さて。
この先に、入っていいと思いますか???



「境界標」で見極めろ!

前回の烏山川編は、基本的に「緑道=公園=区有地」の上を通っていたから、堂々と歩くことができた。
しかし、先の写真のような極細の暗渠に出くわした時は、公道なのか、私道・私有地なのか、判断することになる。
私有地であれば、さすがに勝手に立ち入ることはできない。

この判断の手がかりになるものはいくつかある。
フェンスや塀が立っていれば、その内外で、おそらく所有者が変わっている。(あくまでも、おそらく)
そして、足元には心強い手がかりが存在することがある。

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土地の境を示す「境界標」だ。ここに境界線があることを示してくれている。やはりフェンスが境界だった。
ただ、この矢印タイプの境界標だと、「誰の土地か」まではわからない。

この場所で得られる手がかりはそれくらいだ。
手元に公図でもあるなら別だが、あとは「その場所の空気・雰囲気」を含めて判断せざるを得ない。
先の写真の場所は、舗装から未舗装に変わってしまうし、途中に木が植わっているのも見える(あの木が何かの境界ということもありうる)。フェンスも途中で消えて、その先には道に隣接した民家がある。
通っていいかと考えると、かなり怪しい。そんな雰囲気である。

この場所では私は、公道であるという確証が無いので、立ち入らずに迂回することにした。


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反対側はこうなっていて、半分ほどが車止めで塞がれた砂利道である。止められた自転車がプライベートな雰囲気を添えていて、ここも通れないような……と思わされる。
しかし、左下の地面に、それらの印象を覆すものを見つけた。(矢印のところ。次の写真で拡大)

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一円玉くらいの極小サイズだが、これは世田谷区の紋章が入った境界標である。境界標の中では最も小さな「金属鋲」と呼ばれるタイプだ。
この境界標の左側は駐車場で、どう見ても世田谷区の土地ではなかった。だから、境界標の右側、つまりこの道が、世田谷区の土地である。

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反対側にも矢印タイプだが境界標があった。これは隣の民家との境界線だろう。

振り返って考えれば、あの大きな車止めも、どちらかと言えば「公的」な雰囲気だ。個人であのタイプの車止めを設置する例は少ない。

というわけでこの場所では、少なくとも、多少は進んでも許されよう、と判断した。

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住宅の裏に肉薄する細い暗渠である。
白いフェンスには扉が設けられ、その下にはコンクリートブロックで作った「自前階段」が見える。1本の排水管が壁から突き出し、そして地面の下へつながっているようだった。烏山川でも見慣れた、暗渠サインたちだ。
そして、ここではグレーチング(格子状の金属の蓋)が埋め込まれているのも見える。明らかに、下には雨水が通る流れがある。

この先に、ブロックを並べて道自体を左右に封鎖したような場所が見えた。誰かが意図をもって作った境界線に見える。
それを跨ぐのは無粋というもの。これ以上の深入りはしないことにした。


10境界標入り

さらに南を目指すと、次はこうなっている。封鎖されているので、立ち入りはしない。ただ、境界標はこの空間が世田谷区の所有であることをはっきりと示している。(矢印の場所に境界標がある。右の写真はその拡大)

11境界標

迂回した反対側はこうなっていて、またもや世田谷区の境界標が両側にあった。ここはとても狭い空間のわりに、ずいぶんと世田谷区であることを主張してくる。これほどまでにはっきりと示されている例は、多くはない。


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進んで、千歳通りという比較的大きな通りを渡ると、水道局のとなり、駐車場の端に、暗渠は繋がっている。
ここも入れないため迂回するが、反対側は企業の私有地のようで、私的なものがたくさん置いてあったため、写真を撮るのは遠慮した。

川はその先で再び環八を渡って、西側に移動する。

16笠森公園

そこに川跡は明確には見えないが、笠森公園という、やや東西に長い公園があるので、ここだったんだろうなということは感じ取れる。
烏山川緑道でも出てきたが、「公園」は暗渠サインである。

