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スパイク・リーとアメリカ映画が映し出す夢と悪夢〜「革エデュ」流映画放談(前編)

※ 教員による1回完結型連載対談記事「革命エデュケーション ex03-1」(Web版 特別編)をお届けします。
 今回は映画をめぐる対談です。興味を持った作品があれば、ぜひ見てみてください!

細井 こんにちは! 毎日暑い日が続いていますね。
 「革命エデュケーション」特別編も3回目になります。前回の佐藤可士和展の回は、反響も大きくて嬉しかったですね。

 さて、今回は「夏休み特別版」という感じで、映画をテーマにしてゆるめに話をしていこうと思います。意外にも、これまで鵜川さんと映画や音楽の話って「革エデュ」ではしてきませんでしたよね?

鵜川 そう言われてみると、そうですね。別テーマを語る中で触れることはありましたが、直接、その話で革エデュをやったことはなかったですね。普段はあんなに映画やら音楽やらの話をしてるのに(笑)。
 細井さんは、最近見て、何か印象的だった映画はありますか?

細井 僕が最近観て印象に残っているのは『アメリカン・ユートピア』(2020年)です。

 1970年代後半〜80年代に活躍したトーキング・ヘッズというバンドの中心人物、デヴィッド・バーンのライヴ・ショーを映画として再構築した作品です。
 基本的にはライヴ+MCという構成なので、万人が何の先入観も無しに観て楽しめる作品ではないとは思いますが、僕が音楽映画が好きだということが伝わるかと思ったのと、この作品が持っているエデュテインメント的な側面について話ができるかなと思ったので取り上げてみました。

鵜川 予告動画を見ましたが、めっちゃかっこいいですね!

細井 そうなんですよ! トーキング・ヘッズは、もともとパンク〜ニュー・ウェイヴのバンドとして登場したんですが、そこにファンクやワールド・ミュージックの要素が加わりオリジナルなサウンドを確立しました。『アメリカン・ユートピア』では、そういう音楽的なかっこよさはもちろん、パフォーミング・アートの要素も取り入れたショーの視覚的な魅力も楽しめると思います。

鵜川 しかも、監督がスパイク・リーとは。結構、社会派の側面も強い映画なんでしょうか。

細井 そうですね。トランプ以降のアメリカ社会が抱えている分断状況を踏まえ、社会を変革することの可能性や多様性を担保することの重要性、ブラック・ライヴズ・マター(BLM)の問題までが取り上げられています。
 あくまでショーの中の要素としての扱いなので、スパイク・リーの一部の作品のように「強いメッセージ性を宿している」とまでは言えないとは思いますが、ステージの外には現実が存在していて、それを観る者に意識させるような作り方がされているという印象を持ちました。

鵜川 なるほど。そういった社会の描き方は、スパイク・リーの監督作で言えば『オールド・ボーイ』(2013年)を思い出します。

 これは、韓国のパク・チャヌク監督の作品(2003年)のリメイクですが、主人公が二十年間監禁されるというところから話がはじまります。この二十年の描き方が、まさに今、細井さんが話していたような印象を与えるんですよね。
 作中では、1993年から2013年までが監禁の期間になっていますが、この時間の流れが、クリントン、ブッシュ、オバマへと移り変わる大統領と、9.11やハリケーン・カトリーナなどのニュース映像によって表現されています。そのことで、主人公に経過した時間=主人公が失った時間に、社会的な意味が与えられているんですよね。(この辺りは、オリジナル版との違い(特にラストシーン)と絡めて解釈すると、なかなか興味深いものがあります。)
 さらに言うと、2013年の映画でありながら、その後の混迷するメディア状況(ポスト・トゥルースとか)まで同文脈で描かれているんですよね。さすがです! これ以上言うとネタバレになってしまうので控えますが。
(ちなみに、個人的にはオリジナル版の方が好きですが、とにかく身体的にも精神的にも、かなりキツイ映画なので、閲覧注意です(笑))

細井 僕はオリジナル版もスパイク・リー版も観てないんですけど、面白そうですね。
 スパイク・リーというと、彼の出世作かつ代表作である『モ・ベター・ブルース』(1990年)や『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989年)といった映画を僕は観た世代です。

 前者はジャズ、後者はヒップホップが音楽的にフィーチャーされてるんですが、そういうカルチャー的な文脈から最初は興味を持ったという感じでした。90年代初頭、いわゆる「イケてる映画」だったんですね。で、その後に『マルコムX』(1992年)が公開されて。これが3時間以上ある作品で、ここでかなりの人たちが離脱を余儀なくされたんですが(笑)、今考えるとブラック系の監督の作品がメインストリームに入り込んできたという意味で、大きなターニング・ポイントだったんだと感じます。

