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オスだらけの現状を憂うホモ・サピエンスたちへ

 男子校である世田谷学園に入学した諸君は、学園での生活が始まって半年が過ぎ、男ばかりの新たな環境にもすっかり慣れたことと思う。まさか本学園に「男女の出会い」的なものを求めて入学した生徒はいないだろうが、しかし改めて「男子しかいねえ」という現実をまざまざと見せつけられると、諦めの境地にも達する思いであろう。
 あの『ファインディング・ニモ』でおなじみのカクレクマノミという魚は、オスがメスに性転換することで有名である。集団の中にオスしかいない状況になると、最も体の大きいオスが、やおらメスに転換し、2番目に大きいオスとペアになるのだ。1年の各クラスでこんなことが起きたらささやかな地獄絵図だが、幸い、我々人間にこのような芸当はできない。つまり、オスばかりの状況はあと5年半ほど変わらない。さっさと諦めよう。

 地球上に生息するヒトの性比(性別の比)は、オス:メスが105:100で、ほぼ1:1である。にもかかわらずヒトの社会では、どういうわけか、「男子校」「女子校」などと呼ばれる、片方の性別のみを集めた個体群がまれに形成される。
 他の生物ではこのような習性はあまり見られない。理由は明らかである。そのような集団は繁殖の機会を逸してしまうので、子孫を残すための戦略としては著しく不利だからだろう。

 しかしヒト以外の生物で、性比が偏った集団が作られることも、無いわけではない。
 例えば、たくさんの蚊が集まり、我々にとってはたいそう鬱陶しく飛んでいる「蚊柱(かばしら)」という状態がある。この蚊柱は、オスだけの集団である。もっとも、これはメスに見つかりやすいようにオスが集まっている状態だと言われており、つまり結局は、繁殖を目的として形成されている男子校である。本学園も男子校だが、建学の精神が根本的に異なるわけだ。

 「生まれるときの温度によって性別が決まる」という生物は、爬虫類に多くみられ、この場合も性別は偏ることがある。
 アメリカアリゲーターの場合、卵から孵化(ふか)する時の温度が32℃以上なら全てオス、30℃以下なら全てメスになる。ということは、その時の温度によっては、同時に生まれるきょうだい全員がオス、近い場所で生まれた別のきょうだいも全員オスで、出生直後から男子校状態もありうる。ただし、孵化した後で彼らが目指す沼の中は共学校なので、繁殖に関しての問題はない。

 ちなみに日本において男子校の数は女子校の数よりも少なく、そもそも共学校が圧倒的に多いこともあって、「男子校出身者は絶滅危惧種」なんて言われることもあるらしい。
 実は生物の世界でも、「オスだけの集団」に比べれば、「メスだけの集団」の例のほうが多く見つかる。例えば、日本のどこの河川にでも見られるギンブナは、ほとんどの個体がメスである。オスも全くいないわけではないが極めて少なく、100%メスの集団もあるそうだ。ではメスだけの集団でどうやって繁殖するかというと、なんと近くにいる別のフナ類(キンブナ、ゲンゴロウブナなど)のオスが、ギンブナのメスが生んだ卵に放精する。「異なる生物の間で受精⁉」と驚くかもしれないが、その精子は受精することはなく、卵が発生するための「刺激」になるだけである。結果として、メスのギンブナが生んだ卵から生まれてくる稚魚は、ちゃんとギンブナであり、そしてこれは母親のクローンである。日本の河川の中には、クローンギンブナの集団がいる、ということである。
 ギンブナのような生物は、あと少し段階が進めば、オスなんて必要なく、メスだけでも繁殖できそうである。オスの存在価値とは何なのかを考えさせられるケースはこのほかにも多々あり、さらに挙げてもよいのだが、筆者もオスであり、だんだん悲しくなってきたので、今日のところはこの程度にとどめておく。

 さて、オスとメスの2種類しかないヒトの世界ですら、ご存知のとおり面倒な色恋沙汰がしばしば起こる。さらに近頃は、インドで「中性」という性別を認める判決が出たり、日本でもLGBT(性的少数者)の権利が認められるようになったりと、2種類なりにも多様性が生まれている。これ、もっと多かったらどうなってしまうのだろうか。

 テトラヒメナという淡水性の単細胞生物には、「性別」に相当するタイプが7つもあるという。各タイプの名前は「タイプⅠ」「タイプⅡ」……「タイプⅦ」というもので、少々味気ないのだが、我々には想像の及ばない世界なのだから、そんな命名も無理はないだろう。彼らは合コンをどのように設定するのだろう、などと興味は尽きないが、7つのタイプに分かれていることにはメリットがちゃんとある。自分と異なる6タイプならどれとでも繁殖可能なので、たまたま出会った別のテトラヒメナと繁殖ができる確率は86%にもなるのだ。この確率は、我々ヒトの場合は50%、本学園の生徒の場合においては無論0%である。
 より馴染み深い生物であるゾウリムシにも、少なくとも4タイプ、一説には10タイプ以上の「性別」があると言われる。ここまで複雑だと、ゾウリムシなりにいろいろ面倒なことも起こっていそうである。思いを馳せてみるのも面白い。擬人化とかはやめておいた方がいいかもしれない。

 ところで、地球で最初に生まれた生物は、性別を持たず、ただ分裂によって自らのクローンを作って増えるだけだった。現在でも、バクテリアの一群を筆頭に、性別を持たない生物はいくらでも挙げられる。
 では、そもそも性別なるシステムが進化の過程でなぜ生み出されたのか。そしてなぜそのシステムが、これだけ生物の世界に広まったのか。これは興味深い話題だが、それについて書き記すにはこの余白はあまりにも狭すぎる。いずれ機会があれば、またその時にでも。もしくは自分で調べてみよう。

 いろいろ見てきたように、性別をめぐる生物の戦略は想像以上に多彩である。「試行錯誤して、環境に適応したものが残っていく」のが生物の進化であり、性別の多様さはその結果である。ヒトがつくる「男子校」という極めて特殊な個体群も、生物の世界における試行錯誤の一つなのかもしれない。そこにメリットがあり、環境に適応しているのなら、今後も男子校というものは存続するだろう。環境に適応できなければ、いつか共学校によって駆逐され淘汰されてしまうかもしれない。はてさて、どうなるかな。

柏原 康宏(かしわばら やすひろ・理科)

Photo by Pratik Mehta on Unsplash

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