18笠森公園

公園の南側には、同じく暗渠サインの団地もある。
上流のこの場所に、かつてそんなに広い河原があったとも思えないが、氾濫しやすい場所だったなどの理由で開発が遅れていたのかもしれない。

17笠森公園の猫

公園の隅でたまたま出会った「暗渠猫」。うしろには民家の裏口と階段も映っている。
暗渠研究家の本田創さんは、「暗渠は猫の通り道やたまり場になっていることが多い」と指摘されていた。確かに私も、時々見かけるような気がする。車が入らず、人通りも少ないからだろう。


そして、公園の端から住宅街に入るところで、暗渠は第二形態へと変わる。

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五感で楽しむ蓋暗渠

このタイプの暗渠を、我々の業界では蓋暗渠ふたあんきょと呼んでいる。
その名の通り、蓋をしただけの暗渠だ。たぶん、蓋を開ければそこには溝がある。

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蓋暗渠は、ぜひとも、その上をゆっくり歩いていきたい。

かっちり固定された蓋もあるが、あまり固定されていない蓋も多く、上を歩くと、ゴトゴトと音がする。
そして、グラグラした感覚が靴底からも伝わる。
(しかし、さっき見出しに勢いで「五感」と書いたけど、さすがに味覚と嗅覚は難しいか……)

私は通りすがりだからいいものの、毎日ここを通る方や、玄関の目の前が蓋暗渠になっている家の方は、ちゃんと固定されていないことをどう思っておられるのだろう。

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横から見ても「蓋を載せただけ」であることが明らかな地点もある。
なんなら、頑張れば剥がせそうだ。やらないけど。

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雨水を下へと導く管がひょっこり覗いているポイントがあった。
この付近は雨の日に来たら楽しそうである。耳をすませば、蓋暗渠の下に雨水が流れる音がするのではないだろうか。暗渠に耳をくっつけて這いつくばる不審者になるかもしれないが。

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コンクリート以外に、鉄板になっている部分もある。
また、アスファルトで固められ、蓋暗渠ではなくなっている部分もある(しかし川跡はしぶとく白線として現れる)。
いろいろな状態の暗渠がモザイク状に現れる。

この蓋暗渠はしばらく続き、その先の交差点で、もう一本の蓋暗渠が合流してくる。谷戸川の短い支流である。
要するに、蓋暗渠の「Y字路」になっているのだが、道が狭く、その様子を1枚の写真に収めるのは困難であった。(ドローンでもあれば撮れたかも)
支流の蓋暗渠はこんな感じである。

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そして、100メートルにも満たない支流を遡ると、

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蓋暗渠は、銭湯に突き当たって終わっていた。
なんとも、暗渠サインの基本に忠実な川である。


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本流に戻り、川を下る。
道路に対して、歩道の幅が妙に広いな、と感じたら、暗渠を疑っていい。
ここは蓋が見えるので、疑うまでもなく明らかなのだが、仮にこの蓋の部分がすべてアスファルトでならされてしまったとしたら、どれだけの人が川の存在に気づくだろうか。
そして、近い未来に実際そうなっていないとも限らない。
蓋暗渠はそういう、危うい存在だ。


さて、小田急線をくぐると、いったん蓋暗渠はなくなり川跡を見失うが、山野公園という小さな公園があるので、流れを辿っていける。
そして、城山通りを挟んで反対側、山野小学校の脇に、また川跡が見えてくる。

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あの、緑のフェンスのところだ。行こう行こう。


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……!!

なんと………!