 アメリカの映画って、以前話題にした『グリーンブック』(2018年)もそうですが、そのときの世相を如実に映し出しているのが面白いですよね。

鵜川 僕のスパイク・リー体験は『マルコムX』が最初でした。高校生の時かな。この辺は、細井さんと僕との微妙な年齢差にもよる気がしますね(笑)。

細井 最初が『マルコムX』はけっこうキツイですね(笑)。

鵜川 そんなこともあって、がっつり社会派の監督なのだと思いこんでいました。なので、実はあまりスパイク・リー作品は見ていなかったりします。
 その印象が変わったのは、たまたま見た『インサイド・マン』(2006年)からですね。かなり変則的な銀行強盗もので、凝った脚本と映像的な演出が面白くて、誰が監督かなと思って調べて、びっくりしました。

細井 確かに、鵜川さんが今挙げていた『インサイド・マン』や『ブラック・クランズマン』(2018年)あたりになると、スパイク・リーも「がっつり社会派」でありつつ、円熟してきていると僕は思います。メッセージ性はもちろん強くあるんですが、コメディ的な要素も入れつつストーリーテリングしていく。

 『ブラック・クランズマン』は黒人の警官が白人至上主義の団体として知られるKKKに加入して捜査をするという話なんですが、なんと実話ベースなんですよね。主人公の相棒で、実際に組織に潜入する刑事役のアダム・ドライヴァーの演技も良いし(この人、一般的には「スター・ウォーズ」続3部作のカイロ・レンのイメージが強いですが、『パターソン』(2016年)という映画は是非観てほしいです)。

鵜川 『パターソン』、最高ですよね! あの、薄氷の上の平和な日常というか、不穏さがうっすらと通奏低音として鳴っている感じ! そして、一つひとつのシーンがかっこいいんですよね。ジム・ジャームッシュ監督、最高です。そこに、アダム・ドライヴァーの陰鬱なさわやかさ! このマッチングの妙は、たまらないです。

細井 アダム・ドライヴァー、クールな中に危ない感じがあって、鵜川さんが好きそうな俳優ですよね(笑)。彼が出ている作品だとコーエン兄弟の『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』も好きです。

鵜川 これは良さそうな映画ですね! ウォッチリストに登録しました!
 それはそれとして、『ブラック・クランズマン』の話に戻りますが、細井さんの話のとおり、これは本作の主人公ロン・ストールワースによる回顧録を原作としています。

 実際にKKKに潜入するのは黒人であるロンではなく、ロンの同僚のフリップ刑事で、こちらをアダム・ドライヴァーが演じています。潜入捜査もので言うと、香港映画『インファナル・アフェア』と、それをマーティン・スコセッシがリメイクした『ディパーテッド』を思い出してしまいますが、アダム・ドライヴァーの緊迫感ある演技は、これらに匹敵する素晴らしさだったと思います。

細井 僕はジャズやR&Bが好きなこともあって、アフリカン・アメリカンに関する映画に興味があるんですが、『ブラック・クランズマン』も時代設定は1970年代となっているものの、最後は現代と繋がる構成になっていますね。
 この作品が公開されたのは、前年にトランプ政権下となった2018年です。要はKKKの人々を、急進的なトランプ支持者のメタファーとして解釈することができるんです。実際「Make America Great Again」っていうセリフも出てきますしね。
 僕はこの映画について、一見すると白人やトランプ批判なんだけど、差別意識についての改めての問題提起だとという風に捉えました。スパイク・リーは自身の出自ゆえに自ら譲歩するスタンスを取ることは決してしないですが、単なる「白人ふざけんな!」という映画ではないと僕は思いますし、さっき書いた彼の「作家としての成熟」というのはそういう点ではないかと思います。

鵜川 ロンとフリップの二人が、複雑な立場にあるのも興味深いですね。ロンは、舞台となるコロラドスプリングスで、黒人で初めて警官になった人物です。白人英語と黒人英語を自在に使い分けることができる彼は、署内で人種差別的な扱いを受けながらも、やがて情報部に配属されることになります。
 もう一人、実際にKKKに潜入するフリップはユダヤ系をルーツに持つ人物。ユダヤ系に対する差別意識も強いKKK内においては、決して知られてはならない事実です。
 警察という存在自体も、難しい立場です。市民の安全を守る立場でありながら、その中には差別意識を隠しもしない人物もいる。一方、ロンが接近する黒人解放活動家のパトリスたちは、警官=差別主義者として「ピッグ」と呼んでいます。
 こういったアメリカの現実は、我々日本人にとっては、肌感覚として理解することが難しい部分ではありますが、こういった映画を鑑賞することで、報道とはまた違う形で、今起こっていることを感じ取ることに結びつく気がしますね。そういう意味で、映画の力を感じられる作品でもあります。