暗渠が開渠になるとき

ここから谷戸川の第三形態。
暗渠ではなく、「開渠」である。水面がはっきり見える。

32_2開渠

暗渠を辿っていて、予期せぬタイミングで開渠になり、水面を望めるシチュエーションになったときは、否が応でもテンションが上がる。
見えない川を辿って、想像して楽しんでいる暗渠探索者だが、やはり、実際の水面が見えると嬉しいものなのだ。

ただここでは、水面は見えるものの、フェンスに囲まれているため、近くて遠い印象だ。

32_3開渠

ここから先の区間は、ハシゴ状のコンクリートによって、水面の上が覆われている。このタイプの開渠を「ハシゴ式開渠」と呼ぶことにする。
しばらくは、山野小学校の敷地に沿ってハシゴ式開渠が続き、フェンスを挟んで道が並走している。

ハシゴ式開渠に蓋を載せれば、それだけで、先に見た蓋暗渠になるであろうことは、容易に想像できる。
ついさっきガタガタと歩いた蓋の下には、まさにこういう景色があったんだろうなと、「答え合わせ」をしながら南下する。


さて、私の勤務先である世田谷学園の在校生には、この山野小学校出身の生徒が複数いたので、当時のことを聞いてみた。
「谷戸川でザリガニを釣って遊んだことがある」とか、「公園で遊んでいたらボールが谷戸川に入ってしまった」とか、いくつかの思い出話を聞くことができた。
約10年ほど前の時点では、今と同じような、フェンスに囲われたハシゴ式開渠という姿だったようである(きっと、小さな冒険者がフェンスを乗り越えられる場所もあるのだろう)。
もっと昔には、フェンスも、ハシゴ状のコンクリートもなかった時代があったのだろう。

やはり、水面を持つ開渠の川は、存在感があるし、人々の意識にも上りやすい。水とのつながりがあれば、ちょっとした出来事の舞台になる。
一方、暗渠となってしまうと、意識からは消えがちである。それは、暗渠道の上で起こる出来事というものが、「歩く」こと以外に、ほとんど無いからだろう。

しかしながら、この連載を楽しみにしてくれていた読者の方々は、すでに「暗渠に向ける目」を持っているはずだ。
その視点で、ハシゴ式開渠の谷戸川を眺めると、今まで気にしていなかったものにも目がいくし、見えていなかったものも見えてくるだろう。

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たとえば、川にはたくさんのパイプが接続しているのが目につく。植物に覆われて見づらいが、コンクリートの側壁に穴が空いているのも見える。
この写真のパイプや穴は、いずれも山野小学校の敷地につながっている。小学校の敷地内に降った雨水などが、ここから出てくるのではないかと思われる。

34名無し橋

小学校の敷地の端に来たところで、このような橋に行き当たる。
フェンスがあって見づらいが、記念すべき、谷戸川編で出会う最初の橋だ。
橋の手前には、細い管が渡されているのも見える。

34名無橋2

橋の名を記した板は見当たらない。竣工年もわからないが、そこそこ年季の入った橋のように見える。
それにしても、実にこじんまりとしたコンクリート製の欄干だ。
前回の烏山川で数多く見かけた「橋の遺構」のうちの幾つかと似ている。往時はこのような姿だったのではないか、と思いを巡らせる。


この橋から、谷戸川の下流側を望む。

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そこには、住宅地と住宅地の間に取り残されてしまったかのような空間が続いている。

確かに開渠ではあるし、水面も見える。だがこの空間にアクセスできる入口はない。
そばを通ることすらできないこのような川に、人々の生活との接点がどれだけあるのだろうか。
つい先ほど「開渠の川には存在感がある」などと言ったばかりだが、早速、疑問符がついてしまったように思う。

以後しばらく、谷戸川くだりの旅は、こういう光景を辿っていくことになる。


さて、1つ前の写真で、行く先に見えている橋が「谷川橋」という橋なのだが。
この橋に立って、上流側を覗き込むと、そこには息を呑む光景がある。

ぜひ現地で実際に見てほしいのだけど、ここでは、写真を載せてしまいましょう。



37谷川橋

………おぉ…!

これはこれは。


……さあ、というわけで、探索の対象が増えてしまった。
谷戸川の本流すら、まだ3分の1も来ていないのに、である。

長くなるので、上の写真について語るのも含め、続きは次回ということにしよう。

(ところで、前回は「地図」を最初に示していたが、今回は最後に示すつもり。じらしています(笑)。ご了承を)


次回、谷戸川編②
断面に誘われ、“極細支流暗渠“へ。

柏原 康宏(かしわばら やすひろ・理科教諭) 

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