細井 社会・文化理解において、映画がある種の参考書になっている面はあると思います(アメリカの場合は特に)。『ブラック・クランズマン』で、パトリスたちが警官に車を止められて取り調べを受けるシーンがありますが、これは昔からずっと行われてきている警官の暴力的態度なわけです。昨年ジョージ・フロイド氏の殺害をきっかけに大規模なBLMムーヴメントが起こったことを踏まえて観ると、より重い意味を感じずにはいられません。
 『ブラック・クランズマン』がトランプ政権やアメリカの分断状況への強烈な異議申し立てや批判だとすると、同じ年に公開された『グリーンブック』は、メッセージとしてはリベラルな作りになっています。ただ、1960年代を舞台にしたこの作品で描かれている南部での黒人差別は酷いものですが。

鵜川 そうですね。『グリーンブック』で描かれているのは1962年、ジム・クロウ法(黒人の公共施設利用を制限する法律の総称)がまだ存在した時代ということもあり、黒人を対等な人間として扱うという概念自体が存在しない。この作品でも、警官に車を止められるシーンがありますが、その時に警官は「黒人の夜の外出は禁止されてる」と言っています。そういう時代です。
 ストーリーは、イタリア系移民の主人公トニー(ヴィゴ・モーテンセン)が、黒人のピアニスト、ドクター・シャーリー(マハーシャラ・アリ)の運転手兼護衛役(?)として、アメリカ南部の演奏ツアーに同行するというものです。黒人でありながら、白人の富裕層相手に演奏会を行うドクターは、その微妙な立場から様々なトラブルに巻き込まれます。ともするとヘビーな映画になりそうですが、実在したこの二人の築いた友情と、トニーの明るく力強いキャラクターを前面に出すことで、泣けて笑えるいい映画になっています(その辺りも批判の対象になったようですが)。

細井 そう言えば『グリーンブック』も実話ベースですよね。やっぱり過去を題材にした作品で人種間の垣根を越えるという設定は、フィクションとして提示してしまうと観客には説得力が薄く感じられてしまうのかもしれない。うーむ。
 そう、『グリーンブック』に関する批判は「白人(ここではトニー)と黒人の関係を序列化して描きすぎている、というものでした。要は「黒人を白人が救う物語」になっている、ということです。この批判をしているひとりがスパイク・リーなんですね。彼からすれば、白人と黒人が融和するというのが一種のおとぎ話のように感じるんでしょうね。
 ただ、さっきのフリップ刑事の設定同様、「白人/黒人」という単純な対立図式だけでは捉えられない面もあると思います。トニーはイタリア系移民なので、アメリカ社会では決して「正統的」な存在ではない。彼らは『ゴッドファーザー』に代表されるように、マフィアとの繋がりや犯罪性が強調されて描かれることが多いですね。
 映画の中で、ドクターが同性愛者であることが示唆される描写があります。彼は二重の意味でマイノリティなわけです。そんな苦痛を抱えているドクターが、やはりある種の「はみ出し者」的なトニーと心を通わせていくところが重要なのかな、と僕は感じたんですけどね。

鵜川 そういう意味では、『グリーンブック』も『ブラック・クランズマン』も、共に境界的/周縁的な位置にいる黒人と白人のバディものと言えるのかもしれませんね。ただ、両者の関係性に注目すると、その違いもまた明らかになってきます。『グリーンブック』は、細井さんも指摘していたように、「黒人を白人が救う物語」になっています。それゆえに、プロットとしては分かりやすく、鑑賞者にとってもカタルシスが得やすい。一方『ブラック・クランズマン』は、文字通りのバディもの、二人で協力してKKKに挑む。一時的な勝利による高揚感はあるものの、その戦いは終わることがない。
 映画におけるリアリティをどう考えるかというのは、とても難しい問題ですが、映画というフレームの持つ限界をどのように超えるか、という点で言えば、『ブラック・クランズマン』の描き方は、その手際の鮮やかさに思わずうならされました。

細井 最後、映画内の世界が外部の現実とつながるという構造は、最初に紹介した『アメリカン・ユートピア』と共通していますね。ただ、観終わったあとで『ブラック・クランズマン』が複雑な思いに捉われるのに対し、『アメリカン・ユートピア』の方は「何かしらの行動を起こそう」という気持ちに自然となるところは対照的ですが。『アメリカン・ユートピア』は音楽映画なので、音楽が持っている力や可能性を感じられるという部分ももちろんあります。

鵜川 おお! 『アメリカン・ユートピア』、見ねばですね! そういう意味では、『グリーンブック』の方でも、音楽が重要な役割を担っていました。こちらが、単なる「黒人を白人が救う物語」で終わっていない部分があるとすれば、ジャズとクラシックが絶妙にミクスチャーされたドクターの音楽の存在が大きいのではないか、と思います。

 ということで、「ゆるめに話を」というフリで始まった今回の「革エデュ 特別編」ですが、まるでゆるくなくなってしまったので、この辺りで小休止(苦笑)。次回は、音楽を扱った映画に焦点を移してお送りします! どうぞお楽しみに!

後編はこちら ↓

細井 正之(ほそい まさゆき・国語科)
鵜川 龍史(うかわ りゅうじ・国語科/小説家)

Photo by Clay Banks on Unsplash

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